妻沼聖天山歓喜院(式内社白鬚神社故地)/埼玉県熊谷市

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鎮座地:埼玉県熊谷市妻沼1627
参拝日:2017年1月28日

「武蔵国式内社めぐり」で訪れた。
「幡羅郡・四坐のうち白髪(しらかみ)神社」の論社として「大我井神社」、「白髪神社」の他に故地として妻沼聖天山歓喜院が挙がっている。
それは下記のような理由である。
『妻沼町史』によると、「…社殿の伝によれば、往古は白髪神社にして、延喜式に載する所の古社也。別当実盛信仰し、治承に至り、越前国金ヶ崎城より聖天宮を当社に持来り合祀す、故に社名を聖天宮と申し奉る。後に白髪神社は別に祠を建て尊を奉ぜりという」(『武乾記』という文献の引用)として、聖天院=白髪神社説をとっている。そして、「いつの時代にか、白髪神社を尊敬していた人達が、高岡稲荷大明神(現白髪神社)の祠に併祀して、今日に伝承した」と述べている。

それで今回訪問してみたが、社殿の前に狛犬が二組あり、本殿(歓喜院聖天堂)の裏に境内社が7社が今でも祀られているのを確認したので、私も「式内社白鬚神社故地」として挙げておくことにした。

寺号標
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寺伝では治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。

 実盛は藤原氏の流れである越前国の斎藤則盛の子に生まれ、幼名を助房といった。十三歳の時に故郷の越前で事件に遭遇し、縁戚である武蔵国長井庄の庄司・斎藤実直の養子となり、養父・実直の「実」と実父・則盛の「盛」を一字ずつとり「実盛」と名乗った。
 生まれ故郷の北陸地方は、古くから信仰心の深いところで、越前国の人々には早くから聖天信仰が普及していたため、実盛も幼少の頃から歓喜天を深く信仰し、自らの守り本尊と心に決め、平時には居間に祀っては朝夕の礼拝を欠かさず、戦場にあってもこの歓喜天を、かた時も離すことはなかったといわれている。
 治承三年(一一七九)、年齢も古希になった実盛は、幼少の頃から自己を護ってくれた、守り本尊の歓喜天を何処かに奉祀しようと思い立ち、芝川がめぐり木立が鬱蒼と繁る、大我井の杜が適所と考え、ここにあった古社を修復し、あらたに社殿を造営。大聖歓喜天を奉祀、「聖天宮」と奉称し、戦場で散った多くの将兵の御霊を慰めるとともに、庄内の平和と領民の安泰と繁栄を祈願するため、長井庄の総鎮守とした。
(さきたま文庫「妻沼聖天山」より)

中世には忍(おし)城主の庇護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興されたが、寛文10年(1670年)の妻沼の大火で焼失した。現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて再建されたものである。平成15年(2003年)から平成23年(2011年)まで本殿の修復工事が行われ、平成22年1(2010年)1月18日に本体工事の竣功式を、平成23年(2011年)6月1日に竣功奉告法会を執行し、同日から一般公開が始まっている。平成24年(2012年)7月9日に聖天堂(本殿)は国宝に指定された。

背の高い石灯篭の先に貴惣門がある。
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【貴惣門】
境内正面入口に位置する高さ18mの銅板葺きの八脚門。屋根を上下二重とし、下重は前後に2つの切妻屋根を架け、側面から見ると3つの破風をもつ特異な形式の門。持国天、多聞天の像を左右に配置している。妻沼の林正道により、嘉永4年竣工、安政2年(1855年)頃の完成。

横からの、三つの破風をもつ特異な眺めがこの門の特徴。
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この門の彫刻も素晴らしい。
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持国天、多聞天は修復中という掲示が出ていたが、どうやら多聞天は修復されて納められた直後らしい。
しかし、残念なことに細かい金網が張られてしまい、よく見えない。
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貴惣門をくぐると、この日は土曜日で、フリーマーケットが開催中。
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齋藤実盛像
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2016年11月に郷里に帰った際、石川県加賀市の実盛塚(篠原古戦場)、小松市の多太神社に参拝しており、最近実盛に縁が深い。

実盛塚(篠原古戦場)の記事があります。

その記事を読む


木曽義仲が、斉藤実盛の兜、鎧の大袖等を奉納した多太神社の記事があります。

その記事を読む


【四脚門】
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仁王門の前に、慶應4年(1868)年奉納の狛犬がある。
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【仁王門】
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いきなりカミさんが鳴らしたのでビックリしたが、仁王門に大きな鰐口が下がっている。
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拝殿の前に、文政7年(1824)奉納の狛犬がある。
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【国宝聖天堂(本殿)】
拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造(日光東照宮などに見られる、複数棟を一体とした建築形式)の建物である。大工棟梁は幕府作事方棟梁の平内政信の子孫の妻沼の名工林兵庫正清で、子の正信の代まで享保20年(1735年)から宝暦10年(1760年)にかけて完成されたものである。
当時の庶民・農民が永年にわたって浄財を出し続け、44年かかって完成した。多くの国宝建造物が権力者に寄って作られたのに対し、庶民の浄財で作られたのは稀有である。

奥殿は入母屋造、桁行3間・梁間3間、正面向拝付き、中殿は両下造(りょうさげづくり)、桁行3間・梁間1間、拝殿は入母屋造、桁行5間・梁間3間で、これらを接続して1棟とし、屋根はすべて瓦棒銅板葺きとする。奥殿は内外ともに彫刻、漆塗、彩色、金具等をもって華麗に装飾する装飾性の高い建築である。奥殿向拝南面羽目板の「鷲と猿」の彫刻は伝説的な彫刻職人の左甚五郎作とする伝承がある。実際の彫刻棟梁は石原吟八郎(吟八)と関口文治郎である。奥殿は柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻をほどこす。唐破風下には中国の故事にちなんだ「三聖吸酸」、「司馬温公の瓶割り」などの彫刻があり、拝殿正面唐破風下の彫刻は「琴棋書画」である。

2003年から2010年にかけての屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえった。2012年、国宝に指定。

拝殿
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向拝部分も、彩色彫刻が素晴らしい。
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拝殿正面唐破風下の彫刻は「琴棋書画」
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虎の左右の蟇股彫刻が、鬼が噛みついている様になっていて面白い。
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肘木の透かし彫刻が、鯉から龍に出世するまでを表わしている。
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そして中央の龍に
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海老虹梁(えびこうりょう)と手挟み(たばさみ)の彫刻も素晴らしい。
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いよいよ奥殿を見る。
拝観料を取られるが、そのかわりボランティアガイドの説明があり、その説明がとても良かった。
そして、カメラの撮影がOKというのも、嬉しい限りだった。

奥殿は満艦飾の彩色彫刻である。
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三手先の、白い象の奥の部分が塗られていないのは、わざと未完成のかたちにしているのだ。
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花頭窓
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大羽目の彫刻は七福神、腰羽目の彫刻は唐子遊びを主題としていて、南面から北面に向かって、春から冬への変化が植物で表現されている。

南面唐破風下の彫刻「三聖吸酸」
これは、孔子、釈迦、老子が酢をなめて、その酸っぱさを共感している様子を表現したものであり、「三聖吸酸さんせいきゅうさん」という中国の故事に由来しています。つまり、酢が酸っぱいという事実は皆同じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は一つであるという「三教一致さんきょういっち」を意味しています。
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北面唐破風下の彫刻「司馬温公の瓶割り」
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滝に落ちかけた猿を鷲が救っている図。
猿は煩悩にまつわれた人間に、鷲は歓喜天に、それぞれたとえられている。
左甚五郎の作と伝えられている。
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「吉祥天と辨天さまのすごろく」
かっては、七福神に吉祥天も入っていたそうです。
どちらが残るか、すごろくで勝負しているのでしょうか。
毘沙門天はすっかりすごろくの勝負に夢中になり、おかげていつも踏みつけられている天邪鬼が解放されてのびのびとしている。
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「小間取り遊び七人」植物は「梅」
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「竹馬遊び」植物は「桜」「蘇鉄」
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「獅子舞」
あっかんべーをしている。
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どこを見ても素晴らしい彫刻ばかり。
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私が今回飛びついたのは、桁を支えている猿。
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ガイドさんが、拝殿前に移動して教えてくれたのは、手挟み(たばさみ)にも猿が居ると(笑)
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聖天堂(本殿)の拝観が終わってから、本殿の奥に境内社があったので、それに参拝しました。
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境内社・三宝荒神社
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境内社・五社神社
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不明
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境内社・天満宮
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妻沼聖天山本殿の彫刻は、素晴らしいものでした。
これを守っている努力も素晴らしい。
ボランティアのガイドさんが説明してくださったおかげで、認識を新たにしたことが沢山あったので、有難かった。
今回の目的である、かって神社も存在していたという証も得られたので、よかった。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この神社の名前、初めて見ましたが、本殿の東照宮風の彫刻、素晴らしいですね!! これだけの彫刻、滅多にないと思います。国宝に指定されたのも納得できます。加えて、漆の修復も見事ですね。行ってみたいですが、熊谷ですか、ううん、ちょっと私の家からは遠すぎます。

最近は説明ボランティアの方、よく、いらっしゃいますね。以前に「京都市考古資料館」や「平城宮跡資料館」に行った際、説明を受けたことがあります。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
熊谷は遠いなんて言わず、一度ぜひ
見てください。
素晴らしいですから。
最近は、たいていのところで、ボランティアの
ガイドさんが居て、とても助かります。
私も、住んでいる市の史跡のボランティアガイド
をしています。
遣り甲斐のある仕事だと思っています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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