御靈神社(上御霊神社)

20170421

鎮座地:京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495
参拝日:2017年3月22日

青春18キップの旅の初日、比叡山坂本の日吉大社に参拝してから京都に出て、大田神社、山城国一之宮・賀茂別雷神社(上賀茂神社)に参拝し、その後出雲路・幸神社に参拝した後、鴨川デルタから北上して河合神社、山城国一之宮・賀茂御祖神社(下鴨神社)、続いて当社に参拝しました。

今回ここを訪ねたのは、鴨川西岸に広がる出雲路町(この地域は古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来する)訪問の一環です。

このことを知ったのは、岡本雅享氏の「出雲を源郷とする人たち」によってでした。
埼玉県に出雲系の神社が多く、自然と出雲族の痕跡に関心が強くなったので、今回の「18キップの旅」のサブテーマを「出雲族の痕跡」としています。

賀茂川と高野川が合流し鴨川となるY字地帯(京都市左京区下鴨)に鎮座する賀茂御祖神社(下鴨神
社) の境内に、山城(背)国愛宕郡の式内社、出雲井於(いのへの)神社の比定社(通称比良木社)がある。この出雲社に近い西鳥居を出て賀茂川へ向かうと、出雲路橋を渡り、同川西岸に広がる出雲路(松ノ下・立テ本・俵・神楽)町に至る。そのまま鞍馬口通を西へ向かい、出雲路橋郵便局方面へ曲がって南へ進むと、出雲寺跡といわれる御霊神社に辿り着く。その200mほど南西には現出雲寺がある。この賀茂川西岸に分布する出雲の地名や社寺は、古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来する。

八世紀、神賀詞奏上のため60年間で15回という頻度で大和入りしていた出雲国造たちは、途上にある山背の出雲郷に立ち寄り、藤原・平城京で官人として働く出雲臣たちから畿内政権の動向など聞いていたのだろう。出雲国造は延暦17(798)年まで大領として政治権力を維持していた。山背の出雲郷は、その出雲国造の意向で作られた、出雲人の一大拠点だったのではないかと推定されている。

 京都市上京区の御霊神社は中京区の下御霊神社に対し、上御霊神社とも呼ばれる。同社地にあったという出雲寺も、度々上出雲寺と呼ばれた。江戸中期『山州名跡志』は、上出雲寺は「今の上御霊社地にあり。(平安)遷都巳前の草創也。……地を出雲路と称す」 (巻21)という。出雲路=出雲寺だったのかもしれない。
文献上は『智証大師年譜』 に天安2(858)年12月27日 「帝城に入り、出雲寺に寓す」 とあるのが早いが、創建は神亀3(726)年の愛宕郡出雲郷計帳以前に遡るとみられる。
御霊神社境内で1936年頃、白鳳時代の瓦が出土した。出雲寺の遺物とされるその瓦を2005年に調べた前田義明・現京都市考古資料館長は、早期の瓦が藤原京本薬師寺跡の瓦と酷似する点から、出雲寺の建立を700年前後とみる。
各種記録には、京都で疫病が流行した時には出雲寺で供養が行われている。
出雲寺を御霊信仰と結びつけたのは 「出雲の神は崇る」 と考えた畿内政権貴族だろう。
その後、御霊堂が栄える傍ら出雲寺が衰退し、主従逆転したようだ。

入り口
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鳥居の横には、「応仁の乱勃発の地」という碑が立っている。
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ちょうど、呉座勇一氏著「応仁の乱」を読み進んでいる最中だったので、ちょうど良かった。
これまで、日野富子くらいしか記憶になかったが、これを読んでみるとおびただしい人物が関係しているのに唖然とする。

社号標
式内社 山城國愛宕郡 出雲井於神社 大 月次相嘗新嘗 私云神式第二相嘗祭出雲井上上社一座是也、式内社 山城國愛宕郡 出雲高野神社、旧府社
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桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らであった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。

現在の下御霊神社を下出雲寺御霊堂、当社は上出雲寺御霊堂と称した。朝廷の篤い崇敬を受け、至徳元年には正一位の神階を授けられた。

室町時代の文正2年(1467年)1月18日、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘が当社境内の森で行われた(御霊合戦)。この戦いは応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱発祥の地とされる。
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四脚門の前に、大正14年奉納の京うちわ型尾の狛犬があり。
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楼門(四脚門)
伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられています。
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随身
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手水舎
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参道の中ほどに、明治28年(1895)奉納の、浪速型狛犬があり。
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舞殿
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舞殿の奥に拝殿があり。
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拝殿前には、天保15年(1844)奉納の京うちわ型尾の狛犬があり。
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拝殿
享保18年(1733)御寄進の内裏賢所御殿の由緒ある遺構を昭和45年に復原したものです。
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拝殿内、幣殿の前には随身が侍り、獅子狛犬も侍っている。
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平安時代に確立された、官国弊社の狛犬の基準は「獅子は金箔を押し、毛髪には緑青を塗り、金の毛描きを施す。狛犬は、銀箔を押し、毛髪には群青を塗り、銀の毛描きを施す。」とある。
ここのは、獅子狛犬とも金箔だが、色は守られている。
この姿のものを、遠いのでズームしたカメラを通してだが、肉眼で見られたのは、とても嬉しかった。
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本殿
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ご祭神:
社伝によると、延暦十三年(794)、崇道天皇の神霊を祀り、後に七座を加えたという。
「八所御霊」と称される。
崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麿)
火雷神(以上六柱の荒魂。)
吉備大臣(吉備真備)

祭神は9世紀前半から民衆の間で広まり、863年(貞観5年)には公式の御霊会で祭られるようになった御霊信仰が元になっている。当初の御霊会で祭られたのは崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使(藤原仲成、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文室宮田麻呂)の六所御霊であった。追加された二神について、火雷神は菅原道真、吉備聖霊は吉備内親王、または伝承にある井上内親王が産んだ皇子とする説、さらに火雷神は落雷を司る雷精で、吉備聖霊は鬼魅(災事を起こさせる霊力)であると解釈する説もある。

相殿に小倉実起・小倉公連・中納言典待局・小倉季判、若宮に和光明神(菅原和子)を配祀する。

これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。


神紋は、「有職桐」という。複雑な紋である。
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絵馬所
宝暦年中(江戸時代中期)御寄進の内裏賢所権殿を絵馬所につくり改めたもの。
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境内社ですが、貴重な狛犬がたくさん見られて舞い上がってしまっていて、ほとんど参拝てきていなかった(汗)

「福寿稲荷神社」のみです。
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松尾芭蕉の句碑がありました。
俳聖松尾芭蕉は元禄3年(1690)当社に参詣「半日は神を友にや年忘」の句を奉納した。
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これで参拝を終えて、西門から退出しました。
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西門
寛政年間(江戸時代中期)に再建されたものです。
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こちらの社号標は、時計つきのものだった(笑)
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時計は、ちゃんと動いていました。
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この後、現在の出雲寺を訪ね、この日の予定は終了。
バスで京都駅に向かい、京都から奈良までJRで移動。JR奈良駅近くのホテルに入り、長かった「青春18キップ・初日」が終わりました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

上御霊神社ですか、名前は知っていますが、今まで行ったことはありません。不思議に思って調べてみたら、この一角は相国寺までで、それ以上、北へは行ったことがありません。それにしても、結構、広い境内の上、狛犬も豊富なようで、次回、京都に行った時に寄りたいと思いました。

本殿内の狛犬ですが、なるほど、本殿内もきちんと見なければならないのですね。私の場合、信仰に直接関係する部分は撮影しないことにしているので、本殿内はまともに見ないことがほとんどなのですが、狛犬を見たい場合は、きちんと本殿内も見なければならないのですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、勉強のために拝殿、幣殿の様子は
確認しています。
依り代は鏡か御幣か、真榊、鉾、旗の様子。
四神旗があるかないか、とか。
狛犬も、どんなものがどこに居るか、とか。
勉強させてもらっています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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