酒折宮(さかおりのみや)

20171129

所在地:山梨県甲府市酒折3-1-13
参拝日:2017年11月16日

この日、甲斐国一之宮・浅間神社に次いで、ここに参拝しました。

入り口
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社号標
正面に「酒折宮」、左側面に「日本武尊御舊跡」とある。
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『古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社である(ただし後述のように異説もある)。
また、その説話にちなみ連歌発祥の地とされている。

記紀の酒折宮伝承:
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には、ヤマトタケルの東征伝承が記されている。
ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている。
一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている。

帰路、甲斐国(現山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている。行在中に尊が塩海足尼(しほのみのすくね)を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える。
記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっている。また「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置することから、酒折宮も「坂」に関係する祭祀を司っていた神社であると考えられている。

連歌伝承:
また記紀には、滞在中のある夜、尊が
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか
と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が
「日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」
意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました
と答歌、尊がこの老人の機知に感嘆した伝えを載せ、『古事記』には彼を東国造に任命したと記載されている。
この翁を酒折宮翁という。
酒折宮伝承はこの2人で1首の和歌を詠んだという伝説が後世に連歌の発祥として位置づけられ、そこから連歌発祥の地として多くの学者・文学者が訪れる場所になった。

小堀鞆音画「酒折宮連歌図」
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鳥居の前に、鳥居の原形である注連柱も設けられている。
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鳥居をくぐると、すぐ左手に連歌の碑があり。
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参道の真ん中辺にある狛犬を過ぎると、大きな石碑があり。
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当社には多くの国学者、文学者が訪れた記録が残されています。
本居宣長と山県大弐の碑は、どちらの碑も巨石にぎっしりと漢字が彫られています。
最初は、1791年(寛政3年)、国学者の本居宣長は、甲斐在住の門弟である萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し、それから48年後の1839年(天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』が建立された。
『酒折宮寿詞』は414文字の漢字が並び、この碑文を見た作家井伏鱒二は、「まるでクイズをやらされているようなものだ」と言ったという。
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末尾に本居宣長と田篤胤の名前があり。
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横に何が書かれているか説明あり。
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手水舎
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もう一つ、山県大弐の碑があります。
1762年(宝暦12年)には甲斐出身の国学者である山県大弐が、師である加賀美光章とともに社殿を造営し、この地が東征の故事に記された酒折宮旧址であるとの内容を記した碑文『酒折祠碑(しひ)』を建立した。
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拝殿
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社額
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本殿は、更に斜面を上がったところにあり。
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本殿
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ご祭神は日本武尊 (やまとたけるのみこと)

神紋は「五七の桐」
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参道の左手に、境内社であろう石祠が並んでいる。
しかし掲示が無いので、どういう神様かは不明。
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一応お参りして、帰ってから調べたが、境内社については公式HPでも、色々な参拝の記事からもまったくわからない。

その奥にも石祠があり、それに導かれるように入り込んでいく。
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斜面の上のほうに磐座みたいなのが見えたので、上がっていった。
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林にまぎれて下からよくわからなかったが、近づいてみると大きな岩がたくさんあった。
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三つの大きな岩で、小さな窓が出来ていた。
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いかにも神が降臨しそうな磐座である。
この辺は、酒折縄文遺跡と云われ戦前から知られている遺物散布地で、縄文土器と石斧が酒折宮周辺で採集されているそうだ。

道で分断されているが、酒折宮の境内だと思われる斜面に、石祠が幾つもあった。

金比羅大権現
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蚕影大神
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あとは不明な石祠があちこちにあり。
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(了)



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

甲府駅から歩いて、甲州善光寺やその周囲のお寺に行ったことがあるのですが、残念ながら、酒折宮に行ったことありませんでした。と言うか、酒折駅と言うのは珍しい駅名だと思った記憶はありますが、それが酒折宮から来たことは初めて知りました。

写真を見せていただいた限りでは、中々、良さそうな神社ですので、甲府に行った時に寄りたいです。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
山梨県は、まだまだ私は未開拓で、
行きたい所がたくさんあります。
無理せず、何度も通うつもりです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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