健磐龍命(たけいわたつのみこと)/日本の神々の話

20171127

健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、記紀には登場しないが神武天皇の孫神にあたる。
肥後国一之宮阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の祭神。
阿蘇神社は、孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝える。

健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、阿蘇開拓の神話の主人公。
神武天皇の子である神八井命(かむやいみみのみこと)の子として皇統に組み込まれているが、元々は阿蘇で信仰されていた阿蘇山の神とみられる。

9世紀の平安時代、健磐龍命神が従四位に叙せられると、噴火を鎮めるためか、20年足らずで正二位にまで上った。しかし正二位になった5年後の貞観6年(864年)には、阿蘇は山上の池が沸騰して天に吹き飛ぶ噴火を起こしたとされる。

阿蘇地方では、健磐龍命に関する次の伝承がある。
健磐龍命は祖父の神武天皇の命をうけて阿蘇山へ至り、外輪山の上から目の前に広がる湖を眺め、その広大さに感心して、水をなくして田畑を造ろう、と考えた。
そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたが、一度目に挑戦したところはなかなか蹴破れなかった。それは、山が二重になっているからで、以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」と呼ばれるようになった。
別の場所で挑戦したら、今度は見事に蹴破ることに成功したが、そのはずみで健磐龍命はしりもちをついてしまい、「立てぬ」と叫び、以後、その場所は「立野」と呼ばれるようになった。
また、蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されてしまったことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。
湖水が引いてきたが、まだ湖水をせき止めているものがある。
命は川上を調べてみると、おどろいたことに、巨大な鯰(なまず)が、川の流れをせきとめていた。尾篭(おごもり)の鼻ぐり岩から、住生岳のふもと、下野までのあいだに横たわっていたというから阿蘇谷の半分ぐらいに及んでいたことになる。
命は、この鯰を退治しました。鯰が流れついたところを鯰村、といい村人が片づけた鯰は、六つに分けられたため、その部落は六荷-六嘉(ろっか)というようになった。
また、水の引いていったあとが、引水(ひきみす) 土くれがとび散ったところは(つくれ)津久礼 小石がたくさん流れていったので合志(こうし)、水が流れ出したところは数鹿流(すかる)であり、スキマがアルという意味だともいい、鹿が流されたという意にもとれる。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

阿蘇山は隋の歴史書にも書かれているのだそうですから、大昔から有名だったのでしょうね。

阿蘇山と言えば、一度だけ行ったことがあります。大学4年生の時で、研究室の人達と行ったのですが、まだ、元気いっぱいの時期ですから、ロープウェイの下を登って、顔を出したら、すぐ下は崖で、そこが噴火口でした(笑)。そして、噴火口の周りを歩いてから下った記憶があります。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、来年九州に旅行するつもりですが、
天草が中心なので、熊本空港を使う
ので、阿蘇も楽しみにしています。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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