高橋活日命(たかはしいくひのみこと)/日本の神々の話

20170502

『日本書紀』に登場する神。
酒造り杜氏の神様として奈良県桜井市三輪の大神神社・摂社「活日神社」に祀られている。

『日本書紀』によると、
「すなわち祟神天皇八年夏四月乙卯十六日、高橋邑の人、活日を以って大神(おおみわ)の掌酒となし給ふ」とあり、「八年冬十二月乙卯二十日、天皇、大田田根子をもって大神を祭(いは)はしめ給ふ。是の日に活日、自ら神酒を挙(ささ)げて天皇に献り仍りて歌して曰さく、この神酒(みき)ならず大倭(やまと)なす大物主に 醸みし神酒 いくひさいくひさかく歌ひて神宮に宴したまふ。即ち宴竟(おわ)りて諸大夫など歌ひて曰はく、うま酒 みわのとのの 朝戸にも 出でて行かな 三輪のとのどをここにおいて天皇歌し曰はく、うまざけ 三輪のとのの あさとにも押しひらかね みわのとのどをすなわち神宮の門を開きて幸行(いでま)しぬ。いはゆる大田田根子は今の三輪君等の始祖なり」
 
第十代崇神天皇(実在する最古の天皇)時代、国は疫病の流行で混乱を極めていました。天皇はどうすれば良いのか・・・と悩み苦しみ眠っている時、夢で大物主大神様からお告げがありました。「私の子孫である大田田根子(おおたたねこ)を祭主にし、酒を奉納しなさい」それを聞いた天皇は「高橋活日命(たかはしいくひのみこと」を呼び、一夜で酒造りを行い神酒を奉納しました。すると疫病は去り、国が富みはじめました。

その時に高橋活日命が詠んだ詩が、
「此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久」(この神酒は私が醸したものではなく、大和の国をおつくりになった大物主神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄えませ)
このことより高橋活日命は杜氏の神様として大神神社の摂社「活日神社」に祀られました。

このことから、三輪が酒造り発祥の地といわれる。

大神神社の摂社・活日神社に高橋活日命が祀られている。
その当時、酒造り天下一の名人であったことにまちがいなく、杜氏として、一番早く記録されている方であり、したがって酒造業、とりわけ杜氏の先祖とも仰がれ、いまも新酒の仕込みにかかる前、杜氏さん達は、丹波や丹後・但馬、北陸、中国筋から蔵入りする前にはこの社に参拝し、また春もたけなわの頃ともなれば、無事、百日勤めを終えてそれぞれ郷里へ帰る時、ふたたびお参りをされるのが習いになっている。

活日社のご祭神活日命は、大物主命のお告げにより、一夜で良質の神酒を造られたと伝えられ、古図にも活日社と記さず、一夜酒之社と書かれている。土地の人もまた、一夜酒さんとよんでいる。
明治初期の頃までは、この社の近くに酒殿が建っており、醸酒の道具も保存されていたといわれる。

大神神社(おおみわじんじゃ)では、毎年11月14日に「酒まつり」が開催される。
祝詞の後、4人の巫女が三輪の神杉の枝を手に登場し、笛や箏の音に合わせて、「この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」という歌に合わせて華麗に舞う「うま酒みわの舞」が披露されるそうです。



日本の神々記事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

酒に関することが色々と書かれていると言うことは、当時は、酒ってあこがれの飲料だったのでしょうね。普通に考えると、精神の楽しみを起こすものとしては、大麻の煙とか、あるいは、ある種のキノコとかもあると思いますが、平安時代の源氏物語にも出てこないところをみると、それらは大陸からは伝わらなかったように思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
「酒は百薬の長」と云いますが、この言葉が
できる前から、そういう捉え方だったのでしょう。
各地で、「甘酒祭り」とか「どぶろく祭り」が
残っていますが、酒の力はすごかったと思います。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop