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中山道を日本橋からのんびりと(後半)

20171115

11月6日に、こういうタイトルで歴史クラブ行事として歩きましたが、その後半の記事です。

昌平橋からまっすぐ歩き、「神田明神下」の交差点を左折して神田明神に向かうが、
「神田明神下」の交差点の手前、右側が「伊勢丹発祥の地」だと、通りがかりの人に教えてもらった。
工事中の場所である。
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「神田明神下」の交差点を左折して坂を上がっていくと、左手に「湯島聖堂」。
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右手に神田明神の大きな鳥居と天野屋が。
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【天野屋】
弘化3年(1846)創業、地下6mの土室(つちむろ)で作られる甘酒は絶品。
※初代は京都・丹後の宮津藩の出で天野新助。弟が江戸へ出て千葉道場で腕を上げ、妬まれて暗殺されたため、その仇討ちを目的に出てきた。当時神田明神は江戸の総鎮守で、ここにいれば仇に出会えるだろうと茶店を出した。仇には巡り合えず、そのまま家業となり現在は6代目。

天野屋の左手から中山道の原形が100mほど残っている。
天野屋の喫茶部入り口に何気なく案内が(笑)
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わずか100mですが、味わって歩きます。
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聖橋からの道に突き当たって、中山道の原形は終り、中山道に戻る際通り越して聖橋まで行きました。
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【仙台堀】
聖橋の下に神田川が流れているが、ここは「仙台堀」と呼ばれる掘割。
かって洪水で悩まされた神田川の流路を変えるために、仙台藩が莫大な資金を投じて掘り下げた人工の川が今の御茶ノ水辺りの神田川である。

聖橋から「仙台堀」を覗き込むと、御茶ノ水駅の拡幅工事の真っ最中でした。
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中山道に戻り、先に進みます。
日本医科歯科大学、順天堂大学が左手に続きます。
道の右手はホテル。
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「順天堂」の「天」の字が素晴らしい。
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「壱岐坂上」を過ぎてしばらく行くと、春日通りと交差する「本郷三丁目」交差点。
この交差点に「かねやす」があり。
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【かねやす】
ここまでが瓦葺きの家が並んでいたので「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と古川柳に詠われ、享保年中(1716~36)に歯磨き「乳香散」で繁盛した兼康(現在は洋品店)。乳香散は兼康祐悦という口内医師が考案し売り出したもの。本店は京都の今出川で、本郷の支店のさらに出店がここの店。ところが店先に幕を張り屏風を立て、番頭が乳香散の効能を面白おかしく喋るので評判になり人気が出たという。
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「本郷三丁目」交差点を渡ると左手に「本郷薬師」があり。

【本郷薬師】
清賢法印が寛永14年(1636)中興した富元山真光寺の境内に寛永10年(1670)建立したといいます。深く信仰を集め、縁日も賑やかであったといいますが、第二次世界大戦で焼失、真光寺は世田谷区へ移転したといいます。
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「本郷薬師」の奥に「桜木神社」があり。

【桜木神社】
太田道灌が江戸城に北野天神を勧請して祀ったものが、其後湯島高台なる旧櫻の馬場の地に神祠を建立してその近隣の産土神としていた。其後更に元禄3年徳川綱吉が同所に御学問所昌平黌を設立するに当り、現在の地に遷座されたもの。
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そこからすぐに、右手は東大の敷地がはじまるが、これはまるまる加賀藩前田家の上屋敷跡だ。
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【東大赤門(旧加賀屋敷御守殿門)】
11代将軍家斉の子溶姫(やすひめ)が前田家に嫁入りしたとき建てられた赤門は、火災や関東大震災を乗り越えた貴重な遺構である。
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赤門から中に入り、構内を横に移動し、正門からの道に出て三四郎池を目指します。

安田講堂への銀杏並木
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建物のなかを突き抜けるトンネル。
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安田講堂
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安田講堂から三四郎池に向かう途中、ハチ公を発見(笑)
こんなところを毎日散歩していたら、末は博士犬だな。
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【三四郎池】
寛永6年(1629)4月、前田家3代藩主利常の時に、徳川3代将軍家光・大御所秀忠の御成があり、それに先だって豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し、庭園を整備したと考えられる。
この庭園が育徳園であり、池を「心字池」といった。
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。
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正門に戻る途中のショット。
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正門を出て、レンカの塀沿いの中山道を歩き、東大農学部のハチ公に会いに行きます。
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【ハチ公と上野英三郎博士像】
東大農学部にある像はハチ公没後80年にあたる2015年3月8日に建てられた。
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東大農学部正門の前で、道は分かれて真っ直ぐ行けば岩槻街道、通称「日光御成道」である。中山道は、ここで左折します。
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【本郷追分】
角に見える酒店の「高崎屋」(左)は宝暦元年(1751)創業。
ここは日本橋からちょうど一里。中山道最初の追分一里塚があった場所。
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中山道をしばらく行くと、大円寺があり。

【大円寺】
当寺は、3500人が亡くなったという天和の大火(1683年)の火元である。この時の八百屋お七についての有名な俗説は、「八百屋の娘のお七は天和の大火で家族と焼け出され、避難先の寺(近くの円乗院や吉祥寺などの説あり)で寺の小姓と恋仲となる。やがて再建された自宅に戻ったお七は、再び火事になれば想い人に会えるかもと自宅に放火し、火刑に処された」という筋立てのもので、歌舞伎や浄瑠璃や浮世絵などの題材となった。ただし、話の粗筋には結構バリエーションがあり、また実際にわかっているのは、お七という娘が放火の罪で処刑されたことだけである。
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境内には、八百屋お七を供養するため1719年に建てられたほうろく地蔵がある。この地蔵は、お七のために熱したホウロク(浅い素焼きの土鍋)をかぶって焦熱の苦しみを受けているとのことで、首から上の病気平癒に霊験ありといい、祠の前には願いを記したホウロクが多く納められている。
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地蔵堂の前に三体もの庚申塔があります。これは本郷追分一里塚にあったもの。
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この中の、天明4年(1784)造立の、剣人型青面金剛庚申塔の特にショケラが、腰巻一つなのがはっきりとわかり、「半裸の女人」としては今まで沢山の庚申塔データの中で最高だ。
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〇高島秋帆の墓
秋帆は長崎町年寄の家に生まれ、長崎会所調役頭取となった。出島のオランダ人らを通じてオランダ語や洋式砲術を学び、私費で銃器等を揃え天保5年(1834年)に高島流砲術を完成させた。その後、清がアヘン戦争でイギリスに敗れたことを知ると、秋帆は幕府に火砲の近代化を訴える『天保上書』という意見書を提出して天保12年5月9日(1841年6月27日)、武蔵国徳丸ヶ原(現在の東京都板橋区高島平)で日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行なった。
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この墓地に来て感心するのは、いつも路地植えの草花が沢山咲いていること。
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高島秋帆の墓
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ここで、中山道の旅は終りとし、浄心寺坂の急な坂を下って、「円乗寺」に向かいます。
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【円乗寺】
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ここには「八百屋お七」の墓があります。
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これで、この日の予定は全て終えました。
天気も良くて、皆さん楽しそうに気持ち良く歩いていただいたので、案内役としてもとても嬉しかった。

白山駅から帰途につきました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

日本橋から白山駅までご苦労さまでした。東京大学ですが、ここの前は何十回と通っていますが、未だに中に入ったことがありません。と言うのは、大昔、ここの受験を受けたかったのですが、学力が無いため、受けられなかったと言う苦い思い出と劣等感があるため、中に入る気が起きないからです。

三四郎池は一度は撮影したいと思っているのですが、上記の写真を見たところ、建物も人も入らないで、写せるようですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、進学の際には先生からは東大は進められませんでした(笑)
その次のレベルの国立を出ましたが、そのおかげか、
比較的のんびりと人生を送れたような気がしています。
三四郎池の周りは、静寂そのものですね。
下見のときに話したおばさんが、毎日散歩に来るが、
カワセミをよく見ると云っていました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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