出雲路幸神社・鴨川デルタ・出雲郷ゆかりの地

20170413

3月22日、青春18キップの旅の初日、日吉大社、大田神社、山城国一之宮・賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)に参拝し、バスで地下鉄「北山駅」に出て、地下鉄「今出川」駅に移動しました。
これから訪ねるのは、鴨川西岸に広がる出雲路町です。この地域は古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来します。

このことを知ったのは、岡本雅享氏の「出雲を源郷とする人たち」によってでした。
埼玉県に出雲系の神社が多く、自然と出雲族の痕跡に関心が強くなったので、今回の「18キップの旅」のサブテーマを「出雲族の痕跡」としています。

賀茂川と高野川が合流し鴨川となるY字地帯(京都市左京区下鴨)に鎮座する賀茂御祖神社(下鴨神社) の境内に、山城(背)国愛宕郡の式内社、出雲井於(いのへの)神社の比定社(通称比良木社)がある。この出雲社に近い西鳥居を出て賀茂川へ向かうと、出雲路橋を渡り、同川西岸に広がる出雲路(松ノ下・立テ本・俵・神楽)町に至る。そのまま鞍馬口通を西へ向かい、出雲路橋郵便局方面へ曲がって南へ進むと、出雲寺跡といわれる御霊神社に辿り着く。その200mほど南西には現出雲寺がある。この賀茂川西岸に分布する出雲の地名や社寺は、古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来する。

八世紀、神賀詞奏上のため60年間で15回という頻度で大和入りしていた出雲国造たちは、途上にある山背の出雲郷に立ち寄り、藤原・平城京で官人として働く出雲臣たちから畿内政権の動向など聞いていたのだろう。出雲国造は延暦17(798)年まで大領として政治権力を維持していた。山背の出雲郷は、その出雲国造の意向で作られた、出雲人の一大拠点だったのではないかと推定されている。

その出雲郷の跡に、「出雲路」という地名が残っている。
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上賀茂神社のあと、下鴨神社に参拝するのは当然ですが、この日はまだ時間に余裕があるので、このようにルートを決めました。
逆時計回りに回ることにして、今出川駅⇒出雲路・幸神社⇒鴨川デルタ⇒河合神社⇒糺の森⇒賀茂御祖神社(下鴨神社)⇒出雲路橋⇒出雲路郵便局前⇒御霊神社⇒出雲寺⇒出雲路神楽町。

鴨川デルタを入れたのは、テレビで良く見ているので、ぜひ渡ってみたいという、いかにも子供っぽい気持ちから(笑)

地下鉄今出川駅を降りて、今出川通りを鴨川に向かって歩く。
左側が同志社大学、右側が御所。
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同志社大学
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京都御所今出川御門
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京都御所が切れたところでちょっと北に出雲路・幸神社がある。
下図で赤字のところ。
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京都御所の角を左折していくと、突き当たりにある。
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出雲路・幸神社(さいのかみのやしろ)】
鎮座地:京都府京都市上京区幸神町303
参拝日:2017年3月22日

社号標
「皇城鬼門除 出雲路幸神社」とある。
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当社の祭祀は遠く神代に始まり、天武天皇の白鳳元年(661年)に再興。桓武天皇の延暦13年(794年)、平安京の鬼門除守護神として改めて社殿を造営。2年後のこととも。平安遷都後初めての神社とも言われる。

『延喜式』に、外国使臣の来朝に際し、洛中洛外の境である当所において、使臣などの入京に先立ち、祓の麻を賜い、神事を修すとある。現今、諸方の神社で御礼(大麻)、御守(小麻)を授与することの原形とされる。

『百練抄』と当社所蔵の旧記によれば、朱雀天皇の天慶2年(939年)に御分霊を内裏に奉遷、庚申祭を執行した。また、同旧記によれば、一条天皇の長保元年(999年)、天慶同様の儀を執行した。

『本朝世記』では、近衛天皇の久安4年(1148年)3月4日の皇宮炎上によって類焼とみえ、『明月記』に、後堀河天皇の嘉緑2年(1226年)、近隣民家の出火で類焼とある。

社号に幸の字をあてた時代は判明しないが、天和2年(1682年)、神主奥村右京の記した縁起や、権律師長学院光栄の筆になる縁起に現社号がすでに見られる。

応仁の乱において、細川勝元が当地に陣し、西の山名宗全と合戦、その兵火によって焼失。社地は荒廃したが、祭祀は受け継がれ、当社旧記に種々の記録が見える。

慶長年間(1596年-1615年)、豊臣秀吉による京都整備において、封域を大幅に縮小させられて、小祠となった。

しかし天和2年(1682年)、会津藩出身の奥村右京仲之が神主として復興、次いで宝永2年(1705年)、僧光栄が立願して再建、西隣を社地に編入する。翌3年には神輿を奉造する。

同5年、類焼して灰燼に帰したが、翌6年に再建、さらに東隣を社地に加え、往時の姿を整える。寛保3年(1743年)には桜町天皇が神輿を寄進。天明8年、京都の大火でまた類焼し、その後再建。

明治6年(1873年)に村社に列格、明治25年(1892年)に公費供進社に指定される。

入り口の鳥居
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由緒書き
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中に入る。
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手水舎
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享保2年(1717)の石灯篭
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拝殿
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社額
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本殿
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本殿の東側に祀られている木彫りの猿の神像
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御祭神は、猿田彦神

相殿神が、天之御中主日御神、可美葦牙彦舅尊、天照皇太神、皇孫瓊々杵尊、天鈿女命、大国主尊、少彦名太神、事代主命。

境内北東、結界の中に石神がある。
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神石の脇にも境内社が一つあり、猿田彦社だと思われる。
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石神
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出雲路の道祖神社では、本殿の右裏手の 結界の中に鎮座する陽石が実質的な愛法神の御神体である。狂言の「石神」には、夫と離縁したい妻がこの石神で占いをする場 面がある。これは、相談をもちかけられた 仲人が「出雲路の夜叉神を引いてあなたの心を決めなさい」と勧めたためだ。夜叉神は石神(しゃくじんn)が訛ったという説もあるが、東寺の夜叉神の例を思いあわせれば納得される名だ。願いをかけながら石神を持ち上げて みて、上がればよし、上がらぬときは不成就というのが「夜叉神を引く」占いの方法 である。これには裏があって、離縁したくない夫は先回りして夜叉神に化け、何とか妻を思いとどまらせようとするのだ。いざ占おうとするとき妻が歌う、「わが恋は遂ぎよずやらう、末遂ぎよずやらう、上がれ 上がれ、上が上がらしめの石神」という謡から推測すると、恋の行方を占うために石神を待ち上げてみる、というのが本来のあり方のようである。 結局夫の企みは失敗し、妻が「やるまいぞ」と追いかけて終わりになるが、不思議なのはこの妻が、「私は神子の子孫だから 神に御苦労をかけたお詫びに神楽を舞って帰りましょう」という狂言のせりふである。 神子とは巫女と同義だから、道祖神の前で法楽の舞を舞う妻の姿に、愛法神を祀る伊賀専女のような巫女の古代的イメージを重ねあわせてみるのもいいかもしれない。
-『京都魔界めぐり』-

境内社は、三天社、稲荷社、竃神社、天満宮、淡島社、春日社、厳島神社、稲荷神社、金毘羅社、疫神社。
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これで、出雲路・幸神社の参拝を終え、再び今出川通りを鴨川に向かって歩くと「賀茂大橋」に出る。
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鴨川デルタ
「鴨川デルタ」と呼ばれる京都・出町柳の鴨川三角州。
京都の川の代名詞と言えば「鴨川」ですが、市内中心部を流れる情緒豊かな川は実は「鴨川デルタ」が出発点です。東から流れてくる高野川と西から流れてくる賀茂川が合流して、鴨川となります。
この合流点に「飛び石」が置かれ、休日ともなると学生や親子連れで賑わう市民の憩いの場。近年では映画やアニメのロケ地として観光客にも有名となりました。

賀茂大橋のすぐ近くにある「飛び石」
飛び石を渡って興じる若者たちを、老夫婦がのんびり眺めていました。
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私も渡っていきます。

亀や千鳥の形の飛び石もあり、亀の頭に乗って楽しんでいる。
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賀茂川の上流方向
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楽しそうです。
私は独り(苦笑)
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悠然と上流を見つめる亀。
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ちょっと流れの速いところは、ちょっとスリルもあり。
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デルタに渡った。
しばらく若者が興じている様子を眺めた。
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高野川のほうにも飛び石があるが、私はデルタを北上するので、こっちは渡らず。
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白鷺ものんびりと。
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北上します。
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河原にあったマップを見ると、飛び石は三か所あるんですね。
私が渡ったのはデルタの先端を介している、一番上流のものだった。
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河原から上に上がると、「出町橋」のところです。
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ここから、「鴨川公園」に入る。
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少しいくと、「糺(ただす」の森になります。
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糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)は、京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林である。
賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、およそ12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積がある。森林の全域が1983年(昭和58年)に国の史跡として指定を受け、保存されている。また、1994年(平成6年)には下鴨神社全域が世界遺産に登録されている。

糺の森を進むと、「河合神社」、賀茂御祖神社(下鴨神社)があり、それに参拝しました。
これは別途記事とします。

賀茂御祖神社(下鴨神社)の参拝を終え、出雲路地区を散策します。
コースは、出雲路橋⇒出雲路郵便局⇒御霊神社⇒出雲寺。
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出雲路地区
出雲路橋を渡ると、賀茂川西岸に広がる出雲路(松ノ下・立テ本・俵・神楽)町がある。そのまま鞍馬口通を西へ向かい、出雲路橋郵便局方面へ曲がって南へ進むと、出雲寺跡といわれる御霊神社に辿り着く。その200mほど南西には現出雲寺がある。この賀茂川西岸に分布する出雲の地名や社寺は、古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来する。

八世紀、神賀詞奏上のため60年間で15回という頻度で大和入りしていた出雲国造たちは、途上にある山背(山城)の出雲郷に立ち寄り、藤原・平城京で官人として働く出雲臣たちから畿内政権の動向など聞いていたのだろう。出雲国造は延暦17(798)年まで大領として政治権力を維持していた。山背の出雲郷は、その出雲国造の意向で作られた、出雲人の一大拠点だったのではないかと推定されている。

出雲路橋
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出雲路橋上からの賀茂川の眺め。
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出雲路橋を渡ってすぐのところに、賀茂御祖神社(下鴨神社)の社号標がある。
ここまで、かっては下鴨神社の社域だった。
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鞍馬口通り
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出雲路橋郵便局がある道に左折してすぐに、出雲路橋郵便局があり。
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出雲寺跡といわれる御霊神社に着きました。
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御霊神社については、別記事とします。

御霊神社参拝のあと、現在の出雲寺を探しましたが、ちょっと苦労しました。

出雲寺
所在地:京都府京都市上京区藪之下町

一時荒廃し、江戸中期には観音堂が残るのみだった。『山州名跡志』に、御霊社の観音堂は 「神殿北に在り。本尊聖観音(立像五尺四寸)……此の地始め伽藍あって上出雲寺と号す。其の一堂の本尊なり」 とある。
その観音堂は明治維新の神仏分離に伴い、光明山念仏寺に遷された。
戦後、出雲寺に改称した念仏寺が、今の出雲寺だ。

入り口の門
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境内は狭い。
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本堂
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境内
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本尊を拝したかったが、もう17時を過ぎており、人の気配もなかった。

近年、出雲寺をめぐる考古学上の発見が続いているそうだ。2004年、京都市埋蔵文化財研究所が相国寺境内で行った調査では、古代出雲郷の集落跡とみられる、七世紀後半の竪穴住居20棟と八世紀前半の掘立柱建物二棟が見つかった。江戸前期の『薙州府志』は 「出雲寺町は相国寺慈照院の北に在り……是れ古の上出雲寺の有る所也」と伝える。慈照院は相国寺境内の北西角にあり、上御霊神社にも近い。竪穴住居跡では、鞴(ふいご)の羽口など鉄製品を作る道具や鉄くず、白鳳時代の瓦も発見された。
発掘を担当した東洋一氏は、大型の掘立柱建物は出雲郷計帳に載る出雲臣の屋敷で、それに先立つ竪穴住居には製鉄技術を備えた出雲人が住み、出雲寺の建設に関わっていたとみる。
2015年夏にも、御霊神社西隣の上京遺跡で七世紀後半の建物跡が見つかった。発掘にあたった古代文化調査会の家崎孝治代表は、出雲郷計帳の有力出雲臣の早期屋敷跡とみる。


これで、出雲路地域の探訪を終え、「出雲路神楽町」のバス停でバスに乗ろうとしたが、ここからは京都駅には出ない路線だった。
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さっき鴨川デルタから北上したときに、鴨川公園入口のバス停「新葵橋」にけっこう続けてバスが来ていたのを思い出し、賀茂川の反対側に向かった。
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バス停「新葵橋」からバスで、京都駅に出た。
今夜の宿泊は、JR奈良駅近くのホテルを予約してあるので、JR奈良線で奈良に向かった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

出雲路幸神社ですが、そこから歩いて3分位の所に「本満寺」と言う大きな枝垂れ桜が植えられているお寺があるので、昨年の春はそこに行く途中に3回程、その神社に行ったので、懐かしく思いながら読ませていただきました。と言っても、私の場合は桜の撮影だったので、名前が珍しいと思って単に寄ったと言うだけでしたが。

鴨川の飛び石って、面白いですよね。東京で行ったら、落ちたら誰が責任を負うんだと言う話になりそうですが、さすがに、京都ではそう言うことはないようですね。このほか、確か、白川にもありましたし。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
ほんとに鴨川の飛び石って、面白かったです。
東京、というか、現代の世の中って、
どうしてこんなにギスギスしてるんでしょうかね。

ある程度「自己責任」というのは、当たり前だと
思うのですが。
何かあったら、他人のせいにするのは、
どうにかならないんでしょうか。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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