巴塚の松/富山県南砺市

20161210

所在地:富山県南砺市福光天神
撮影日:2016年11月26日

25日に母の三回忌の法要をし、近くのホテルで宿泊をして26日の朝ここを訪れました。
私の実家から車で15分くらいの場所であり、以前から知ってはいたが、27日の「義仲・巴フォーラム」に参加を控え、この際ちゃんと写真に収めておこうと思った。
この日は、その後も色々とゆかりの場所を訪ねました。

現在の南砺市は、東礪波郡の福野町、城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村と西礪波郡の福光町が合併し誕生。長年なじんできた「福光町」が消えてしまい、現在の市名にはなじめない私です(苦笑)。
本当に昔は山奥で地の果てといった感じだった、平家の落人部落として有名だった「五箇山」まで同じ市になってしまったのだから。

福光(ふくみつ)は、こんな位置関係です。
有名な「倶利伽羅峠」は、この図で「小矢部・砺波JCT」の左に位置します。
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巴塚周辺の地図です。
左上から右下に延びる国道304号線は、別名「金名線」といい、金沢と名古屋を結んでいる。
「城端」から山にかかり、山を登りきったところが「五箇山」。さらに進んで岐阜県に入ると「白川郷」となります。
縦に真っ直ぐ伸びる東海自動車道は、北陸高速の「小矢部・砺波JCT」から東名高速の「尾張一宮JCT」に繋がっています。
JR福光駅は、北陸線高岡駅から城端(じょうはな)駅を結ぶ「城端線」にあります。
左の山を越えると金沢市で、県が違い、山越えですが金沢の隣町となります。
倶利伽羅峠は左上となります。
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JR城端線「福光」駅
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駅前に「巴御前終焉の地」という碑がある。
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巴御前については、各説入り乱れているが、『源平盛衰記』による、中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、源義仲の「便女」というのが私にはしっくりきます。

宇治川の戦いで敗れ落ち延びる義仲に従い、最後の7騎、5騎になっても討たれなかったという。義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから、最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と巴を落ち延びさせようとする。巴はなおも落ちようとしなかったが、再三言われたので「最後のいくさしてみせ奉らん(最後の奉公でございます)」と言い、大力と評判の敵将・御田(恩田)八郎師重が現れると、馬を押し並べて引き落とし、首を切った。その後巴は鎧・甲を脱ぎ捨てて東国の方へ落ち延びた所で物語から姿を消す。

『源平盛衰記』では、宇治川の戦いでは畠山重忠との戦いも描かれ、重忠に巴が何者か問われた榛沢六郎は「木曾殿の御乳母に、中三権頭が娘巴といふ女なり。強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。乳母子ながら妾(おもひもの)にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井・樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」と答えている。

その後であるが、Wikipediaでは、「『源平盛衰記』で、落ち延びた後に源頼朝から鎌倉へ召され、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだ。和田合戦の後に、越中国礪波郡福光の石黒氏の元に身を寄せ、出家して主・親・子の菩提を弔う日々を送り、91歳で生涯を終えたという後日談が語られる。」となっている。

私の好きな本『ともえ/諸田玲子』では、鎌倉に向かったのは、わが子義高の命を救わんがため、という話になっている。鎌倉の手前で和田義盛の手の者に捕らえられ、頼朝は切るつもりだったが、大姫、和田義盛の助命嘆願により永らえ、義高死後、義仲・義高の供養のため生きる決心をする。
和田義盛の妻になるが、和田義盛もまた、畠山重忠、梶原景時と同様、邪魔になった北条鎌倉幕府により滅ぼされてしまう。

その後の巴御前の足跡は各地に残っている。
義仲の墓のある義仲寺にも、庵を結んだという伝承が残り、この間訪ねた上田市丸子の岩谷堂観音にも近くの池の平に庵を結んだと説明が書かれている。

このように、各地を訪れ義仲の供養をして歩き、晩年を福光で過ごしたようである。

閑話休題:
ここ福光には、戦時中棟方志功が疎開をしており、棟方志功の事蹟が豊富に残っています。
駅前にも碑があった。
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【巴塚の松】
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

10年以上前に福光に行き、母の実家跡付近を中心に方々を歩きましたが、実家跡から歩いて5分位の所に公園に、棟方志功関係のものが色々とありました。

母によると、当時はエロ画家が疎開してきたと言う意識だったのだそうです。まあ、確かにあの絵では、当時、そう思われても不思議ではないと思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
棟方志功の残したものは、ずいぶんとあります。
町としては珍しい立派な美術館も、棟方志功が
目玉です。
私の家にも1ケ月くらい逗留していたそうです。
祖父は、無理やり堅い絵を描かせたみたいで、
棟方志功らしからぬ絵が残っています。
礼状もありますが。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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