前鳥(さきとり)神社(延喜式内社)/神奈川県平塚市四之宮

20170625

鎮座地:神奈川県平塚市四之宮4丁目14−26
参拝日:2017年3月31日

歴史クラブの「関八州式内社めぐり」、相模国の式内社の回で、この日は川勾神社、高来神社に続いて当社に参拝しました。

社号標
大鳥居の工事中で全部は見えず。
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前鳥神社HPによれば、
神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われています。
奈良時代の天平7(735)年の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されています。
この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられます。延喜年間(901~923)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に、当神社は「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されています。また、四之宮の称は、養老年間(717~724)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになりました。

以下Wikipediaによる。
当社の創建年代は不明である。『前鳥神社 御由緒』では、平安時代に「四之宮」の地名が始まり、それ以前の奈良時代の諸文献に「さきとり」の地名が見えることから、この「さきとり」の地に住んでいた人々が清浄な場所を選んで奉祀したのが始まりではないかと述べている。

当社は相模川の自然堤防の南端に鎮座するが、『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』では『特選神名牒』が当社の社名を「前島神社」と記載し、「前島神社」である理由を当社境域が馬入川(相模川の河口付近)の岸に突出して出水のたびに流損する崎であった地勢によるものだとしていること、また、これを支持する論者も多いこと紹介している。

延長5年(927年)に『延喜式神名帳』により式内社、小社へ列格された。『前鳥神社 御由緒』によれば、この時より社号を「前鳥」「左喜登利」「前取」「埼取」など色々用いてきたが、現在は『延喜式神名帳』に基づく社名を用いているのだと言う。

『延喜式神名帳』
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『中世諸国一宮制の基礎的研究』によれば、元暦2年(1185年)7月の『相模国前取社・安芸国開田荘注文案』に当地へ地頭が補任され年貢が未納になっているとの記述があり、安元2年(1176年)の八条院 暲子内親王の所領目録に安芸国開田荘があること、嘉元4年(1306年)には室町院領と見えることから、当社地が八条院周辺の人物の所領に編成されていた可能性を示唆している。

『吾妻鏡』建久3年(1192年)8月9日の条に源頼朝が北条政子の安産を祈願した神社として「四宮前取大明神」の名が見え、この時に神馬が奉納されている。さらに建暦2年(1212年)には将軍家御祈祷所となった。

天正19年(1591年)11月、徳川家康より朱印状が下され社領10石が寄進された。また、天保12年(1841年)成立の『新編相模国風土記稿 巻之43』の記述から、この当時に四之宮村の鎮守とされていたことがわかる。

明治6年(1873年)に郷社へ列格。昭和43年(1968年)9月には元皇族を招いて創祀千六百年式年大祭が催され、その際に本殿の右に奨学神社が建立されている。

工事中で参道に入れず、神橋は横から撮った。
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参道の途中から入り込む。
振り返り、神橋と大鳥居を見たところ。
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参道は真っ直ぐ続いている。
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参道の途中に鐘楼があった。
昭和43年御鎮座1600年祭の折に鋳造され、勧学の鐘として参拝に訪れる方に親しまれている、とある。
神社に鐘というのは珍しい。江戸時代ならともかく、昭和の話である。
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二の鳥居
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二の鳥居から、はるかに社殿の前を眺めると、工事中でまっすぐ進めないことがわかる。
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参道わきの林の外側を大回りする。
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工事している所を迂回して、境内に戻る。
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手水舎
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拝殿
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向背部の屋根は千鳥破風。
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社額は「左喜登利神社」とあった。
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拝殿内部
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本殿
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妻の「大瓶束」の両側に雲の連なりで装飾してあるのが面白い。
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現在の祭神は以下の3柱。
菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)

菟道稚郎子命を祀る神社は極めてまれで、東日本では当社のみと言われている。『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』では、所縁の地から離れた東国で菟道稚郎子命が祀られている事に関し、兄に帝位を譲るため自殺したとされる菟道稚郎子命が実は死んでおらず、一族を率いて東国に下り曽祖父である日本武尊に所縁の地へ宮を建てた、あるいは当地が菟道稚郎子命の御名代であったことにより祀られたとする伝承があることを紹介した後、これら伝承には傍証が無く一切は不明だが、なぜ東国で祀られたのかについては興味あることとしなければなるまい、と述べている。

明治の頃に村内日枝神社の祭神であった大山咋命を合祀、昭和61年(1986年)に日本武尊を合祀している。

神紋は「右三つ巴」
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境内社に参拝

神戸(こうど)神社
天照大御神をお祀りする神明神社、須佐之男命をお祀りする八坂神社の二社をお祀りしている。
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奨学神社
百済の王子阿直岐と博士王仁、そして菅原道真公を御祭神とする奨学の神社。
阿直岐(あちき)は、記紀によれば、百済から日本に派遣されたとされる人物。
王仁(わに)は、百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたとされる記紀等に記述される伝承上の人物。
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祖霊社
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祖霊社の前にある、大正7年奉納の狛犬が素晴らしかった。
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他にも境内社があったが、後日調べたがわからなかった。
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大木(ご神木?)の下にもあり。
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〇幸せの松
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これで、当社の参拝を終え、次に向かった。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

祖霊社の前の狛犬、顔が面白いですね!

さて、平塚ですが、ここ、もうすぐ、七夕まつりですね。大昔は七夕まつりの際、その商店街の行事の1つとして、水着女性モデル撮影会があり、私も1回だけ行きました。店先等で、ビキニ姿の女性がポーズするの、奇妙な感じでした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は行ったことありませんが、平塚の
七夕は有名ですよね。
そこでビキニの撮影会ですか。
楽しそうですね。
matsumoさんは、色々なところの撮影会に
行っておられるのが、うらやましいです。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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