伊豆諸島の神(三嶋神の后神)/阿波咩命、伊古奈比咩命、伊賀牟比売命、伊波乃比咩命、佐伎多麻比咩命、優波夷命、久爾都比咩命、波布比売命

20170710

三嶋大社に参拝した折、三嶋神(三嶋大明神)について調べた際に、沢山の后神が浮かび上がり、その神は伊豆諸島に祀られている神であることがわかった。
それにより、三嶋神の本質も理解できた。

まず、下田市白浜と伊豆諸島に祀られている神のうち、三島神の后神は以下の通りである。
下田市白浜・伊古奈比咩命神社:伊古奈比咩命(後后)
神津島・阿波命神社:阿波咩命(正后)
三宅島・后神社:伊賀牟比売命(箱根翁媼嫡長女)
三宅島・二宮神社:伊波乃比咩命(箱根翁媼嫡次女)
三宅島・御笏神社:佐伎多麻比咩命(箱根翁媼嫡三女)
大島・波布比咩命神社:波布比売命
新島村式根島・泊神社:久爾都比咩命
沖ノ島(八丈島)・優婆夷宝明神社:優波夷命(うばいのみこと)

御蔵島、利島には王子神のみ祀られている。


寺社縁起である『三宅記』によって、それぞれの島に祀られている神について知ることが出来る。
『三宅記』の記述は、3つの物語から構成される。あらすじは次の通り。

まず第1部では、天竺に生まれた王子(三嶋神)は、継母の懸想による父の怒りを買って流浪し、支那、高麗と渡り、孝安天皇(第8代)元年に日本に到来する。そして富士山頂でまみえた神明に安住の地を請うと、富士山南部の地を与えられた。この地では狭かったので「島焼き」(造島)を行うこととしたが、その前に一度天竺に帰国する。再び渡来した際、丹波で出会った翁媼との会話の中で、自身の名が「三嶋大明神」であること、正体が薬師如来であることを知る。翁(天児屋根命)からは「タミの実」をもらい、翁媼の子の若宮・剣宮・見目を連れて伊豆に向かう。そして孝安天皇21年、多くの龍神・雷神達とともに「島焼き」を行ない、7日7夜で10島を生み出した。その島々には自身の后を配置し、各后は王子達を産んだ。
第2部では、三嶋神は箱根の湖辺に住む老翁媼の女3人を大蛇(龍神)から救い、3人を后として三宅島に迎える。3人の后もまた多くの王子を産んだ。
最後に第3部では、三嶋神は富士山において、東遊・駿河舞の芸を習得した壬生御館(みぶのみたち)という人物に出会う。御館は神々が造った島々を見ようと三宅島に渡来、三嶋神の命に応じて築地を築いた。推古天皇2年(594年)正月、垂迹の時を迎えた三嶋神は御館に奉斎を命じ、500年後に守護神となることを宣言、石笏を託して垂迹する。御館は息子の実正(実政)に東遊・駿河舞の技を、三嶋神は実成に亀卜の技を教えた。そして御館は本国へ帰り、三嶋神は白浜に飛び立ったが、その後も御館の子孫は三宅島において三嶋神を奉斎し続けたという。


本后の阿波咩命(あわのめのみこと)は神津島・阿波命神社に祀られているが、
『続日本後紀』によると、三嶋神(伊豆国一宮の三嶋大社祭神)の本后であるという。
「阿波」の神名から、忌部氏が阿波国から安房国に東遷する際(忌部氏の東遷)、当地に逗留したことに由来するという伝承もある。
平田篤胤は『古史伝』伊古奈比咩命神社項において、阿波咩命を天津羽羽神(あまつはばのかみ、天石門別神の娘神)に比定している。

後后の伊古奈比咩命については、下田市白浜の伊古奈比咩命神社に祀られ、次のような伝承がある。
伊豆創世の神々は、はじめ三宅島に祀られたがその後白浜に渡り、ここに祀られる。さらに三嶋神のみが白浜を離れて現在の三嶋大社に遷座した。主人のいなくなった白濱神社では后である伊古奈比咩命が主祭神となったと伝えられている。
三嶋神の本后は神津島の守り神である阿波命(あわのみこと)と伝えられているが、平安時代に三嶋神と伊古奈比咩命を名神として祀った とこ ろ、神津島が大噴火を起こし、これに驚いた朝廷が阿波命も名神に列したと『日本後紀』にある。もしかすると、三嶋神だけが遷座したのは、本妻の怒りに慄いたからなのかもしれない。


三嶋大社摂社・見目(みるめ)神社のご祭神は、波布比売命、久爾都比咩命、伊賀牟比咩命、佐伎多麻比咩命、伊波乃比咩命、優波夷命である。
三嶋神の后神6柱で、総称して「見目6柱」ともいわれる。
阿波咩命(正后)と伊古奈比咩命(後后)は入っていない。


最後に神津島に伝わる神話を紹介しておく。
御蔵島、利島の神が活躍しているので、これは王子神の物語かもしれない。

神代の昔、事代主命と神々によって伊豆七島が造られた後、
その真中にある神津島(神集島)で島々 の神々が集まり会議が開かれました。
場所は天上山山頂の火口跡の不入が沢。
会議の一番大事な議題は、命の源である「水」をどのように配分するかでした。
そして討議の結果、翌朝先着順に分ける 事に決まりました。
翌朝一番早く来たのは、 御蔵島の神様。そのため御蔵島は最も 多くの水を手に入れる事が出来ました。次に現れたのが新島の神様、3番目は八丈島、4番目は三宅島、5番目は大島でした。 こうして次々に水が配られ 水はどんどんなくなっていきます。 
そんなところに最後に寝坊してやってきたのは利島の神様。既に水は殆ど残っていない状態でした。 これを見た利島の神様は怒り、僅かに水が 残っていた池に飛び込んで暴れ回りました。水は四方に飛び散りお陰で神津島ではいたるところで水が沸きでるようになったと言われています。不入が沢は今でも足を踏み入れてはいけない神聖な場所になっています。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「三宅記」、初めて名前を聞きましたが、壮大な物語ですね。それも、中国や朝鮮からではなく、インドからの渡来人が神様と言うのですから。ううん、もしかして、仏教、釈迦の影響を受けているのでしょうか。いずれにしろ、この辺り、渡来人が来たと言う伝説があったのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
昔からの伝承を守るという点で、
神社が大きな意味を持っていると思います。
昔からの祭りも守られていますし。
宗教(神道)を守るというのと違って、
大切なものだと思います。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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