義高ウォーク2017

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5月4日(水)に行われた、狭山まちづくりストの会企画の「義高ウォーク2017」に、歴史クラブ地域連携部会がガイドとコース誘導を支援しました。
「義高ウォーク」は、狭山市駅前から、ほぼ鎌倉街道をたどって、嵐山大蔵館跡まで歩こうというもので、全行程を歩くと約27Kmになります。

昨年、狭山市が「義仲・巴広域連携推進会議」に参加することになり、状況が変わってきました。
「義高ウォーク」に市も関係するようになり、コース中、笛吹峠からゴールの大蔵館跡まで「嵐山町文化スポーツ課&嵐山町観光協会」が休憩ポイントサービスとガイドの支援をしてくださることになりました。

「義仲・巴広域連携推進会議」というのは、富山県、石川県、長野県、埼玉県の公共団体で組織している活動です。

今年も、歴史クラブからは9名が支援に参加しました。
私は、家族の一人が歩きたいと希望してきたので、自分の担当をこなした後、一緒に歩いて嵐山大藏館跡までの27Kmを歩きました。

コースの史跡は、簡単に触れますが、ウォーク中心なので、この記事では触れない史跡がたくさんあります。
別に鎌倉街道の記事をアップしているので、そちらを参考にしてください。
但し、高崎から鎌倉に向かって歩いているので、今回のコースとは逆の順番になっています。

鎌倉街道の記事を読む


今年のポスター
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今年の参加者は66名でした。
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市長も挨拶にくてくださった。
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歩き出す前に準備運動
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駅前を、8:30に出発。

【駅前から「女影古戦場」まで】
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清水八幡の説明:稲葉さん
影隠し地蔵の説明:川田さん
智光山公園の先、鎌倉街道交差点までの道案内:山畑さん・森さん
鎌倉街道交差点・日光脇往還の説明:市川さん
切通し・鎌倉街道碑の説明:村越さん
女影古戦場の説明:井口

全体の運行管理と、支援者を支援ポイントに適切に届ける車の運転を、矢島さん、吉岡さん、近藤さんが行いました。

駅前から歩きだして、最初のポイントは「清水八幡」です。

〇清水八幡
清水冠者源義高は、木曽義仲の嫡子であり、頼朝との和議のため義高は人質として、信濃の名族の子弟である海野幸氏や望月重隆らを伴い、頼朝の長女・大姫の婿という名目で鎌倉へ下った。
父・義仲が討たれたことにより、人質として鎌倉にいた義高の立場は悪化する。4月21日(6月1日)、頼朝が義高を誅殺しようとしていることを知った大姫は、義高を密かに逃がそうとする。義高と同年の側近で、いつも双六の相手をしていた幸氏が義高に成り代わり、義高は女房姿に扮して大姫の侍女達に囲まれ屋敷を抜けだし、大姫が手配した馬に乗って鎌倉を脱出する。しかし夜になって事が露見し、義高は4月26日(6月6日)に武蔵国で追手に捕らえられ、入間河原で親家の郎党・藤内光澄に討たれた。
義高の死を知った大姫は嘆き悲しみ病床に伏してしまう。母の政子は義高を討ったために大姫が病になってしまったと怒り、義高を討った郎従の不始末のせいだと頼朝に強く迫り、6月27日(8月5日)、光澄は晒し首にされた。
北条政子は義高の靈を慰めるため、この地に壮麗な社殿を建てたそうです。しかし入間川の氾濫により社殿は失われてしまいました。
永享2年(1430)に地元の人たちが神社の由来を刻んだ石祠を造り祭祀を続けていたが、その石祠も行方知れずになっていたところ、今から180年前に赤間川から石祠が発見され、地元の人たちの努力で現在の清水八幡が再建されたものです。
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入間川を渡る時には、「義高鯉のぼりの会」が主宰して揚げた鯉のぼりがはためいていた。
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〇影隠し地蔵
ここは、現在「奥州道交差点」と云い、昔から交通の要衝でした。
そこから鎌倉街道は信濃坂を上がりますが、そこにある「陰隠し地蔵」
清水義高が、その陰に隠れて一旦は難を逃れたという。
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そこから、智光山公園の前を通り、しばらく歩いていくと、「日光脇往還」との交差点に出ますが、交差点の名前が「鎌倉街道」。(写真は昨年のもの)
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〇日光脇往還
八王子千人同心が日光東照宮の火の番警護を命じられ、八王子と日光東照宮の間を往復した。
狭山市では、根岸の渡しを通っています。(写真は昨年のもの)
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それから、いかにも「切り通し」らしい道を下っていくと、「鎌倉街道上道」碑があり、そこからしばらくあるいていくと「霞野神社」があり、「女影が原古戦場」となります。

「切り通し」を下りてくる、もう他を引き離して先頭を歩くご夫婦。
聞けば、東海道、中山道を完歩した強者でした。
健脚で知識も実に豊富な、素晴らしいご夫婦でした。
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〇鎌倉街道上道碑
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〇女影が原古戦場
鎌倉幕府滅亡直後、いわゆる南北朝時代の建武二年(1335) 7月22日、鎌倉を追われ、信濃に潜んでいた鎌倉幕府の執権・北条高時の遺児・高行が、鎌倉幕府再興のため、足利氏を倒そうと起こした「中先代の乱」で、ここ女影ケ原で高行軍は、尊氏の弟で執権・直義率いる足利軍と相対し、これを打ち破った。その古戦場跡がこの辺りになると言われている。
その時、足利軍は、大将の一人、直義の妻の兄・渋川義李を失うなど手痛い打撃を受け、その後の戦いにも影響を残します。北条高行軍は、この後、鎌倉街道上道であと三度ほど合戦をして打ち破り、ついに鎌倉に入ります。
鎌倉には建武政権から失脚した後醍醐天皇の皇子護良親王(前征夷大将軍)が幽閉されていたが、足利直義は鎌倉を落ちる際に密かに家臣の淵辺義博に護良親王を殺害させている。

霞野神社を含む一帯が、女影が原古戦場といわれる。
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ここで、飲み物サービスがあり、休憩しながら説明を聞いてもらいました。
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ここから、私も歩きました。
女影交差点を過ぎて、武蔵高萩駅の近くを過ぎると「旭ケ丘」住宅団地になります。
ここは戦前空軍士官学校の飛行場が設置され、戦後は「旭ケ丘」という大住宅団地となったため、鎌倉街道はまったくわからなくなってしまっています。
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【旭ケ丘から西大家駅までのコース。】
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ここでは、コースを間違いやすい三叉路やY字地点で、コース誘導を実施しました。
三叉路誘導:森さん
Y字路側溝沿いに誘導:山畑さん
鎌倉街道道標での説明:池田さん

ここでは街道の遺構が小川になっています!
こんな例は他には無いようで、珍しいとのことです。
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この区間は、完全に街道の遺構が小川になっている。
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西大家駅横の踏切。
この手前のコンビニで休憩。
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【西大家駅横から鳩山町役場までのコース】
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森戸橋
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江戸時代の馬頭観音の前を通る。
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毛呂山町「市場」に入るところで、鎌倉街道旧道が残っているので、そこを誘導しました。
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鎌倉街道旧道入り口誘導:川田さん
鎌倉街道旧道出口誘導:森さん
鎌倉街道遺構説明:池田さん、井口

〇鎌倉街道旧道
去年まで入り口は、雑草が繁茂していて、残念ながら歩ける状態ではなかったので、迂回してもらって歩ける状態の道から歩いてもらっていました。
去年の写真
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今年は毛呂山町にお願いしたら、快く直前に草を刈ってくださったので、旧道を気持ちよく歩くことができました。
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それからしばらく歩いていくと、はっきりと鎌倉街道遺構がわかる場所に出る。

〇鎌倉街道遺構
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18年前に立てた毛呂山町の説明
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この説明のように、当時はこの説明の前が、大木が生えたものすごい藪であり、最初私がここを訪ねたときには、藪の中に無理やり入って行って、遺構らしきところを見たものだ。

ここから、毛呂山町歴史民俗資料館までのコースは、とても気持ちのいい道で、大好きな道です。
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13:00ごろに毛呂山町歴史民俗資料館に到着!!
ホッとしてしまい、写真を撮らなかった(汗)

以前参加のときの写真を載せておきます(笑)
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前庭で持参のお弁当にかぶりつき、団らんしながら一時間休憩しました。

リフレッシュした気持ちで、14:00に毛呂山町歴史民俗資料館を出発。

気持ちのいい道を歩いていきます。
鎌倉街道のなかで、最も好きなのがこの辺の道です。
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〇大類古墳群
有名な苦林古墳(大類1号墳)を初めとする前方後円墳2基、円墳39基からなる古墳群を形成していますが、隣接する坂戸市善能寺の塚原古墳群とともに苦林古墳群と総称されています。
保存状態が良い葺石が残る円墳(私有地内)もあります。
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ここで、ちょっと寄り道をして、延慶(えんきょう)の板碑を見ました。
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この板碑は、もっと鎌倉街道に近い崇徳寺跡(町指定史跡)にあったものが、今の場所に移されたそうです。
移転の際に、基部から古瀬戸を利用した骨壷が出土しましたが、火葬骨が入っていて、しかも火葬骨には刀傷の痕があったそうです。
高さ3m、幅80cmの大型板碑には、雄大な胎蔵界大日如来の種子に深い蓮台が刻まれています。その紀年銘から延慶3年(1310)の建立であることがわかります。
高さもあり迫力もあります! 種子の彫りも深くシャープで美しいです。700年経っているとは思えません。

この青みがかった石材で造られた板碑は、関東特有のものです。
秩父・長瀞地域・小川町地域から産出される緑泥片岩(薄く板状にはがれる)から作られています。この石材が産出されるのは全国で二か所しかないそうです。


その後、遅れてしまった分を取り返すため急ぎました。
最後尾には簡単に追いつけると思ったのですが、それがなかなか追いつけず、後で知ったのですが、毛呂山町歴史民俗資料館、鳩山バス停、大橋バス停でリタイアしたので、残った人のペースが上がっていたのです。

笛吹峠で追いつくまで、急いだので途中の写真は無し。

撮ったのは、おしゃもじ山のツツジ祭りの写真だけです。
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【鳩山町役場から大蔵館跡までのコース】
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大橋の休憩ポイントで一息入れてから、笛吹峠を目指す。
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笛吹峠が見えた(嬉)
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笛吹峠
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ここで他の皆さんに追いつき、嵐山町の方たちに暖かいもてなしを受けて、元気が出たところでスタート。

気持ちのいい山道をいきます。
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所々に山藤が咲いていた。
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〇源義賢の墓
17:00ころ到着
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ここで、嵐山のボランティアガイドから熱心な説明を受けました。

義仲に遺児が居たのは、数年前にこれを読むまで知りませんでした。
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ついに、17:20ころ大蔵館跡の向かいの自治会館前庭のゴールに到着(嬉)
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完歩証明をいただきました。
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結局、今回は66名が参加して、43名が完歩したそうです。

それから、大蔵館跡を見学。
今は大蔵神社になっている。
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ここでも、丁寧にガイドをしていただきました。
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源義賢の居館跡で、ここで「木曽義仲」は生まれました。
源義賢は、源氏の棟梁源為義の次男で、帯刀先生(皇太子警護役人の長)を務めるほど人望も厚く、武名が高く、長男義朝よりも跡目争いでリードしていた。
ところが、義朝の子悪源太義平の急襲により、大蔵館で義賢は討たれてしまう。
そのとき、子供の駒王丸は二歳。討手の斉藤実盛と畠山重能(重忠の父)が不憫に思い、助けて木曽の中原兼遠に預けます。この駒王丸が、後の木曽義仲です。
で、源氏の棟梁は源義朝となり、それから頼朝に伝わっていく。
(悪源太義平は、平治の乱で死んでしまう)

源義賢の居館跡の図
一番大きな範囲の堀は、後北条氏の時代に設けられたもので、源義賢の居館跡は太線の点線で囲まれた部分。
大蔵神社境内の、更に奥になります。
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源義賢の居館跡の辺は、民家となっており立ち入ることは出来ない。
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西側に残る空堀。
(以前撮った写真)
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これで、全て終了で、疲れた足を引きずりながら(笑)
武蔵嵐山駅に向かい、帰途につきました。
今回、大丈夫かなという気持ちもありましたが、挑戦をクリアできたことで、ちょっと自信がつきました。
嬉しいことです。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

説明役と徒歩27kmですか! おお、ご苦労さまです!!

野生の藤の花が見られたのですね。野生の、藤棚のものより好きですが、やはり、都区内では難しいのが困りものです。また、延慶の板碑、立派ですね!!

matsumoさん

コメントありがとうございます。
27Km歩いて、自信がつきました。
もう年なので、過信は禁物ですが(笑)

野山で、花と出会うと嬉しいですね。
整った公園などで見るのとは、また違った
嬉しさがあります。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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