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引常明神/日本の神々の話

20170823

記紀などの神話に登場する神ではない。

全国の金山神社の総本社である美濃国一之宮・南宮大社に参拝した折、境内社としてお参りした神である。
神泉のことを「引常明神」と呼び、その個性は「=豊玉彦命」として説明されている。

南宮大社については既に記事にしている。

その記事を読む


南門から出て、少し上がると、「聖武天皇大仏建立勅願所」碑がある。
聖武天皇は大仏建立の御願厚く天平十二年(740年)ここに行幸され金山彦命の神助を請い、この霊泉を汲まれ大仏建立の大業を祈願された。
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「引常明神・湖千海神社」の鳥居
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手前に「引常明神磐境石」、奥に「湖千海神社」
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神仙界の霊気を常に引寄せる泉で、引常明神とも呼ばれている。
その神が降臨するのが、この磐境石だということ。
聖武天皇が大仏建立を願い、この霊泉を汲んだという。

「聖武天皇行幸曵常泉由緒」
往古よりこの泉は常世(神仙界)の霊気を常に引き寄せられる神泉と仰がれ常世に坐して潮の溢涸を司られる豊玉彦命は引常明神と称えてここに迎えられ湖千海神社(こせかいじんじゃ)に祭られてきた。
聖武天皇は大仏建立の御願厚く天平十二年(740年)ここに行幸され金山彦命の神助を請いこの霊泉を汲まれ大仏建立の大業を果された。
鎌倉幕府の北条政子は亡き将軍源頼朝公の菩提の為に神縁深い南天竺の鉄塔を建立し金水の和合を祈願した。神宮寺側はこの水を如法水と呼びこれで写経した経文を塔内に納め南山の寿(不老長命)を祈るを古例とした神社にあってはこの境内で古神札を焼納し諸神の常世帰神昇神を祈るを古儀として来た
曵常泉は南宮大社弥栄の源泉であり神泉であった」
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「南天竺の鉄塔」
北条政子が源頼朝の菩提のため、ここに、南天竺の鉄塔を建立し、金水の和合を祈願した。
「南天竺の鉄」というのは、当時はまだ外来の鉄のほうが優れていて、外来の鉄をおしなべてそう云っていたのではないか。
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「瓦塚」
「引常明神・湖千海神社」の手前にある瓦塚は、社殿の古瓦で、常世神である引常明神に捧げ祀ったもの。
碑文:
長年社殿を守ってきた古瓦は無下に仕末することは許されない
心から厚くその功業に謝し今より常世神の引常明神の大前に捧げまつり常にその功力の御蔭を祈りまつる
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湖千海社の祭神は豊玉彦命で、曳常泉と呼ばれる泉がこの地にあるらしい。
ただ、どれがその曳常泉であるのかは、結局分かりませんでした。
曳常泉を引常明神として祀っていると言う事で、引常明神≒豊玉彦命と言う事の様です。

この曳常泉の地こそが往古の南宮大社にとって最も大切な聖地であったのかもしれない。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ううん、聖武天皇は神様も仏様も信じていたと言うことですね。

元々、大仏は「世の中の不安定要素を取り除き、国を安定させたい」と言うことで造られたのだと思いますが、それを造るために、別のものに頼ると言うのは、おかしい感じがしますが、それが人間と言うことなのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
天皇というのは、神道でいえば最高位であって、
天皇は「天」を司る、すなわち天候を実現している存在、
国を安んじる、すなわち災いや祟りの存在を封じて祀っている。
朝廷もそうですよね。
天変地異とか疫病とかの責任は全てかかってくる。
仏教は、「外来の高等知識」であって、仏教でガス抜きを
して、人心掌握術だったのではないかと思われます。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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