刺田比古神(さすたひこがみ)/日本の神々の話

20171123

記紀には登場していない。『延喜式』神名帳に記載されている神。
記紀に登場する「道臣命」の父。
道臣命(みちのおみのみこと)は天忍日命(あまのおしひのみこと)の後裔であり、大伴氏の祖である。神武天皇の東征の先鋒を務め、神武天皇即位の際には宮門の警衛を務めた。

道臣命を祀る神社には伴林神社(藤井寺市)、林神社(富山県砺市林)などがあるが、刺田比古神社は全国でも一社しかみられない。
和歌山県和歌山市片岡町の、延喜式内社・刺田比古神社である。

よって、以下は刺田比古神社の説明による。

「刺田比古」について唯一伝えられている資料がある。
鎌田純一編『甲斐国一之宮 浅間神社誌』(昭和54年3月10日、浅間神社)に資料として掲載されている「古屋家家譜」である。古屋家は浅間神社の社家で、大伴氏の流れを持つという。この「古屋家家譜」は『系図纂要』や『群書類従』に見られる大伴系図とは違う伝承を持っている。
「古屋家家譜」によると道臣命の父が刺田比古命となっている。
しかも道臣命は「生紀伊国名草郡片岡之地」とあり、片岡の里に生まれたと伝えている。このことを考えると、道臣命、あるいは佐弖比古命以前の祖先神として刺田比古命を祀ったと考えるべきであろう。

「刺田比古」については、他の諸説あり、その主なものを載せておく。

①もっとも有名なものとしては、本居宣長の『古事記伝』がある。宣長は「刺田」を「刺国」の誤りだとして大国主命の父にあたる刺国彦命を祀る神社と捉えている。(『紀伊国名所図会』や『紀伊続風土記』はこの説に従っている。)
この解釈は、紀伊国に大国主命を祀る神社が多いことによる。しかしながら、神名を間違えて表記するというのは少し不自然なように思われる。また『延喜式』神名帳のどの伝本をみても異同がなく、『紀伊国神名帳』(成立年は不明)にも「刺田比古神」とあり、他の文書にも別表記がないのも奇妙に思われる。『紀伊国名所図会』でもその点を指摘している。

②『和歌山県史』(大正3年)引用の刺田比古神社史によると、「刺田比古」は「サデヒコ」と読むべきだとしている。祭神の佐弖比古命の表記違いの神名が、次第に本来の読みを失ったことによるのではないかと推測している。(『明治神社誌料』なども、この説を踏襲したものと考えられる。)
確かに佐弖比古命はさまざまな表記がなされ、「デ」の音が「ダ」の音に変化するのは自然である。しかし、「刺」の字を用いた表記は見られない。しかも『延喜式』神名帳の訓は、「サスタ」あるいは「サシタ」の異同のみで、「サデ」とするものは見られない。

従って「刺田比古」は刺国彦命や佐氏比古命とは別の神名と考えるべきのようである。


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