小野神社(延喜式内社)/神奈川県厚木市

20170811

鎮座地:神奈川県厚木市小野428
参拝日:2017年6月30日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」、相模国式内社の二回目で、寒田神社、実朝の首塚、大山阿夫利神社、比々多神社に続き、訪れました。

神社入り口
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社号標
社格等:式内社(小)、郷社(旧社格)
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創建・由緒:
 創建時期は不明ですが、『延書式神名帳』に「相模国十三座(式内社)の内、愛甲郡一座小野神社」と記されているように、古くから小野の地に鎮座する神社です。この地域は古くから「小野の里」と呼ばれ、『和名類緊抄』にも記載されている愛甲郡「玉川郷」の中心地になっていました。
霊亀2年(716)、奈良時代の高僧行基が薬師如来の像を刻んで小野神社に奉安したと社伝に伝えられています。
 鎌倉時代には、源頼朝以来三代に渡り、御家人として将軍に仕え、弓の名手として名高く、愛甲村に舘を置く愛甲三郎季隆が当社を篤<信仰していました(季隆を筆頭に愛甲一族全体でも崇拝されていた)。古い納札には建久5年(1194)に当社を再興した記録があり、その時の願主に愛甲三郎季隆の名があり、また鎌倉幕府政所長官の大江膳大夫廣元の名も残っています(以降、社殿は現在までに五国改められている)。
なお、愛甲氏の本家である横山氏は小野妹子の子孫といわれています。
江戸時代末期に鎮座地の転社(移転)が行われ、また明治6年(1873)には郷社に列せられています。

愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか):
 弓の名手として知られる愛甲季隆は、武蔵七党横山党の一族で、愛甲庄に進出し一帯を領しました。宝積寺には、季隆の妻と伝わる五輪塔が残されています。
 季隆は、下河辺行平とともに弓の名手として、源頼朝の親衛隊として仕え、頼朝の子頼家の弓の師範としても活躍。建久4年(1193)に行われた富士裾野の巻狩りでは、頼家が鹿を射止め、季隆も褒美を得たといわれています。
 元久2年(1205)、北条時政に騙されて鎌倉へと向かう畠山重忠は、二俣川で幕府軍に襲われますが、このときに重忠を射倒したのが季隆だといわれています。
 建暦3年(1213)に起こった和田合戦で和田義盛に味方し、和田一族とともに討ち死にしました。

大江広元(おおえひろもと):
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは朝廷に仕える下級貴族でしたが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献しました。

転社について:
小野神社は元々、現在の場所より西南方向に200メートル程いったところにある丘陵(通称”神の山”)に位置していました。転社(移転)時期は嘉永年間(1848~1854)の初頭頃と考えられています。現在は丘陵は私有地となっていて、小野神社に代わって秋葉神社の小祠が鎮座しています。(この小祠自体は、小野神社の転社後に建てられたものと思われます)

小野神社由緒が石碑に書かれていた。
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手水舎
手水鉢が岩を使用した立派なものだった。
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鳥居
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拝殿
拝殿は嘉永元年(1848)に造営された後、藁葺屋根でしたが、昭和43年には鉄板葺に替えられています。
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扁額
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 扁額に現在も残っている「閑香(かんこう・あいこう)大明神」は江戸時代に称していた名で、小野の「閑香さま」
と一般には呼ばれていました。
江戸時代に編纂された『新編相模国風土記稿』からは、当時の社名が「閑香大明神」、祭神は「下春命」であったことがわかります。祭神が現在の日本武命となったのは、明治時代に入ってからで、「日本武尊が東国に遠征する際に野火の焼きうちにあった」という『古事記』の記述の地が、小野と関係するとされたことによります。

本殿
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本殿の神門が新しかった。
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本殿の床が高床になっている。
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ご祭神は、日本武命、下春命(江戸時代まで)

下春命(したばるのみこと)=天下春命(あまのしたばるのみこと)
『先代旧事本紀』、『但馬故事記』では、瓊々杵尊の天孫降臨に先だって、饒速日命が天津国より天降っている。
そのとき、警護のために天より<だされた三十二神のうちの一神。
武蔵の秩父国造らの祖。開墾の神として祀られる事が多く、多摩市の小野神社と府中市の小野神社などに祀られている。

境内社
八坂神社、春日神社、淡島神社、阿羅波婆枳(あらはばき)神社、古登比羅神社、稲荷神社
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社名は、ちゃんと掲示されている。
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境内に旧社標が置かれていた。
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一緒に置かれているのは、旧石灯篭の一部。
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神楽殿
ちょうど子供を連れたお母さんが通りかかったので聞いてみると、祭礼のときには他所から社中がやってきてお神楽を奉納しているとのこと。
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これで、この日の巡拝予定をすべて終了。
帰途につきました。
もう一回残りを巡拝すれば、相模国の式内社巡拝は完了です。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この神社、「田舎の神社」と言う感じですね。愛甲と言うのどこかで聞いたと思ったら、確か、高校野球で愛甲と言う選手がいたと思いますし、愛甲石田と言う駅があったと思います。

小野妹子って、遣隋使の小野妹子ですよね。すると、600年頃の訳で、すると、この神社、700年にはできていたのですから、小野神社の小野は妹子と関係有るのかもしれませんね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
小野妹子の子孫には、小野篁がいて、
その小野篁を先祖と仰ぐのが、武蔵七党の
なかでも最大の横山党です。
ですから、小野神社との関係も大いに
あります。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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