大庭神社(延喜式内論社)/神奈川県藤沢市

20170702

鎮座地:神奈川県藤沢市稲荷997
参拝日:2017年3月31日

歴史クラブの「関八州式内社めぐり」、相模国の式内社の回で、この日は川勾神社、高来神社、前鳥神社に続いて当社に参拝しました。

社号標
170702ooba01.jpg


引地川沿いの丘陵に位置する。江戸時代には「天神宮」、「大庭大明神」、「大庭天満宮」と呼称されていた。

平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には「高座郡大庭神社」と記載されているものの、近世以前のその他の記録(社伝)は存在しない。当社の由緒に関する境内案内板では「相模十三社の一にして小社に列せられ 当地は往古より旧地なりと伝承す」と書かれている。

境内にある梵鐘は享保6年(1721年)の鋳造で、当初は「天満天神宮」と書かれていたとされるが、この文字は削り取られて新たに「大庭大明神」という文字が彫られたと伝えられる。また、藤沢市の教育委員会が出版している『藤沢の文化財』によると、明治以前の当社は「天神社」という名で呼称されていたとのことである。

安永6年(1777年)、神祇伯資顯王によって大庭城を拠点としていた大庭三郎景親を、さらに天明3年(1783年)には諏訪部定太郎、山崎六郎兵衛包高らの願いによって菅原道眞をそれぞれ勧請(合祀)した。明治の神仏分離令以前は当社の裏にある成就院が別当寺として、当社の管理を行なっていた。

論社としては、距離にして1,5キロと近い場所(藤沢市大庭)に大庭神社旧
跡とされる熊野神社がある。

境内案内板
170702ooba02.jpg


鳥居をくぐると、石段がまっすぐにあり。
170702ooba03.jpg


170702ooba04.jpg


石段を上がると、平らなところが境内となっている。
170702ooba05.jpg


参道を少しいくと、鐘楼があり。
170702ooba06.jpg


170702ooba07.jpg


鐘の銘は、説明のような「大庭大明神」でなく、「大庭神社」と彫られていた。
170702ooba08.jpg


また石段を上がる。
170702ooba09.jpg


手水舎
170702ooba10.jpg


拝殿
170702ooba11.jpg


拝殿の内部は、まったく覗けなかった。
170702ooba12.jpg


社額
170702ooba13.jpg


本殿
170702ooba14.jpg


ご祭神:
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
菅原道真
大庭三郎景親

大庭三郎景親について:
大庭氏は坂東八平氏の鎌倉氏の流れを汲む一族で、相模国大庭御厨(神奈川県寒川町、茅ヶ崎市、藤沢市)の下司職を相伝していた。天養元年(1144年)に源義朝の郎党が相模国田所目代と共に三浦氏、中村氏を率いて大庭御厨に侵攻した(大庭御厨事件)。この義朝らの行動は朝廷から不問に付される。

保元元年(1156年)の保元の乱では義朝の軍勢に属し、兄の景義とともに白河北殿の西門を守る源為朝に挑みかかり、後三年の役で源義家のもとで戦った鎌倉景政の末裔であると名乗りを上げた。強弓の勇者為朝は鏑矢を放ち景義の左の膝を砕いた。景親は落馬した兄を助け出して退散している。

保元の乱は義朝の属する後白河天皇方の勝利に終わったが、平治元年(1159年)の平治の乱で義朝は敗死して源氏は没落する。 その後、相模国の国衙在庁系豪族の三浦氏や中村氏は義朝に近い立場であったため相模国内においては劣勢に立たされ、逆に義朝とは疎遠であったと思われる景親は平家への接近に成功し、それによって相模国内の大庭氏の立場は強化される。

治承4年(1180年)に義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると平家方の武士を率いて石橋山の戦いで頼朝を撃破した。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙して多くの東国武士に迎えられて鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑された。

頼朝の挙兵に早くから参じていた兄の景義は御家人に列し、鎌倉幕府に仕えて長寿を全うしている。

神紋は「右三つ巴」
170702ooba15.jpg



それで参拝を終え、続いてこの日最後の参拝地・寒川神社に向かった。


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



「神社巡拝」に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

写真、見せていただきましたが、里山の頂上辺りにある神社と言う感じの所ですね。それにしても、日本の神社って、よく名前が変わりますね。おそらく、朽ち果てた後に再建した時に名前が変わったのだと思いますが。

さて、藤沢ですが、私にとっては、江ノ電あるいはモノレールとJRの乗り換え駅と言う感じで、藤沢駅から歩いてどこかにと言う記憶は無いです。まあ、江ノ島辺りまで入れれば、滝口寺は行ったことがありますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
信仰というのは、人と密接に結びついているので、
人の栄枯盛衰の影響をもろに受けますね。
あと、明治維新後、文明開化と云いながら、
西洋の猿真似に夢中で、従来の伝統的な文化を
破壊してしまった、明治政府の野蛮さの
影響も、最近であるが故に目につきますね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop