鬼平犯科帳を歩く

20170225

2月15日に歴史クラブ行事に参加して歩きました。

コースは、押上駅⇒春慶寺⇒西尾隠岐守屋敷跡⇒業平橋⇒大横川親水公園⇒出村の桜屋敷跡⇒高杉銀平道場跡⇒法恩寺⇒相模の彦十の家跡⇒勝海舟居住の地⇒五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)⇒長谷川平蔵の旧邸⇒堀部安兵衛道場跡⇒寿座跡⇒すみだ北斎美術館

コース図
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スタートは、押上駅(スカイツリー前)のソラマチ広場から。
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【春慶寺】
所在地:東京都墨田区業平2丁目14−9
春慶寺は鬼平犯科帳の中で、鬼平の親友 岸井左馬之助の寄宿先として、たびたび登場しています。とくに、「明神の次郎吉」(文春文庫第八巻所収)という作は春慶寺を舞台とした筋立てとなっており、当時の押上近辺の様子が生き生きと描かれている。

春慶寺は、元和元年(1615年)浅草森田町の地に、真如院日理上人によって創建されました。その後、寛文7年(1667年)に浅草から本所押上村に移転、現在まで約四百年の歴史を持つ由緒あるお寺です。
江戸時代から「押上の普賢さま」と称され、特に辰年、巳年守り本尊として多くの参詣人で賑わっています。当時の隆盛ぶりは、「東都歳時記」や「武江年表」等で再三紹介されています。また、天明(1781~89年)の頃に活躍した浮世絵師勝川春潮の「押上村行楽」という浮世絵には、石の道標に「押上村」「普賢菩薩」という文字が見られ、押上村の春慶寺に“お参りに行く”ことが人々の大きな楽しみであったことがうかがえます。
現在、境内には「鶴屋南北の墓」や「関東俳優之碑」が残っています。震災や大戦による災禍もあって一時、寺運が衰えたこともありましたが、昭和58年、奇特な信者の寄進と役員の努力により再興されました。そして平成13年7月、浅草通りに面した境内地に新しい堂宇を得、普賢菩薩鎮護の法華経道場としての道を歩みつづけている。

春慶寺はビルになっている。
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入り口にある「岸井左馬之助の寄宿先」碑
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鶴屋南北の墓は、お寺の前、通りに面して置かれている。
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ガラスケースに入っているのが、もともとの墓の断片。大きな墓だった。
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関東俳優之碑
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お寺の中に入り、お寺の奥さんに簡単に説明していただいた。

「御江戸大絵図」
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大判三枚続 「押上村行楽」/勝川春潮
流れている川は、北十間川。
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【西尾隠岐守屋敷跡】 墨田区業平1-13-7
遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷がありました。周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の行楽地。夜になると下屋敷は博奕場へと変わり、すねにきずを持つ者が身を隠す場所として作品に登場します。
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【業平橋】 墨田区吾妻橋3-4
「敵」の中で、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立に身を隠す場面で登場します。
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スカイツリーが良く見える。
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大きなマジックミラーが置いてあって、スカイツリーと一緒に撮れる。
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【大横川親水公園】
最初は釣り堀。鳥の被害が大きいのか、ネットを張ってある。
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色々な橋をかけたり、楽しそうな親水公園になっていた。
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【出村の桜屋敷跡】 墨田区横川1-1
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出村町には一刀流の剣客高杉銀平の道場があった。道場のとなりは、このあたりの名主・田坂直右衛門の屋敷で[桜屋敷]と呼ばれていた。
平蔵と左馬之助は田坂直右衛門の孫娘・おふさに想いを寄せていました。横川を行く、おふさの嫁入り舟を平蔵と左馬之助が万感の思いで見送る場面は心に残ります。

高札にある二十余年後の展開とは:
今は人手に渡った[桜屋敷]の前で、平蔵は剣友岸井左馬之助に出会った。若き日の平蔵と左馬之助が憧れた「桜屋敷」の孫娘「おふさ」が、嫁ぎ先の近江屋清兵衛方を追い出された後、御家人服部角之助の後添えとなっていることを知る。
昔馴染みの無宿者・相模の彦十を服部屋敷で開かれる賭場に潜り込ませ、同屋敷に小川や梅吉が出入りしている事を突き止めた。折りしも彦十の仲間の蓑虫の久から、おふさが服部屋敷にたむろする無頼浪人と小川や梅吉をそそのかし近江屋へ押し込む計画があるとの情報がもたらされた。
蓑虫の久と相模の彦十を誘った一味は全員捕縛されたが、おふさには昔の面影はなく、平蔵も左馬之助も覚えていなかった。
以後、相模の彦十は密偵となり、岸井左馬之助も平蔵を助けることになる。

高札の後ろの倉庫らしい建物には、蔦がびっしりと生えていた。
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【高杉銀平道場跡】 墨田区太平1-25-4
横川沿いの出村町にあった道場に平蔵が19歳のときに入門し、ここで生涯の友・岸井左馬之助に出会います。高杉先生から同時に目録を授けられ「竜虎」と呼ばれました。
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【法恩寺】
所在地:墨田区太平1-26-16
太田道灌ゆかりの寺で、「本所桜屋敷」では平蔵と左馬之助が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面に登場。「尻毛の長右衛門」は、この法恩寺から物語が始まります。
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門前に、雪吊りの演出。
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太田道灌と山吹の碑があり。
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ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨に遭遇して村のあばら家で蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、山吹の一枝を道灌に差し出した。道灌は怒ってその場を立ち去ったが、あとで家臣から、少女の行為は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に精進した。

この伝説の舞台がここなのか?と思い調べてみた。
場所としては、以下の諸説があり、いずれも確証はないようですが、法恩寺の辺ではないようで、早とちりしなくてよかった。
①.豊島区高田付近とする説
「山吹の里」の石碑がある面影橋近辺とする説。この近くに「山吹の里公園」もある。
②埼玉県入間郡越生町とする説
「山吹の里は山吹の咲く里ではなく、豪族山吹氏が住んでいた里で、その地は埼玉県入間郡越生町」(浅沼政直氏の説)。 越生町には「山吹の里歴史公園」がある。

本堂
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梅が綺麗だった。
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太田道灌供養五輪塔
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法恩寺橋を渡る。
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大横川親水公園がまだ続いている。
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清平橋の横に大きな水道橋がかかっている。
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【相模の彦十の家跡】 墨田区亀沢4-14-6)
彦十は本所松井町の「岡場所」に巣食う香具師あがりの無頼者。若かりし平蔵が、放蕩無頼の暮らしを送っていた頃からの取り巻きの1人です。密偵に転じると、その働きは目を見張るものがありました。
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【勝海舟居住の地】 墨田区緑4-35-6
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【五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)】 墨田区緑4丁目11−6
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境内に、「勝海舟揺籃の地」という標柱あり。
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【長谷川平蔵の旧邸】 墨田区緑4-12-7
「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所です。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。
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竪川の上を首都高7号線が走る。
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首都高のカーブが面白い。
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【堀部安兵衛道場跡】 墨田区立川3丁目15番地
安兵衛公園になっている。
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この後、墨田区史跡「寿座跡」にあるファミレス「ジョナサン」で昼食。

寿座跡(寿劇場跡):
本所相生町5丁目(現緑1丁目)にあった歌舞伎劇場寿座は、明治25年(1892)廃絶したが、廃絶を惜しむ声に支えられ、明治31年(1898)、この地に座名を引き継ぎ歌舞伎小芝居劇場として開座した。幾多の名優の芸の修行場や庶民の楽しみの場となっていたが、惜しくも昭和20年(1945)2月閉座、同年3月10日戦災により焼失し、その幕を閉じた。

昼食後、「すみだ北斎美術館」を見学。
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「すみだ北斎美術館」については、別途記事にします。

これで、この日の予定は完了。帰途につきました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「鬼平犯科帳」って、名前は聞いたことがありますが、小説の方は全く読んだことがなかったので、調べてみたら、池波正太郎が実在の人物の名前を使った捕り物小説なのですね。この手のもので読んだことがあるのは「岡本綺堂:半七捕物帖」で、これはインターネット上で著作権切れの小説等を公開している「青空文庫」よりダウンロードしたテキストファイルを携帯情報機器「ヒューレットパッカード:HP-200LX」でほぼ全部、読みました。現在のタブレットパソコンやスマートフォンの液晶画面で小説等を読むと言うことの走りでした。当時は時代の最先端のことをやっていたのですが、今は最古参のことばかりです(笑)。

四季歩さんが歩かれたルートの内、大横川を埋め立てた細長い公園は、家からすみだトリフォニーホールに歩いていく途中のルートとしてよく使っていますが、なるほど、このルートの近くには色々な史蹟があるのですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、この小説はほとんど読んだことは
ありませんが、テレビドラマはBSで
毎晩のように放送されていますね。
けっこう人気があるみたいですよ。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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