実朝の首塚・金剛寺/神奈川県秦野市

20170723

この日は、「関八州式内社めぐり」、相模国式内社の二回目で、足柄上郡松田町の「寒田神社に参拝した後、幹事の計らいで、ここを訪れました。

【実朝の首塚】
所在地:秦野市東田原1018-2
訪問日:2017年6月30日

承久元年(1219)1月27日鎌倉幕府三代将軍・実朝(27歳)は鶴岡八幡宮の境内で、二代将軍・頼家の子:公暁(20歳)により、暗殺され、実朝の首は、武常晴により秦野に運ばれ、埋葬され、これが現在、秦野市東田原にある、「実朝の御首塚」だと言い伝えられています。

三代将軍実朝は鶴岡八幡宮の年頭の式に出席した帰りに、石段の所で兄頼家の遺子「公暁」により暗殺されました。公暁は実朝の首を抱えて逃走し、三浦義村の屋敷に向かいましたが、義村には北条氏より、公暁追討が命じられており、そこで討たれました。
三浦氏の家臣長尾定景父子と共に三浦義村より公暁を打ち取る命を受けた、武常晴は、偶然に、実朝の首を得ることが出来、常晴は、三浦氏と仲の悪かった波多野忠綱を頼り秦野の地に来て埋葬したと伝えられています。
それが、現在東田原にある実朝の御首塚です。
その後、波多野氏は、実朝の三十三回忌に金剛寺にお堂を増築し、首塚を飾っていた五輪木塔を石塔に替え、阿弥陀堂に移しました。なお、首塚を飾っていたと伝えられる五輪木塔は、現在鎌倉国宝館に収蔵されています。

吾妻鑑には北条政子の遺体は勝長寿院に。実朝は高野山の金剛三昧院に葬られていると記録されています。しかし 現在は鎌倉市の「寿福寺」の「やぐら」という横穴の中に政子と実朝親子の二つの五輪塔が置かれ供養されています。

関係系図
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駐車場でバスを降り、首塚に向かう。
鬱蒼とした森になっている。
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紫陽花が咲いていた。
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木立のなか、墓を明るくするためだと思うが、刈りこまれた木立の下に首塚はあった。
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五輪塔、石灯篭、三重塔などが並んでいる。
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傍らに立つ石灯篭は、文政3年(1820)奉納のもの。
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五輪塔は、大小二基が並んでいる。
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供えられている物から、小さいほうが本来のものと判断される。
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三重塔は、平成6年に奉納されたもの。
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私らは、駐車場のほうから入ったが、反対側が正式な入り口だったみたいだ。
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説明板
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実朝の歌碑
源実朝は歌人として知られ、家集に『金槐和歌集』がある。
首塚に建てられた歌碑は、『金槐和歌集』に載せられた一首で、実朝研究家で歌人の佐佐木信綱が揮毫した。
※『金槐和歌集』の「金」は鎌倉の鎌の偏を表し、「槐」は大臣のことを表したものであることから、「鎌倉の右大臣の家集」という意味があるという。
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「ものいわぬ 四方のけだもの すらだにも
 あはれなるかなや 親の子をおもふ」
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【金剛寺】
所在地:神奈川県秦野市東田原1116
訪問日:2017年6月30日

金剛寺は、実朝の首が埋葬されたことがその始まりとされている。
金剛寺は、もともと小寺でしたが、鎌倉時代に武常晴(つねはる) が3代将軍源実朝の御首(みしるし)を当寺に持参して埋葬したことに始まるといわれています。退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて木造の五輪等を建て実朝の供養をしました。 その後、実朝の法号金剛寺殿にちなみ、金剛寺と改めました。1250年(建長2年)に、波多野忠綱(ただつな) が実朝の33回忌のため再興しました。本堂には、源実朝像が安置されています。

山門
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阿弥陀堂
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中には、阿弥陀三尊と大きな阿弥陀如来坐像があり。
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阿弥陀三尊の足元に、木製五輪塔と源実朝像の写真が置かれていた。

首塚は、もとは木製の五輪塔であったと伝えられ、その五輪塔は、現在、鎌倉国宝館に寄託されている。
その写真
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源実朝像の写真
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本堂
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本当の前には、大きな小僧さんの石像があった。
最近、あちらこちらのお寺に、小僧さんの石像が置かれているが、こんなに大きいものは珍しい。
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境内に、「災害時井戸」の標識がつけられた、掛け放しの井戸があったが、お釜の形で面白かった。
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境内は、色々な花が咲いていて、とても良い印象の寺でした。
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(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、実朝の首塚なんて言うものがあるのですか! 首塚と言えば、大手町にある「平将門の首塚」しか見たことがないのですが、調べてみると、結構な数があるのですね。でも、やはり、基本的に恨みを持った人なんだと思いますが、実朝の場合、それほど、恨みがないような気がしますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
当時は、討ち取った証は首でしたから、胴体は捨て置き、
首を持っていったわけですね。
明治維新の時代でも、近藤勇の首は、板橋から京都に
運ばれて、三条河原にさらされたそうですから。
なんともはや、凄惨なものです。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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