箸墓古墳

20170609

所在地:奈良県桜井市箸中
訪問日:2017年3月23日

青春18キップの二日目の午後、JR纏向駅から山の辺の道を穴師坐兵主神社(大兵主神社)まで行き、また巻向駅近くまで戻って、この日最後に訪れたのは箸墓古墳。
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この日最初に訪れた大神神社の祭神大物主神の奥さん倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と云われるここに詣でなければいけないだろうという訳だ。

国道がJR桜井線をまたぐ陸橋から箸墓古墳が見えた。
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だんだん箸墓古墳が近くなる。
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箸墓古墳を見渡せる角まできた。
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今居るのは、後円墳の左側の角。
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実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。また周濠が国の史跡に指定されているほか、周濠の一部は「箸中大池」としてため池百選の1つに選定されている。

纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王、「卑弥呼」の墓とする(一部の邪馬台国畿内説)説もある。以前は築造年代が3世紀末から4世紀初頭とされ、卑弥呼が死亡したとされる3世紀前半との時期にずれがあるため、その可能性は少ないといわれてきた。しかし、1980年代以降の考古学的年代決定論により箸墓古墳の築造年代も卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀の中頃から後半とする説もある。

現在は宮内庁により陵墓として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。

最近、纒向遺跡がクローズアップされ、箸墓古墳についても良く取り上げられ、色々な記事が書かれている。

大神神社に参拝したときに購入した『三輪山の神々』という本に載っている、和田萃氏の「三輪山の神」から箸墓古墳について書かれている部分から抜粋しておく。
・倭迹迹日百襲姫の伝承を考えると、古墳がつくりはじめられた時期、三世紀後半頃にまで三輪山の祭祀が遡っていく可能性がある。大和王権の確実な初代の王と考えられる御間城入彦(崇神天皇)の叔母であった倭迹迹日百襲姫が、三輪山の大物主神の妻となったという伝承は、大和王権の王、あるいはその女(未婚の皇女)が、三輪山の神の祭祀に当たっていたということを伝える伝承だろうと思われる。
・この倭迹迹日百襲姫が亡くなったときに箸墓を造ったという有名な伝承がある。箸墓については「日は人作り、夜は神作る。故、大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまでに人民相踵ぎて、手逓傳(たごし)にして運ぶ」という伝承(崇神紀十年九月条)がみえる。
・三世紀末から四世紀前半代の巨大前方後円墳は、いずれも三輪山の西~西北麓にあり、渋谷向山古墳(現在、景行陵に治定)、アンドン山古墳(現在、崇神陵に治定)、箸墓古項などです。そうしたことからも、三輪山と深い関係があると考えられる。
・箸墓古墳の北側に民有地である大池が広がり、その西堤の改修工事に先立つ発掘調査が寺沢薫氏を中心に行なわれた。その結果、築造当時の土器が大量に出土し、布留○式のものであったことから、箸墓古墳の築造年代は270~280年であることが明らかになった。卑弥呼が死んだのが250年前後ですから、箸墓古墳の築造年代とは20~30年隔っています。そういう点で、箸墓古墳の被葬者は、卑弥呼の宗女であったトヨ (臺輿) の墓に結びついていく可能性がある。
・倭迹迹日百襲姫の箸墓についての伝承は、大坂山の石を運んだという点で、史実を伝えている可能性がある。大坂山というのは、必ずしも二上山に限定されるものではなくて、二上山を含んだ二上火山群というべきものである。箸墓古墳の後円部に、竪穴式石室があり、その石材が北側の大池に転落しています。橿原考古学研究所々員の奥田尚氏の分析により、石材は芝山の玄武岩だというこじがわかっています。したがって、大坂山を二上山に限定せずに、二上火山群というふうにとらえれば、芝山もそこに含まれるから、大坂山の石を手越しに運び、箸墓古墳後円部の竪穴式石室に使ったということは、かなり史実性のあることだと言える。


これから、反時計まわりに一周する。
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少し行くと、「卑弥呼の庭」という、体験工房とかカフェがあった。
絶景ポイントだと書いてあったので、惹かれそうになったが、様子を見ることにした。
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更に行くと、大池の堰堤になり、水を前にして箸墓古墳が眺められる。
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だいぶ箸墓古墳が近くなった。
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大池改修記念碑のところに、絶景ポイントの説明あり、三輪山を入れるのがポイントだと。
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そういえば、三輪山とのツーショットは撮ってないと、少し戻って、良い場所を探して撮った。
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万葉歌碑あり。
「大坂に 継ぎ登れる 石群を 手逓しに越さば 越しかてむかも」
(大坂山に人々が並んで登って、沢山の石を手渡しして、渡して行けば渡せるだろうかなあ。)
日本書記 崇神天皇
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箸墓古墳にとりつくところまで来た。
前方後円墳だということがわかる。
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堰堤から下りて、方墳の辺に沿っていく。
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方墳の辺の中央に、宮内庁の「大市墓」の表示と遥拝所あり。
大市というのは、この辺の地名。
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ここから遥拝し、周囲の確認を続ける。
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遥拝所を横から。
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方墳の辺に従って、遊歩道あり。
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道路に出た。
前方後円墳の輪郭に沿って道路があり。
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方墳から円墳に変わるところがわかる。
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古墳の上は、雑木林である。
さきたま古墳のように、上にあった樹は刈り、草も定期的に刈って、古墳の輪郭がよくわかるようになっているのに慣れた目には、なんとも馴染めない。
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宮内庁の「立ち入り禁止」の表示があちこちにあり。
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道路から、いきなり古墳だからね・・・・・・・・・

振り返ると、こちらが円墳で、方墳に変わっているのがよくわかる。
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このへんは、民家が円墳のところまできている。
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左上の山が箸墓古墳です。
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400m先には、「ホケノ山古墳」もあるのだが、割愛。
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円墳のカーブどおりに道が出来ている。
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この辺は、織田氏の統治下では墳丘上にお茶室が設けられていたという。
また、後円部南東の側面に測量図で溝が見られるのは、そのふもと近辺に江戸時代、箸中長者の経営する茶店がありその影響とも思われる。
主に伊勢参りの旅人を相手に飴・甘味が名物として売られていたという。

この辺から、道路は円墳のカーブから離れて真っ直ぐとなり、古墳から離れていく。
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スタート地点に戻ってきました。
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いままで、箸墓古墳の写真といえば、水を手前にしたベストビューの写真ばかりだったので、意外や意外、民家に隣接して古墳があるということを確認して、驚いた。
まあ、この辺は、犬も歩けば古墳にあたる、と言った状況だから、珍しくもなんともない、ということだろう。

纏向駅に戻って来て、長い一日が終わりました。
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朝、大神神社に参拝してから、山の辺の道もずいぶん歩いたし、計画した神社もすべて参拝したし、充実した一日だった。
満足して、奈良駅に戻り、昨夜と同じホテルで宿泊しました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、箸墓古墳って、巻向駅のすぐ近くにあるのですね。こんなに近くであれば、前回、巻向駅に行った時に行けば良かったです。と言っても、私は箸墓古墳の名前を意識したのは極めて最近ですが。

そもそも、私が箸墓古墳の名前を知ったのは、「内田康夫:箸墓幻想」を読んでからで、おそらくその前も箸墓古墳のことは読んでいたのではと思いますが、意識したのはそれからです。そして、この本に書かれていた箸墓古墳についての知識を得ました。

ここ、卑弥呼の墓になぞらえている人もいるそうですが、私にとっては無理が有り過ぎと言う感じですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
今回、箸墓古墳を見ておいて良かったと
思います。
最近、何かにつけて登場してきますから。
卑弥呼の墓については、いつか金印が
出てくることを期待しています。
私は研究者でなく、楽しんでいるだけ
なので気楽です(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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