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中山道を日本橋からのんびりと(前半)

20171111

11月6日に、こういうタイトルで歴史クラブ行事として歩きました。

普通は、日本橋から板橋まで歩くのですが、目的は中山道沿いの旧跡をできるだけ見ようという事なので、白山駅あたりで切り上げることにして、のんびり歩きました。

コースは、①日本橋・道路元標⇒魚河岸碑⇒三浦按針邸碑⇒越後屋跡(三越)⇒長崎屋標識⇒今川橋碑⇒神田駅前⇒昼食(自由行動)⇒万世橋駅跡・筋違御門跡⇒昌平橋⇒伊勢丹発祥の地⇒神田明神・麹屋・天野屋⇒中山道原形⇒仙台堀⇒かねやす⇒本郷薬師・桜木神社⇒東大赤門⇒安田講堂前⇒三四郎池⇒東大農学部・帰って来たハチ公像⇒本郷追分・高崎屋⇒大円寺(ほうろく地蔵、一里塚の庚申塔、高島秋帆墓)⇒円乗寺・お七の墓⇒白山駅
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私は、この日は案内役だったのであまり写真が撮れず、10月3日に来た下見の写真と、2016年4月16日に一人で歩いたときの写真を使用して記事にしました。

【日本橋】
木曽街道「日本橋雪の曙」/渓斎英泉
浮世絵「木曽街道(中山道)六十九次」は渓斎英泉と歌川広重の合作。
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道路網の整備に取り掛かった徳川家康は慶長8年(1603)、元の神田川に橋を架けたのが日本橋のスタート。幾多の変遷を経て明治44年(1911)に石造りに架け替えたのが現在の「日本橋」。
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翼のある麒麟
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【道路元標】
1873年(明治6年)12月20日、政府は太政官達第413号により各府県ごと「里程元標(りていげんぴょう)」を設け陸地の道程(みちのり)の調査を命じている。これによると、東京の日本橋、京都の三条橋の中央を国内諸街道の起程とした。
1911年(明治44年)に現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置された。
日本橋の中央にあった東京市道路元標は東京都電本通線の架線柱として使用されていたが、都電廃止後1972年(昭和47年)の道路改修に伴い日本橋の北西側袂に移設された。東京市道路元標があった場所には、50cm四方の日本国道路元標が埋め込まれた。文字は佐藤栄作によるものである。
道路中央の「道路元標」を確認。
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この辺から見た上野高速道路のカーブが絶妙だった。
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歩道に、「道路元標」の複製が置いてあります。
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私たちがちょうどここに来た時、酒場探訪番組で有名な吉田類氏がNHK番組のロケをしていた。
この後「日本橋魚市場発祥の地碑」に居たら、後ろを「はなわ」氏がカメラを引き連れて通って行き、さすが日本橋だと恐れ入りました(笑)

【日本橋魚市場発祥の地碑】
日本橋の北詰 東側に「日本橋魚市場発祥地碑」が建っている。
江戸~大正までの期間, このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて 大きな魚市場が 広がっていた。
この魚河岸は 明治・大正時代まで 300年余り続いたが, 関東大震災により 魚市場は 築地に移転を余儀なくされた。

残念ながら、この日は工事中で碑には近寄れなかった。
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中山道歩き出してすぐ、「八木長」の角を曲がって三浦按針邸跡碑に行くが、この「八木長」も元文2年(1737)創業の老舗である。
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【三浦按針邸跡碑】
三浦按針(ウイリアム・アダムス)が家康の外交顧問であった時代、ここに居を与えられ江戸城に出仕していた場所である。
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【越後屋跡(三越)】
三浦按針邸跡碑から中山道に戻るが、ここから三越の建物が始まっている。
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現金売りで成功した越後屋の話は有名だが、意外にも越後屋は新潟出身ではない。
伊勢出身の三井高利が始めたのだが、当時「伊勢屋」の屋号はそこらじゅうにあったので、「越後屋」にしたのだそうだ。
ちなみに、銀座に江戸時代創業の「越後屋」という呉服屋さんがあるが、ここは新潟出身である。

三越正面入り口のライオンの前を通過。
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日光街道(現在の国道4号線)が分かれるところに「長崎屋跡」がある。
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【長崎屋跡】
鎖国政策をとっていた江戸時代、オランダ商館長は年に一度、献上品を携えて将軍拝謁することを通例とした。その際に宿所に指定されたのが長崎屋。この一行には医師などが含まれていた為、最新の知識を学ぼうと幕府の医官などが連日訪問して交流を深めた。 訪問者の中には、杉田玄白や平賀源内など、日本の歴史上重要な役割を果たした人物が数多く含まれている。
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「本銀通り」を通過。
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【今川橋】
日本橋を出発して最初に渡つていた橋。今川焼発祥の地。今は川が埋め立てられて道路になっている。

ちょっと引っこんだところに説明と碑があり。
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中山道沿いにある説明。
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それからほんのちょっとで、中山道にかかっている陸橋が神田駅。
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ここで11時半となっていたので、神田駅周辺自由行動でランチタイムとしました。
集合は、神田駅入り口にある「健やかに/田中昭」という彫刻の前。
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集合して歩き出し、神田須田町交差点。
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ここで17号線は、右斜めにカーブして万世橋に向かいますが、旧中山道は直進して「万世橋駅跡」にぶつかりますが、ここには「筋違御門」があり、中山道は「筋違橋」を渡っていた。

神田須田町交差点の次の交差点から、正面に見える煉瓦造りは、万世橋駅のホーム跡。
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この地点の右手の広場に、この辺の歴史を説明するパネルを並べてあった。
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【筋違御門】
外堀に設けられた門の内側が「ご府内」(朱引き内) 
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筋違御門前の広場
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【筋違橋】 
ちょっと斜めにかかっているように見える手前の橋が「筋違橋」
右端に、ちょっと昌平橋が描かれている。
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筋違橋と筋違御門の写真
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【万世橋駅跡】
私鉄の甲武鉄道は1889年(明治22年)4月11日、立川 - 新宿間を開通させ、都心への延伸を進め、1912年(明治45年)4月1日、万世橋駅の営業を開始。甲武鉄道は1906年(明治39年)3月31日に国有化された。
東京駅が完成し、1919年(大正8年)3月1日、万世橋 - 東京が開通。中央本線の起終点としての役目は7年で終わった。
駅前には広場が設けられ、日露戦争の英雄である広瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた。
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ここには「交通博物館」があった。
現在は大宮に移っている。
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ホームの一部に上がれるようになっている。
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筋違橋が現在は無いので、万世橋駅ホーム跡に沿って昌平橋に向かう。
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神田須田町交差点から中山道を真っ直ぐ来て、万世橋駅ホーム跡にぶつかった地点には「御成道」の説明があり。
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【昌平橋】
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昌平橋から「万世橋駅ホーム跡」を眺める。
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昌平橋を渡ったところに「神田旅籠町」の説明あり。
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昌平橋の聖橋側からは、総武線と中央線快速が立体交差が見え、その向こうには聖橋が見えて、その手前を丸ノ内線が横切っている。
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聖橋をズーム。ちょうど丸ノ内線電車が横切ったところ。
これは以前の写真。
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ここで皆さんに「運が良ければ、三つの電車が同時に見られます。せめて丸ノ内線が横切るまで待ちましょう」と云って、待っていたら、本当に総武線が来て、中央線快速が来て、しかも丸ノ内線が横切った。

私は、あまりの僥倖に度を失い、シャッターを切るのを忘れて見とれていました(笑)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

神田駅周辺で昼食とは中々、良い考えですね。駅そばは勿論、西口商店街も食べ物屋さんは沢山、ありますし。でも、神田駅周辺と言えば、カレーが食べられる店が多い、多分、50店ではきかなと思います。

それにしても、私は道路上にある案内板や解説板ってほとんど気にしたことはありませんが、さすがに、四季歩さんは詳細に調べていらっしゃいますね!

matsumoさん

コメントありがとうございます。
歴史クラブの中に、色々な研究グループがあり、
その一つの「江戸再発見」というグループの
スタッフもやっているものですから、
常に、「ここは江戸時代どうだったのか」と
見るようにしています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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