中山道・板橋宿(その二)

20170104

前回の記事で、「近藤勇墓所」から「遍照寺(馬繋ぎ場跡)」まで書きましたが、その続きです。

コース図(遍照寺(馬繋ぎ場跡)から縁切り榎までの分)
170103itabashi01.jpg


【旧板橋町役場跡】
旧中山道を外れて、ガイドさんが案内してくれました。
170103itabashi02.jpg


板橋の人にとっては、明治になってしばらく埼玉県に入っていたのがおかしいらしい(笑)
・慶応4年:明治新政府の定めた「武蔵県」に属す。
•明治2年:新設の「大宮県」に属す(のちに「浦和県」となる)。
・明治4年:「廃藩置県の令」により浦和県から東京府に移管。
※はじめて「東京の板橋」になる。

当時の役場の写真
170103itabashi03.jpg


現在は、小公園になっているが、何もない。
170103itabashi04.jpg


【板橋宿本陣】
代々、新左衛門を世襲した本陣飯田家の屋敷跡です。 参勤交代で通行した大名や幕府の公用の武士、僧や公家などが休憩しました。

大きなスーパーと民家の間に、ひっそりと立っているので、探すのに苦労した。
170103itabashi05.jpg


170103itabashi06.jpg


ここで、板橋宿を描いた浮世絵を載せておく。
英泉と広重が交互に描いているが、板橋宿のは英泉が描いている。
中央は道標を兼ねた庚申塔で、右王子道と刻むことから、右端は巣鴨庚申塚の立場茶屋である。
左端の傍示杭は宿の入口を示し、板橋宿を接近させて描く。右が王子道で、正面は板橋宿に通じる。
170103itabashi07.jpg


【文殊院】
真言宗豊山派、幡場山大聖寺と号す。本尊は文殊菩薩。 江戸初期、本陣飯田家の菩提寺として、古くから信仰を集めていた延命地蔵尊の境内をひろげて建立された。開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝える。天保6年に全焼し、安政以降正住職を置かず、赴任する仮住職も短期間で他の大寺へ転住し、出世寺とも呼ばれた。 山門脇に延命地蔵堂、境内に二大閻魔を祀る閻魔堂、足腰の守り神として知られる子の権現がある。閻魔堂内には、文化年間に番場原出土と伝えられる石棒が朝日観音として祀られている。墓地には史跡として有名な宿場時代の遊女の墓がある。本堂内には、板橋七福神の毘沙門天が奉安されている。 飯田家墓地の飯田静の墓碑は昭和63年度に、また本尊文殊菩薩は平成元年度に板橋区の有形文化財に登録された。(板橋区教育委員会掲示より)
170103itabashi08.jpg


170103itabashi09.jpg


〇延命地蔵堂
170103itabashi10.jpg


170103itabashi11.jpg


石仏が、ガードレールみたいになっていて驚いた。
170103itabashi12.jpg


〇閻魔堂
170103itabashi13.jpg


170103itabashi14.jpg


〇子の権現
170103itabashi15.jpg


170103itabashi16.jpg


酢酸の木槌が奉納されていた。
170103itabashi17.jpg


遊女の墓のある墓地には、四国八十八ケ所のお砂踏みが設けられていた。
170103itabashi18.jpg


170103itabashi19.jpg


〇遊女の墓
170103itabashi20.jpg


170103itabashi21.jpg


170103itabashi22.jpg


【脇本陣跡碑】
路地を左に入った奥の石碑は名主・飯田宇兵衛家の「脇本陣跡碑」。京都を出発した皇女和の宮の最後の宿泊地が飯田宇兵衛家であった。
170103itabashi23.jpg


170103itabashi24.jpg


170103itabashi25.jpg


「板橋」の手前、この辺に高札場があった。
170103itabashi26.jpg


【板橋】
旧中山道が石神井川を渡る地点にかけられた橋で、板橋の地名の由来となったともいわれている橋。

江戸名所図会
170103itabashi27.jpg


昔の写真
170103itabashi28.jpg


やってきました「板橋」に。
170103itabashi29.jpg


170103itabashi30.jpg


170103itabashi31.jpg


日本橋から10KM642m
170103itabashi32.jpg


説明
170103itabashi33.jpg


実は、現在橋が二つかかっているんですね。
170103itabashi34.jpg


手前(江戸より)が、昔江戸時代の位置。
170103itabashi35.jpg


昔の石神井川が流れていたところは遊歩道になっている。
170103itabashi36.jpg


これが現在の石神井川と橋
170103itabashi37.jpg


橋のたもとに、カタツムリのシンボルマークがあった。
170103itabashi38.jpg


調べてみたら、どうも「板橋かたつむり運動」のマークらしい。
「かたつむりのおやくそく」はごみを減らすための合言葉です。
・ごみになるものは買わない・もらわない
・同じものをくりかえし何度も使う
だそうです。

ちゃんこ料理屋さん
170103itabashi39.jpg


【板橋宿上宿碑】
170103itabashi40.jpg


170103itabashi41.jpg


【縁切り榎】
170103itabashi42.jpg


170103itabashi43.jpg


170103itabashi44.jpg


江戸時代には、この場所の道を挟んだ向かい側に旗本近藤登之助の抱え屋敷がありました。その垣根の際には榎(えのき)と槻(つき)の古木があり、そのうちの榎がいつの頃から縁切り榎木と呼ばれるようになりました。そして、嫁入りの際には、縁が短くなる事を恐れ、その下を通らなかったと言います。板橋宿中宿の名主であった飯田侃(かん)家の古文書によると、文久元年(1861)の和宮(かずのみや)下向の際には五十宮(いそのみや)などの姫君下向の例にならい、榎を避ける為の迂回路が作られました。そのルートは、中仙道が現在の環状7号線と交差する辺りから練馬道(富士見街道)、日曜寺門前、愛染通りを経て、板橋宿上宿へ至る1kmの道のりです。なお、この時に榎を菰(こも)で覆ったとする伝承は、その際に出された、不浄なものを筵(むしろ)で覆う事と命じた触書の内容が伝わったものと考えられ、実際は筵で覆った下を通った事はなかった。男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時に、この榎の樹皮をそぎ取り煎じ、密かに飲ませるとその願いが成就されるとされ、霊験あらたかな神木として庶民の信仰を集めた。また、近代以降は難病との縁切りや良縁を結ぶという信仰も広がり、現在も板橋宿の名所として親しまれている。 (板橋区教育委員会掲示より)

初代榎の図
現在の榎は三代目です。
170103itabashi45.jpg


「諸国道中承認鑑」に描かれている縁切り榎
170103itabashi46.jpg


大六天の社殿
もともと、縁切り榎は大六天のご神木であった。
170103itabashi47.jpg


二代目縁切り榎の一部
170103itabashi48.jpg


絵馬には、生々しい願いが色々と書かれている。
いろいろな人の人生模様が伺われる。
170103itabashi49.jpg


ここまでが、歴史クラブの行事で歩いた分でした。
ここから先は、2016年12月21日に一人で歩いた分です。

縁切り榎から志村一里塚までのコース図
170103itabashi50.jpg


縁切り榎前から歩き出します。
170103itabashi51.jpg


環七通りの下を通過。
170103itabashi52.jpg


この辺から左にカーブしている。少し行けば国道17号線と合流だ。
170103itabashi53.jpg


【種もの屋】
江戸時代、「清水夏大根のたね名物なり」と云われた。
今も一軒だけ種苗店が残る。
170103itabashi54.jpg


170103itabashi55.jpg


国道17号線(現中山道)との合流点に来た。
170103itabashi56.jpg


いま来た方向に、「ここから旧中山道」との標識があり。
170103itabashi57.jpg


国道17号線の上を走っていた首都高5号池袋線は左にカーブして離れていく。
170103itabashi58.jpg


南蔵院のすぐ手前に、17号線を行きかう人を見つめている布袋さんの石像。
170103itabashi59.jpg


【志村不動尊・南蔵院】
170103itabashi60.jpg


170103itabashi61.jpg


笠つきの、青面金剛庚申塔が素晴らしい。
170103itabashi62.jpg


境内のお地蔵さんに、無事を祈ってお参り。
170103itabashi63.jpg


170103itabashi64.jpg


不動堂もあります。
170103itabashi65.jpg


170103itabashi66.jpg


志村不動尊・南蔵院は、「関東36不動めぐり」で以前参拝しています。

その記事を見る



ここから先は、次回記事にします。

続きを読む



歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

板橋宿の中宿の辺り、板橋七福神の観明寺と文殊寺があるので、加えて、高速道路と石神井川の交差点辺りに富士塚もあるので、4,5回は行ったことがあります。あの辺りでは、文殊院が中々、良い雰囲気だったと思います。

それにしても、大昔の板橋区は都区内ではなかったのですか! ううん、荒川の北と南が境の現在の方が合理的だと思いますね。

matsumoさん

七福神めぐりに熱心なmatsumoさんですから、
やはり板橋七福神は既にやられているんですね。
明治の廃藩置県の激動期には、現在の埼玉県の
市町村も、かなりあっちこっちと変動しています。
明治維新の混乱は、こんなところでも
わかります。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop