石楯尾大神(いしたておのおおかみ)/日本の神々の話

20171217

 相模国式内社石楯尾神社は、現在論社が七社もある状態らしい。しかし、その祭神は、石楯尾大神であるということは各社共通している。

石楯尾大神がどういう神かと調べたところ、二つの伝承がある。

その一:
名倉の石楯尾神社の社伝では「第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征のみぎり、持ち来った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まりである、とされている。
これからすると、天磐楯 (あまのいわたて)を神格化したものが石楯尾大神である、となる。
では天磐楯 (あまのいわたて)は、どういうものか調べると、和歌山県新宮市にある神倉山にある「ゴトビキ岩」だという。
神武天皇の東征の神話で有名なのが、熊野で神武天皇が正気を失ったとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。その場所が天磐盾(あめのいわたて)の山であり、神倉山と云われ、神倉神社がある。

その二:
この世のはじめ、天地創造の折に、神々が国の鎮めとなさっておくだりになった、天然の神籬磐境の「エボシ岩」を人々が尊んで、拝み仕えまつった祭政一致の生活の行なはれた所が京塚山の頂上にあった。
ここが富士神界( 肉体ある人の世より前の霊体の神神の世)の中心地・高御座であった。 (相模の国の奥津宮=総産土神) このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここが産土路にあたり (石楯が粘板岩でここが変成粘板岩) 古代人が神を斎きまつった所・斎庭として人々の崇敬の中心となり、崇神天皇より古くから総産土神としてお社が設けられた様であり、高位の神々様が数多くお鎮り遊ばされて居り、応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、文徳天皇天安元年五月、丙辰・従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録にある国史所載社である。

この二つの話から推察すると、日本武尊東征のみぎり、この地に至った日本武尊が「エボシ岩」を天磐楯 (あまのいわたて)と同じだと感じ、社を祀ったのがはじまりで、このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここを産土神として神格化したものが石楯尾大神ではないかと思える。

残念ながら「エボシ岩」は、中央線の工事で撤去されてしまったとの事。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この手の話を読むと、やはり、天照一族は侵略者と言うイメージですね。でも、不思議に思うことは、槍をつっこんであげた滴からできた日本列島の方々に、日本列島を作った神々とは関係なく、人間や種々の神様が生まれてしまうと言うことですね。ともかく、ものすごく不思議に思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
征服した天孫族の先祖に通じる神だけで、
神話を作ったら、整然としたものに
なったかもしれないですよね。
ですが、古事記に登場する神のうち三分の一は
征服された出雲系の神ですし。
天孫族が奉じる神以外は認めないとしたなら、
こんなに土着の神は残っていなかったと思います。
これが、我民族の特性なんでしょうか。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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