寒田(さむた)神社(延喜式内社)/神奈川県足柄上郡

20170721

鎮座地:神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1767
参拝日:2017年6月30日

歴史クラブの「関八州式内社めぐり」、相模国式内社の二回目で、この日最初に訪れました。

これ以上バスは入れないといことで、降りた場所に社号標がありました。
社格等:式内社(小)、県社(旧社格)
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神社入り口
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ここにも新しい社号標があり。
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仁徳天皇の時代の創建。古風土記に記述がある。かつては相模田神社・佐武多神社・佐牟太神社などと称した。延喜式神名帳には「相模國足上郡 寒田神社 小」として記載されている。江戸時代には寒田神社神田大明神とも称した。

社伝では倭建命東征の折、しばらくこの地に滞在されたとされる。この地で東征の幸先を祈願した際、酒匂川に酒を流し、東征後この地に戻ってきた際にまだ酒の香りが残っていたため酒匂川と名付けられたと伝えられる。このときの椀とされている木椀が神社に伝えられている。

1626年(寛永3年)徳川家光より朱印地を寄進されるが、1656年(承応3年)酒匂川の氾濫により社殿等流出。1868年(慶応4年)に再建された。1874年(明治7年)に郷社、1941年(昭和16年)には県社に列せられる。その後、神奈川県神社庁による献幣使参向神社となっている他、1971年(昭和46年)には松田町より史跡として指定されている。

神社名の寒田ですが、『新編相模国風土記稿』に「神田明神社(加牟駄美宇慈牟也志呂 かむだみやうじむやしろ)、延書式神名帳に載する寒田神社是なり」とあって、江戸時代には「カンダ」明神社と呼ばれたことがわかります。
寒田を「サムタ」と呼ぶか「カンダ」と呼ぶかについては、両説あるようです。
『日本総国風土記』は「和銅6年(713)に元明天皇の詔により編纂された、官選の風土記」は偽書ではないかと言われたいる文献ですが、しかし、現在の寒田神社の周辺に日本武尊命の伝説は色濃く残っているのは確かな事実です。例えば境内には日本武尊命が腰を下ろして休息したと伝えられる腰掛石があり、出典は不明ながら、『日本の神々神社と聖地』には社前を流れる酒匂川の地を縁起として伝説が多く残されている。尊は東征の帰途、この松田の地に立ち寄り、身替りとして走水の海で入水した弟橘姫命を偲んで酒匂川に神酒を注ぎ妃の冥福を祈ったところ、この神酒が海に流れ入るまで香ったので、酒匂川となずけたと言われています。

神社の由緒書き
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「松田町大名行列」の説明あり。
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参道は真っ直ぐ。
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手水舎
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拝殿前
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昭和6年奉納の獅子山があり。
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拝殿
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向背の破風は、二重の千鳥破風で重厚さを出している。
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向背部
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社額
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本殿
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ご祭神は、倭建命、弟橘比売命、菅原道真公、誉田別命

神紋は「八剣輪宝」
この紋は仏教を表すシンボルとされていて、修験者たちの護身用の武器として、山岳信仰の根強い神社仏閣には縁がある紋のようです。
北陸3県でよく見る神紋だそうです。
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社宝の椀(松田町重要文化財(工芸))というのがあり、この椀は弥生時代の後期の作と言われ、神社創建の頃から御神宝として保存されてきています。材質は、けやきで塗りの跡はなく、高台  が特に高くろくろ目が荒く表面が輪なりに、ごつごつして縄文のように見えるそうです。
なお、全体の形は、ふっくらとして、量感に富んでいて、格調高い作品だそうです。

〇倭武尊の「腰掛石」
ご祭神の倭武尊がこの地にご滞在の時のものと伝えられている。
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納札所の入れ物が良かった。
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境内社を参拝。

寒田稲荷社
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小祠がたくさん一緒に並んでいた。
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祖霊社
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歯の供養碑があり。
地元の歯科医師の皆さんが日常抜去した歯牙を祀るために建てられたもの。
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天神社・神明社・熊野社
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立派な境内社だが不明。
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ここにも小祠が二社置かれているが不明。
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「仙元大神」
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近くに「堅牢地神」もあったようだが、撮りそこねました。

鳥居から手水舎までのところに樹が多い。
手水舎のうしろの二本の榧の木は樹齢800年と言われ、「かやの木もり」と呼ばれていた頃の名残りだそうです。(昭和7年の猛烈な風で大半の榧の木が倒れてしまいました。)
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社殿のまわりにも樹が鬱蒼と茂っていた。
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参拝を終えて、バスまで帰る道で、マンホールの蓋に「松田大名行列」が描かれているのを発見。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、ここの狛犬は獅子山型なのですね。この獅子山、神田明神や平塚神社で見ますが、それらは、溶岩で出来ているのに、こちらは、単に大きな石を積み上げて作っているだけなので、溶岩のものより、派手さが劣るような感じがしますね。

溶岩のものは、富士山を象徴しているのか、あるいは、単に高い山と言うことを示しているような気がします。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
溶岩については、富士講が盛んかどうかに
よりますね。
溶岩は、富士山麓から運んでこないと
いけないので。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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