氷室神社

20170613

鎮座地:奈良県奈良市春日野町1-4
参拝日:2017年3月24日

青春18キップの三日目。
この日帰宅するので、普通電車を乗り継いでほどほどの時間に家に着くためには、奈良を9時ころに出ないといけない。それで朝食前にホテルを抜け出して、まず東大寺南大門の狛犬の写真を撮って、その後すぐ近くのこの社に参拝した。
ここに寄ったのは、社名が面白い名前なので調べてみると、ここの樹齢100年の枝垂れ桜が奈良で一番最初に咲くとのことだったので、寄ってみた。

社号標
式内小社(論社)、旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。
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由緒:
元明天皇の御世、和銅3年7月22日、勅命により平城新都の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられた。これが平城七朝の氷室で、世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも言われた。翌和銅4年6月1日初めて献氷の勅祭を興され、毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を献上せられた。奈良朝七代七十余年間は継続せられたが、平安遷都後はこの制度も廃止せられ、遂に150年を経て、清和天皇の御世、貞観2年2月1日現在の地に奉遷せられ、左右二神を増して三座とせられた。以来、現在の春日大社の別宮に属し式年に営繕費、年中の祭礼等は、興福寺、春日社の朱印高二万石の内と社頭所禄三方楽所料二千石の一部によって行われたが、明治維新後はこの制度も廃せられ、専ら氏子と冷凍氷業界の奉賛によって維持せられて今日に及んでいる。また、本殿東側には末社として、南都舞楽の楽祖なる狛光高公を祀った舞光社がある。

境内図
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鳥居は朱塗りの両部鳥居。
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参道の右手に「鏡池」が。
冬季に凍ったら、鏡になるからなのだろう。
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早朝で人が少ないので、鹿ものんびりとしている。
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紅梅が咲いていた。
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手水舎
珍しいことに、つるべ式の井戸がついている。
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祓戸社
住吉社とも呼ばれ、手水舎の向かいに祀られている。
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四脚門の前右手にある大きな木が枝垂れ桜。
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氷室神社のしだれ桜は「奈良一番桜」と呼ばれ、奈良で最も早く開花する桜であると言われています。氷室神社の桜の開花を追うように、あちこちで桜が開花していくそうで、いわば古都の春の始まりを告げる大変縁起の良い桜なのです。
境内には何本かしだれ桜がありますが、最も迫力のあるものは、「四脚門」と呼ばれる門前に建つ一本です。
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残念ながら、まだまだ。
一番早く開花するところが、まだこの状態だった。
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安政4年(1857)奉納の狛犬があることはわかっていたが、なんと「出雲型(丸台座型)」だった。
幸運に感謝。
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今回の旅のサブテーマは「出雲族の痕跡を探す」というものだったが、最後の訪問地でも直接結びつきはしないが、出雲地方との繋がりのあるものを発見したのは、とても嬉しい。

「四脚門」と東西廊は奈良県指定文化財。
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四脚門をくぐると、すぐに拝殿・舞殿がある。
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明治三年に廃止されるまで、氷室神社に置かれた旧南都楽所を中心に奈良における舞楽が受け継がれてきました。明治維新により三方楽人(奈良・大阪・京都)が国に召され、曲や舞が一本化されていったのが、現在の宮内庁楽部です。しかし、上京せず地方に残った楽人や舞があり、独自の伝承が見られるのです。南都晃耀会は奈良流を重んじる有志により戦後間もなく結成されました。このたび結成五十周年記念事業として後継者養成のため南都流舞楽伝承教室を企画し、伝承活動に励んでおります。今年も氷室神社の献氷祭、例祭、舞楽初めの他、唐招提寺、東大寺、薬師寺などの諸行事に奉仕の予定です。

本殿の前に回れるようになっている。
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瑞垣の前には石灯篭、瑞垣から灯篭が吊るされている。
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神門
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本殿には三柱の神が祀られている。
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ご祭神:
闘鶏稲置大山主命 (ツゲノイナギオオヤマヌシノミコト)
大鷦鷯命(オオササギノミコト 仁徳天皇のこと)
額田大仲彦命(ヌカタノオオナカツヒコノミコト)

闘鶏稲置大山主命は、大和国北東部を支配した闘鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう 都祁国造・都下国造とも)の子孫にあたり、仁徳朝の国造。氷室の氷を初めて御所に献上し、以後、氷室の管理者となった。
闘鶏国造は、八井耳命。神武天皇の皇子で、綏靖天皇の兄。弟に皇位を譲り、神祇の奉斎者となった。

大鷦鷯命(オオササギノミコト)は、第16代仁徳天皇(にんとくてんのう)。
応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていた皇位継承者の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子と互いに皇位を譲り合ったが、皇子の薨去(『日本書紀』は仁徳天皇に皇位を譲るために自殺したと伝える)により即位したという。この間の3年は空位である。
難波に都を定め、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う記紀の逸話(民のかまど)に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。

額田大仲彦命(ヌカタノオオナカツヒコノミコト)は、記・紀にみえる応神天皇の皇子。
母は高城入姫(たかきのいりひめ)。「日本書紀」によれば,応神天皇なきあと皇位がさだまらずにいたとき,倭(やまと)の屯田(みた)と屯倉(みやけ)を掌握しようとして異母弟の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)(仁徳(にんとく)天皇)に阻止された。闘鶏(つげ)(奈良県都祁村)で氷室を発見,氷を仁徳天皇に献じたともいう。「古事記」では額田大中日子命(みこと)。

本殿の右手前に、仁徳天皇の歌碑あり。
「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民の竃は にぎはひにけり」
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境内社・舞光神社
ご祭神:狛光高の御霊
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拝殿の左右に回廊が回っているが、工事中の感じである。
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四脚門から出て、社殿に向かって左に、招魂社と万葉歌碑あり。

招魂社
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万葉歌碑
「うらうらに照れる春日(はるひ)にひばりあがり情(こころ)悲しもひとりしおもへば」
(万葉集 巻19 4292 大伴家持)
万葉集巻19の最後を飾る、大伴家持の歌三首の中の一首です。
「おぼおぼ(ぼんやりと)として物憂いような春の日、ほんのりと霞んだ春の光にひばりが舞い上がっているのを見ると、何ということもなく悲しみがこみ上げてくる」と、歌によってしか表現できない人間の心のひだ、胸の内の淋しさ、ゆらぎなど、景を借りて象徴した家持最高の傑作といわれます。皇親政治と藤原氏、みにくい政争の世、衰退していく大伴氏、苦しく眺める家持の春愁の歌です。
氷室神社では和銅4年(711年)献氷の勅祭が始まり、毎年平城京に氷を献上されたと伝えます。その後途絶えていたこの制度を再興し、現在に継承されています。
由緒ある境内の見事なしだれ桜の下に、この歌碑は建立されました。
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これで、参拝を終えホテルに帰り、朝食を食べ、JR奈良駅から帰途につきました。
奈良駅を8:53に出発、加茂、伊賀上野、亀山、名古屋経由で、普通電車を乗り継いで、途中名古屋で昼食、熱海で夕食の際に45分程度休憩し、新宿に着いたのが21:00頃。
楽しい青春18キップの旅三日間だった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ここ、昨年の4/1(金)の朝と午後の2回、行きました。勿論、目的は枝垂れ桜で、満開に近い状態だったのですが、期待した程、大きくなかったのが残念でした。

朝は8時半頃に着いたと思うのですが、桜の時期だったのでさすがに人は結構いましたが、それでも、まあまあの状態でした。しかしながら、東大寺の後に行った時は、人だらけでとても撮影はできない状態になってました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
やはり、さすがですね。
毎年京都奈良など桜を撮りに
遠征されていますから。
樹齢100年にしてはそれほど大きくない
とは私も感じました。
それでも、私は色々と収穫があったので、
よかったです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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