川勾(かわわ)神社

20170617

鎮座地:神奈川県中郡二宮町山西2122
参拝日:2017年3月31日

歴史クラブの「関八州式内社めぐり」に参加して参拝しました。
相模国の式内社で、この日の最初の参拝社です。

入り口には、大きな看板で式内社と二宮であることをアピールしてあります。
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社号標
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社格:延書式神名帳では相模国余綾(ゆるぎ)郡所属の小社。
平安後期、相模国にも一宮・二宮の制度が定められ、二宮となり、二宮明神と呼ばれた。
明治6年(1873)郷社、昭和7年県社に昇格。

延喜式神名帳記載
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川勾神社は相模国余綾(ゆるぎ)郡唯一の式内社である。
『万葉集』巻十四の東歌に、「相模路の 余呂伎の浜の まなごなす 児らくかなしく 息はるるかも」とある。
奈良朝以前からヨロギの浜があり、ヨロギ郡も存在していたと推定される。
余呂伎郡を余綾部としたのは、第41代持統天皇の時代である。

川勾神社の鎮座地:現在の所在地は旧川勾村になく、隣村の旧山西村にあるのは奇異の感がある。ところが川勾村も山西村も以前には一つの区画であり、「梅沢の里」と称し、文明年間に道興准后の著した『回国雑記』に「旅ごろも 春待つこころ替らねば 聞くもなつかし 梅沢の里」の一首を残している。江戸初期の正保図にも梅沢村の記載がある。

歴 史:
『二宮川勾神社縁起書』(寛永19年-1642)によれば、11代垂仁天皇の頃の創建と伝う。さらに『新編相模国風土記稀』に、「川勾」の地名は往古にこの地で押切川が曲流していたことに由来するといわれ、川勾神社の名も地名に由来するのだという。

・延長5年(927)に『延書式神名帳』により式内社(小社)へ列格された。前九年の役(1051~62年)と後三年の役(1083~87年)の折には源義家の奉幣祈願があったとされる。

・『吾妻鏡』建久3年(1192)8月9日の項に源頼朝は北条政子の安産を「二宮川匂大明神」に祈願し神馬を奉納し、また、同じ建久年間に社殿造営と社債寄進を行ったとある。

・「座間答」の起源が相武(さがむ)と磯長(しなが)の合併による一宮争いであるとする国府祭(こうのまち)の伝承に従うなら、7世紀には相模国に一宮・二宮の制度があったこ とになる。

・建長4年(1252)に宗尊親王(鎌倉将軍)が鎌倉に下向した際に、将軍事始の儀として神馬を奉納したといわれ、『吾妻鏡』に同年4月14日の項には鶴岡八幡宮以下の大社に神馬を奉納したと記載されている。

・応永年間(1394~1427年)の兵火により社殿宝物などを焼失し、随身の木造だけが残されたという(『川勾神社誌』)。また、『新編相模国風土記稿』では、この火災で古伝縁起を失ったと述べている。

・永禄4年(1561)、上杉謙信の小田原城遠征の兵火により社殿を焼失。その後の元亀年間(1570~73)に後北条氏によって再建。当社は小田原城の丑寅の方角に当たり、鬼門守護神として後北条氏から格別の崇敬を受けたのだという(前掲『川勾神社誌』)。

・天正19年(1591)、徳川家康が豊臣秀吉の命により九州の肥前・名護屋に出陣する際、当社に祈祷札を献上し、朱印地50石を寄進した。以後、徳川家の崇敬を受け、江戸時代に入ると毎年正月に江戸城へ登城して神札を献ずるのが例となり、幕末まで続いた。

・安永9年如鮒〉暴風雨によって社殿が破損したがも天明7年(㍑$7)に宮司の二見氏が再建し、この社殿が昭和初期まで至る。

・現在の社殿は昭和7年(1932)県社昇格の内示を受けて新築着工したものであるが、第2次大戦や戦後の近代社格制度廃止などの影響により、19年後の昭和26年に完成した。

・平成23年9月21日の台風15号により、境内の夫婦杉のうち1本が倒れ、神楽殿の屋根が壊れるなどの被害が出ている。

鳥居
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鳥居の横に、伊藤博文揮毫の扁額あり。
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石段を上がる。
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茅葺の随身門
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応永年間(1394~1427年)の兵火により社殿宝物などを焼失し、随身の木造だけが残されたというが、それであろう。ほとんど顔などもわからない。
ガラスと光線の加減で、よく撮れなかった。
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くぐってから、門の屋根の茅葺を拝見。
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参道は真っ直ぐ。
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文化財の古文書と「田舟」の説明
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手水舎のところに、種々の説明文書コピーが置かれていた。

※国府祭(こおのまち)
毎年5月5日相模国一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮、総社六所神社、以上六社の合同祭儀で「こおのまち」と呼ばれています。
千有余年の昔相模の国司が当時の国府所在地に国内の有力神社をお招きし敬神の誠を捧げたものであると伝えられています。
五月五日に行なう為、端午祭とも言われ、又将軍の命令で行なわれたので天下祭・御用祭ともいって、国家安泰・五穀豊穣、諸産業の繁栄を祈念する相模国最大の祭典です。

三度移転したという相模国府の候補地は下記のとおり。
①綾瀬市早川綾瀬西高校付近
②平塚市平塚八幡宮付近
③大磯町六所神社付近

寒川神社は①、②期国府時代に国府に一番近く、延喜式神名帳にも明神大社となっており、一之宮とされた。
③に国府が移転したのは平安時代末で、この時期は川勾神社が一番近く、二之宮とされたのは妥当。
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国府祭(こおのまち)古図を読み解いた説明書によれば、江戸時代の早い時期にまで遡る可能性のある、神・仏・修験による神仏習合の姿があり、中世的な先祖信仰の痕跡も明らかにみてとれる、複雑な祭りであるようだ。
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手水舎
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狛犬が侍るところから、玉垣内に入る。
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拝殿
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向拝にかかる注連縄は、大根注連縄。
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拝殿内部
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拝殿内には「二宮大明神」の社額があり。
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本殿
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破風部分の彫刻を、細い隙間から撮った。
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ご祭神:
現在は、大己貴(おおなむち)命、大物忌(おおものいみ)命、級津彦(しなつひこ)命、級津姫命、衣通姫(そとおりひめ)命ほか5柱。

『新編相模国風土記稿』(天保12年一1841)は級津彦命、大物忌命、衣通姫命の3柱とする。
しかし、安永5年(1776)当社33代目宮司の二見忠良が書写した『御祭礼之式伝来写』によれば、江戸中期には八幡神を祀ったことが確認できるという。鎌倉幕府や関東管領などが信奉した鶴岡八幡宮の影響があるといわれている。また、級津彦命と級津姫命は本来は風神であるが、師長(しなが)国のシナに通じるところから加えられた。

※師長国:
『国造本紀』に第13代成務天皇のときに、茨城(うばらき)国造の祖建許呂(たけころ)命の児意富鷲意弥(おおわしのおみ)命を国造に定めたとある。師長国については諸説あって必ずしも判然としないが、『和名抄』には「上古は全く相模・師長二国たりしとも云ふべきなれど、みだりには然定難きなり。されど、北方山間険阻の地は左加牟(さがむ)と唱へ、南方磯辺の地は磯長と称し、自然区別せし事は、織るべからず」とある。

神紋は「丸に二」
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神楽殿
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東五柱祭神
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西五柱祭神
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神社前の道路工事のために撤去された石鳥居が保存されている。
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御神木の杉
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ご神木の銀杏
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

二宮町ですか、1回だけ、行ったことがあります。すなわち、二宮駅で降りて、海岸まで行って、そこで行われていた水着女性モデル撮影会に参加した時だけです。

ここ、吾妻山公園の「菜の花と富士山」の写真が有名で、私も撮りに行きたいとは思っているのですが、未だに、実現していません。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、大磯の辺にはまったく馴染みが
ありません。
この時も、目的の神社でバスを降りて、
またバスに乗って次に向かう、というものなので、
その土地についてはほとんど得るものが
ありませんね。
本当はこれではいけないんですが。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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