大和国一之宮・大神神社

20170501

鎮座地:奈良県桜井市三輪1422
参拝日:2017年3月23日

青春18キップの旅の二日目、ホテルで朝食後JR奈良駅8:00発の桜井線に乗り、三輪駅8:25に降り立ちました。
いよいよ奈良大和の三輪・巻向地域の旅のスタートです。

三輪駅から、大神神社と反対方向に向かい、大鳥居に向かいます。

さすがに大鳥居はデカイ!!
170501oomiwa01.jpg


大鳥居と三輪山
170501oomiwa02.jpg


昭和59年10月13日 昭和天皇陛下行幸を記念、ご在位60年を奉祝し、この大鳥居が建立された。
高さ 32.2m、柱間 23.0m、柱の直径 3.0m、本体総重量 180トン というもの。

圧倒されます。
170501oomiwa03.jpg


170501oomiwa04.jpg


大鳥居から真っ直ぐ道が二の鳥居に向かっているが、それからちょっと外れて、大鳥から100mほど歩くと、一の鳥居がある。

社号標
式内社 大和國城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗、大和國一宮、旧官幣大社
別称を「三輪明神」・「三輪神社」とも。
170501oomiwa05.jpg



神武東征以前より纏向一帯に勢力を持った先住豪族である磯城彦が崇敬し、代々族長によって磐座祭祀が営まれた日本最古の神社の一つで、皇室の尊厳も篤く外戚を結んだことから神聖な信仰の場であったと考えられる[1]。旧来は大神大物主神社と呼ばれた[2]。

三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、江戸時代に地元三輪薬師堂の松田氏を棟梁として造営された拝殿[3]から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。三輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川と巻向川にはさまれた地域(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われた。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。三つ鳥居から辺津磐座までが禁足地で、4~5世紀の布留式土器や須恵器・子持勾玉・臼玉が出土した。三輪山から出土する須恵器の大半は大阪府堺市の泉北丘陵にある泉北古窯址群で焼かれたことが判明した。

全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されており、既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い。

例年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉が吊るされる、これが各地の造り酒屋へと伝わった。

国史には奉幣や神階の昇進など当社に関する記事が多数あり、朝廷から厚く信仰されていたことがわかる。貞観元年(859年)2月、神階は最高位の正一位に達した。また、『延喜式神名帳』には「大和国城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗」と記載され、名神大社に列している。

現代においても、今上天皇が複数回参拝(皇太子時代を含む)しており、美智子皇后は毎年4月に催される「鎮花祭(はなしずめのまつり)」に心引かれたという。

神階:
六国史における神階奉叙の記録。いずれも神名は「大神大物主神」と記される。
嘉祥3年(850年)10月7日、正三位 (『日本文徳天皇実録』)
仁寿2年(852年)12月14日、従二位 (『日本文徳天皇実録』)
貞観元年(859年)正月27日、従二位勲二等から従一位勲二等 (『日本三代実録』)
貞観元年(859年)2月、正一位勲二等 (『日本三代実録』)

木製の一の鳥居
170501oomiwa06.jpg


神橋は渡れず、脇を通る。
170501oomiwa07.jpg


大鳥居からの道と合流、車道の脇に砂利の参道がある。
170501oomiwa08.jpg


JR桜井線の踏切を渡る。
170501oomiwa09.jpg


二の鳥居に到着。
170501oomiwa10.jpg


ここまできて、今日の巡拝の都合上、先に素佐男神社に参拝しました。
記事はアップしてあります。

素佐男神社から二の鳥居に戻って来て、いよいよ大神神社に参拝。

境内図
170501oomiwa11.jpg


二の鳥居の斜め前に「幽玄」と書かれた木札があります。
この文字は、大神様を深く信仰なさった福田青山師の筆になりもの。
傍書には「探幽入玄談玄口不開不言大教言外の教即随神の大道也」とあります。
福田青山師は、明治13年和歌山県那賀郡岩出町に生まれ昭和42年、88才で亡くなられているが、社会に貢献することを徳とされた方。
170501oomiwa12.jpg


二の鳥居
170501oomiwa13.jpg


掲額には「三輪明神」とある。
170501oomiwa14.jpg


気持ちのいい参道をいきます。
170501oomiwa15.jpg


神橋
170501oomiwa16.jpg


「祓戸神社」で禊をしてから参拝します。
170501oomiwa17.jpg


170501oomiwa18.jpg


〇夫婦岩
170501oomiwa19.jpg


170501oomiwa20.jpg


170501oomiwa21.jpg


手水舎
170501oomiwa22.jpg


ご祭神大物主神が蛇神であることから、巳の口から水が出ている。
170501oomiwa23.jpg


○しるしの杉
三輪の七本杉の一つであり、保存されている。
言い伝えでは、勢州奄芸郡の猟人が異女に逢って妻にし一児を儲けた。その後、母子の去った所は分からないという歌がある。
恋しくは尋ねてもみよ我が宿は三輪山もと杉たてる門
夫はこれを尋ね求めて神木の本で会い、三人同じく神となった。当社の祭に勢州奄芸郡の人が来て執行するのはその縁による。
(『国花記』による)
170501oomiwa24.jpg


この石段を上がると拝殿前広場だが、石段の右に「衣掛の杉」がある。
170501oomiwa25.jpg


〇衣掛の杉
170501oomiwa26.jpg


170501oomiwa27.jpg


170501oomiwa28.jpg


石段を上がる。
170501oomiwa29.jpg


石段の上には、通常の鳥居とは違った、三輪神社独特の「注連柱(しめはしら)」が立つ。
170501oomiwa30.jpg


注連柱をくぐると、拝殿前の広場です。
170501oomiwa31.jpg


170501oomiwa32.jpg


拝殿の右前に「巳の神杉」があります。
物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられたご神木。樹齢500年とも言われる。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている。
170501oomiwa33.jpg


170501oomiwa34.jpg


やはり、神々しい樹です。
170501oomiwa35.jpg


170501oomiwa36.jpg


170501oomiwa37.jpg


170501oomiwa38.jpg


大好物の卵が供えられている。
170501oomiwa39.jpg


拝殿
江戸時代中期、寛文4年(1664年)の造営。大正10年4月30日重要文化財指定。
170501oomiwa40.jpg


170501oomiwa41.jpg


170501oomiwa42.jpg


170501oomiwa43.jpg


170501oomiwa44.jpg


私たちは普通、柏手(かしわで)と礼拝で参拝するが、三輪の周辺では拝殿前に御幣が供えられていて、参拝者が自分で御幣を振って浄めてから参拝が出来るようになっている。
そのようにしている方がわりと多かったが、私は慣れぬことはするほうでは無いのでしなかった。
170501oomiwa45.jpg


檜皮葺きの厚いこと。
170501oomiwa46.jpg


170501oomiwa47.jpg


当社には本殿はなく、三輪山(三諸山)を祀る神社。
三輪山は典型的な神奈備山で、山中には幾つかの磐座がある。
また、拝殿奥に、社伝に「一社の神秘なり」と記された三つ鳥居があり、そこから奥は禁足地となっている。

三つ鳥居は、希望すれば拝観できるようだが、時間の関係もあり、大神神社を特集したテレビ番組で見ているので省略しました。

ご祭神:
主祭神は、大物主大神 (おおものぬしのおおかみ、倭大物主櫛甕玉命ともいう)

大物主神は蛇神であると考えられ水神または雷神としての性格を合わせ持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として特段篤い信仰を集めている。また日本国の守護神(軍神)、氏族神(三輪氏の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。

ご配神は、大己貴神 (おおなむちのかみ)と少彦名神 (すくなひこなのかみ)。

祭神の伝承:
記紀には、次の記述がある。大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りをしていたが、大国主が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために国造りなかばにして少彦名神は常世に帰ってしまった。大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂(和魂)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神である。

崇神天皇5年から疫病が流行り民が死亡し、同6年には、百姓流離し国に叛くものがあって、憂慮した天皇は、天照大神と倭大国魂神を祀るが安からず、天照大神を豊鍬入姫命に託して笠縫邑に祀り倭大国魂神を渟名城入媛命に託して祀るが髪が抜け落ちてやせ細り祭祀が出来なくなった(崇神記六年条)。 同7年2月、巫女的な性格を持つ皇女倭迹迹日百襲媛命に憑依して、大物主神を祀れば平らぐと神懸りし、その後、天皇に大物主神が夢懸りして現れ、その神託に従って同7年11月に物部連の祖伊香色雄(いかがしこを)に命じ、磯城彦後裔である三輪氏の祖である茅渟県(ちぬあがた)陶邑(東陶器村)の意富多多泥古(大田田根子)を探し出して祭祀主として大物主神を祀らせた。その結果、国内が鎮まり、五穀豊穣して百姓が賑わった(崇神記七年二月辛卯条)。

倭迹迹日百襲媛命は聡明で未来を予言することができた。崇神天皇の命により北陸道を平定しようと出発した将軍の大彦命が道中で不思議な童歌を詠う少女に出会った。大彦命はただちに引き返して天皇に報告した。これを聞いた倭迹迹日百襲媛命は武埴安彦命と吾田媛の反逆を予言した。武埴安彦命らによる反乱は大彦命・彦国葺命らによって討伐された。 その後月日は流れ、倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻になった。しかしこの神はいつも夜にしか姫のところへやって来ず姿を見ることができなかった。百襲姫は夫にお姿を見たいので朝までいてほしいと頼んだ。翌朝明るくなって見たものは夫の美しい蛇の姿であった。百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて三輪山に帰ってしまった。百襲姫はこれを後悔して泣き崩れた拍子に、箸が陰部を突き絶命してしまった(もしくは、箸で陰部を突き命を絶った)。百襲姫は大市に葬られた。時の人はこの墓を箸墓と呼んだ。

さらに『日本書紀』によると、雄略天皇六年、天皇は少子部連スガル(蜾蠃)に、三輪山の神が見たいので、捕って来いと命じたところ、少子部連スガルは三輪山に登り大きな蛇を捕えてきて、天皇にお見せした。
天皇は斎戒していなかったため、大蛇は雷のごとき音をたて、目を輝かせてたという。

このように、当社祭神大物主神は蛇神であり、雷神である。

また、大物主神は密かに陶津耳命の娘・活玉依姫のもとへ通い、活玉依姫が妊娠。
父母は怪しんで、針を苧玉巻(おだまき:糸を巻く玉)につけ、神の裳にかけさせた。
明朝、その糸を辿ると、三諸山に行き着いた。
糸を巻いて輪にしたものが三丸(三輪のこと)残っていたので三諸山と号し、三輪という。


神紋は、「三本杉」と「三つ輪」
170501oomiwa48.jpg


170501oomiwa49.jpg


勅使殿
170501oomiwa50.jpg


大神神社参拝はこれで終え、摂末社参拝に向かいます。
その範囲が広大で、「山野辺の道」に沿って行うことになります。

「くすり道」を上がります。
薬の神様・狭井神社さいじんじゃへの参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられている。
170501oomiwa51.jpg


170501oomiwa52.jpg


「山野辺の道」に出ました。
170501oomiwa53.jpg


170501oomiwa54.jpg


「医薬の神さま」の碑
170501oomiwa55.jpg


170501oomiwa56.jpg


「くすり道」から「山野辺の道」に出たところから、一旦大神神社の方に戻り、摂社・活日神社に参拝。

【摂社・活日神社】
ご祭神:高橋活日命
170501oomiwa57.jpg


170501oomiwa58.jpg


170501oomiwa59.jpg


170501oomiwa60.jpg


そして、狭井神社の方向に進み、摂社・磐座神社に参拝。

【摂社・磐座神社】
ご祭神:少彦名神
鳥居の向こうには社殿がありません。神の鎮まる磐座をご神座とし、薬の神様である少彦名命を祀ります。
磐座信仰の根付く三輪山には、奥津磐座・中津磐座・辺津磐座と呼ばれる磐座群が鎮まります。三輪山の麓に位置する磐座神社の磐座は、辺津磐座の一つということになります。
170501oomiwa61.jpg


170501oomiwa62.jpg


170501oomiwa63.jpg


170501oomiwa64.jpg


170501oomiwa65.jpg


更に「山野辺の道」を歩き、摂社・狭井神社に出ました。
摂社・狭井神社は次の記事となります。



「神社巡拝」に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

私はここに山辺の道から入ったのですが、「大神神社」と書かれていたので、「ふうん、おおがみじんじゃか」としか思わず、まさか、「三輪大社」のこととは思いもしませんでした。そして、家に戻ってから、ここが「大神神社」と書いて「みわじんじゃ」と読むことを知りました。

確かに、拝殿の前に皇室から奉納された花輪みたいなものが置かれていたので、重要な神社だとは思ったのですが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
それは残念でしたね。
ぜひ、大鳥居からの長い参道を
歩いていただきたかったですね。
山の辺の道には、重要な神社が
多いですね。
当然と云えば当然ですが。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop