三毛入野命(みけいりのみこと)・御毛沼命(みけぬのみこと)/日本の神々の話

20170103

記紀神話に登場する神。

私は神話のふるさと高千穂地方を取り上げたテレビの番組は欠かさず見ているが、それで知った神である。
高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)の社伝によれば、三毛入野命が神籬(ひもろぎ)を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。

『日本書紀』では「三毛入野命」や「三毛野命」・「稚三毛野命」、『古事記』では「御毛沼命(みけぬのみこと)」と表記される。
『日本書紀』・『古事記』によると、鵜葺草不合命(うがやふきあえずのみこと)と、海神の娘の玉依姫との間に生まれた子である。

『古事記』の「火遠理命」の巻、「鵜葺草不合命の生誕」の段
(現代語訳)
(前省略)
 この天津日高日子波限鵜葺草不合命(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズノミコト)が、その叔母の玉依姫命を妻として、生んだ御子の名は、五瀬命、次に稻飯命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命で、亦の名を神倭伊波礼毘古命(神武天皇)。
そして御毛沼命は、彼の上を踏んで常世国にお渡りになり、稻飯命は、亡き母の本 国のある海原におはいりになった。

ということで、初代神武天皇の兄神である。

『日本書紀』神武即位前紀では、兄弟とともに神武東征に従うが熊野に進んで行くときに暴風に遭い、「母も叔母も海神であるのに、どうして我々は波によって進軍を阻まれなければならないのか」と言って、波頭を踏み、常世に行ったとしている。

名前の考証として、本居宣長は『古事記伝』で、「み」は敬称で、「け」は食物を意味するとしている。

宮崎県高千穂町の伝承では、三毛入野命は常世に渡ったのではなく、兄弟たちからはぐれてしまったので、出発地の高千穂に帰還したとする。
高千穂には「鬼八(きはち)」という悪神がいて、人々を苦しめていたので、三毛入野命はこれを退治し高千穂の地を治めたと伝えている。
三毛入野命は高千穂神社の祭神であり、その妻子神とあわせて「十社大明神」と称されている。

宮崎県高千穂での伝承では「三毛入命」となっていて、その伝承を挙げておく。
高千穂の宮にいたミケイリは、兄弟たちとともに東遷のために出発した。ところが、ミケイリの船は強い風波のために押し流され、本隊と離れてしまい、高千穂に引き返した。
東遷に出発した後、高千穂地方では、鬼八(きはち)という悪者がいて、あちこち荒らし回って、人々を苦しめていた。ミケイリは高千穂の古都を荒らす鬼八を退治しようと決心した。
このことを知った鬼八は、ミケイリが引き返す道筋で邪魔を始めた。鬼八は、非常な健脚で山野を走り回ったり、悪霊を呼んで雨を降らせたりする術を使ったので、ミケイリは大変苦心した。
ミケイリが高千穂に向かって引き返す途中、川が増水して渡れなくなった。ミケイリは浅瀬を探して綱を両岸に張り、無事に渡った。この川が綱の瀬川である。さらに進んで、日之影町にある阿下(あげ)という村に着いた。ここで宿泊、その場所を御泊(おとまり)、また、その地に衣服を脱いで掛けた岩があり、この岩を「座敷のもと」と呼ぶようになった。
そこから舟の尾という村に出て、この村で食糧を入れた俵を集めて積み上げた。そこは今も俵石といっている。
鬼八は、先々で大雨を降らせて邪魔を繰り返した。ある日、ミケイリは何とかして雨を止めようと思い、天の神々に祈念した。するとたちまち雨がやみ、日が差し始めた。日之影の名前はこのとき、日の姿が見えたところということで名付けられたという。
宮水の村でも大雨に遭い、道端の大木の洞穴で休んだ。雨がやんで出発するとき、休息の記念に自然石2個を残した。村人はこの石を神石として祭った、石は今も宮水神社に祭られている。
大雨に遭ってミケイリのはかまが汚れていたので、村人が洗ってやった。この村は、袴谷(はかまだに)という村になった。この村から上手に波瀬という村がある。ミケイリはここでも休憩した。そのとき、腰掛けた石を腰掛け石という。この石を粗末にすると急に腹痛が起こった。村人はしめ縄を張って波瀬神社の境内に祭った。
ミケイリは高千穂に帰り、苦心の末、鬼八を退治した。それから高千穂地方は平和な村になった。

高千穂神社社殿の袖扉にある、鬼八退治の彫刻
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

何だか、ヤマタノオロチと似たような話ですね。鬼の話もそうですが、結局のところ、攻めて行って、それに反抗する人々を征服したと言う話を綺麗にしたものでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
だいたいが、そんな感じでしょうね。
ヤマタノオロチの話ですが、出雲風土記では
スサノオは、穏健で国造りに貢献したという
感じになっていて、暴れ川の斐伊川を
治めた話がヤマタノオロチの話になった、
という説があります。
ヤマタノオロチを斬って、剣を手に入れますが、
斐伊川から採れた砂鉄から剣を作ったとか。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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