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吾嬬神社

20170913

鎮座地:東京都墨田区立花1-1-15
参拝日:2017年9月10日

この神社に、いい狛犬が居るとの情報があり、この日参拝しました。
東武亀戸線「小村井」駅から明治通りを500mほど南下すると、福神橋のたもとにあります。

福神橋
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福神橋は北十間川にかかっており、福神橋から西を見ると、正面に東京スカイツリーが見える。
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この川筋が古代~中世の海岸線だったらしい。

吾嬬神社入り口に社号標。
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すみだの史跡散歩による吾嬬神社の由緒:
この地は江戸時代のころ「吾嬬の森」、また「浮州の森」と呼ばれ、こんもりと茂った微高地で、その中に祠があり、後「吾嬬の社」と呼ばれたとも言われています。この微高地は古代の古墳ではないかという説もあります。
吾嬬神社の祭神弟橘媛命を主神とし、相殿に日本武尊を祀っています。当社の縁起については諸説がありますが、「縁起」の碑によりますと、昔、日本武尊が東征の折、相模国から上総国へ渡ろうとして海上に出た時、にわかに暴風が起こり、乗船も危うくなったのを弟橘媛命が海神の心を鎮めるために海中に身を投じると、海上が穏やかになって船は無事を得、尊は上陸されて「吾妻恋し」と悲しんだという。
のち、命の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだと言われています。
降って、正治元年(1199)に北条泰時が幕下の葛西領主遠山丹波守に命じて、神領として300貫を寄進し社殿を造営しています。さらに、嘉元元年(1303)に鎌倉から真言宗の宝蓮寺を移して別当寺としています。これらによっても、当社の創建は相当古いものと考えられます。
なお、奥宮と称される本殿の裏手には狛犬が奉納されています。樹木の下にあって磨滅は少なく、安永2年(1773)の銘を持ち、築地小田原町(築地6・7丁目)、本船町地引河岸(日本橋本町)の関係者の奉納であることがわかります。かってはこの森が海上からの好目標であったこともうかがわせます。(すみだの史跡散歩より)

由緒書き
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入るとすぐ左手に、紀真顔高麗剣の歌碑がある。
文政12年※昭和40年9月破損にて再建
『高麗剣わざこそ歌の一風流を我たまひしと人強く磨けり』。
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紀真顔:
江戸後期の狂歌師,黄表紙作者。江戸の人。本名は北川嘉兵衛。別号は狂歌堂,四方歌垣(よものうたがき),俳諧歌場。数寄屋橋外の汁粉屋で,はじめは恋川好町(すきまち)の名で黄表紙作者。狂歌は四方赤良(よものあから)(大田南畝)に師事して判者を譲られ,四方側の領袖となる。狂歌四天王の一人。天明狂歌の第二世代として宿屋飯盛(石川雅望)と双璧をなすが,純粋天明調を首唱する飯盛に対し,狂歌を優美高尚なものにしようとして俳諧歌と呼んだ。

参道は、まっすぐ、やや下っている。
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神橋
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神橋を渡ると広場となり、石垣で高くなったところに社殿あり。
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石垣の下にも幾つか並んでいる。

古い社号標
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縁起を刻んだ石碑
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源延平の歌碑
『皇国はかみ代のままの道しあれことなる文のをしへ何せむ』
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石段を上がり、鳥居をくぐると、左手に手水舎あり。
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右には、楠がある。
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「神樟」の碑
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神木「連理の楠」。
墨田区の登録有形文化財。明治時代には幹周りが4~5mはあったというが、大正時代に枯れてしまった。この木の葉を煎じて飲むと、諸病に効くとされていたという。
説明
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枯れた幹が、まだ残っている。
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その横に新しい楠が勢いよく茂っている。
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社殿を挟んで反対側に、「吾嬬森碑」がある。
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説明
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歌川広重の「江戸名所百景」
「吾嬬の森連理の梓」
「梓」としてしまったのは、広重と版元のケアレスミス。
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拝殿
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社額
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拝殿内部
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本殿は石祠であるが、フェンスに阻まれ、近づくことはできない。
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ご祭神は弟橘姫命
ご相殿神が日本武命

本殿の前に、安永2年銘狛犬が居ます。
(説明板)
この狛犬は比較的小型の一対ですが、世話人10名と奉納者22名もの名前が刻まれています。そのほとんどが築地小田原町(中央区築地6・7丁目)や本船町地引河岸(中央区日本橋本町)など日本橋の商人であることから、海運・漁業関係者との繋がりをよく表しているといってよいでしょう。このことは吾嬬神社の由来に起因しています。日本の神話に、日本武尊命が現在の東京湾を舟で渡っている時に神の怒りに触れ、往生していた時に妻の弟橘媛が海に身を投げて海神の怒りを鎮めたという話があります。この媛の品が流れ着いた所がこの地だったということです。以来、海や川で働く人々の守護神として信仰されてきたわけです。また、昔は地盤沈下していなかったため、この社の裏の「吾嬬の森」と呼ばれた森が小山のように広がり、海上からの好目標だったことも崇敬を集めた理由のひとつでしょう。現在、鉄柵の奥にあるため近づくことはできませんが、かえって台座に刻まれた人名など、良い状態で保存されています。
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力石が5個あり。
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一番大きいのは、五十貫二百目
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神輿庫
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境内社の福神稲荷神社
御祭神:宇賀之魂之命、大国主之命、金山彦之命
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社殿の前に、狛狐が居た。
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(了)



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

形も良い上、角が残っている狛犬なのですね。近づけないのは残念ですが、ここ、小村井香取神社の帰りに行けそうですので、2月の梅の季節のなったら行きたいです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
残念ながら、この日は天気が良すぎて、
明暗がきつくて、あまり良い写真は撮れませんでした。
また行こうと思っています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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