神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)・神八井耳命(かむやいみみのみこと)/日本の神々の話

20171228

神沼河耳命は、のちの綏靖天皇(すいぜいてんのうのことである。
神武天皇(初代天皇)の子にあたる。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述は少なく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

『古事記』の「神武天皇」の巻、「当芸志美美命の反逆」の段
 (現代語訳)
 さて、神武天皇が亡くなられてのち、天皇の異母兄の当芸志美美命(たぎしみみのみこと)が、皇后の伊須気余理比売(いすけよりひめ)を妻としたとき、その三人の弟たちを殺そうと計画したので、三人の母君の伊須気余理比売が心を痛め、また苦しんで、歌によってその御子たちにこのことをお知らせになった。
歌われた歌は、
 狭井河の方から雲が立ち広がって来て、畝傍山では木の葉が鳴りさわいでいる。大風が吹き出そうとしている。

またお歌いになった歌は、
 畝傍山では、星間は雲が揺れ動き、夕方になると大風の吹く前ぶれとして、木の葉がざわめいている。

 そこでその御子は、この歌を聞いて陰謀を知って驚き、ただちに当芸志美美を殺そうとなさった。そのとき、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)はその兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)に、「兄上よ、あなたは武器を持ってはいって、当芸志美美をお殺しなさい」と申した。それで、武器を持ってはいって、殺そうとしたとき、手足がふるえて、殺すことがおできにならなかった。そこでその弟の神沼河耳命は、その兄の持っている武器をもらい受けて、はいって行って当芸志美美をお殺しになった。それでまた御名を称えて、建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)というのである。
 こうして神八井耳命は、弟の建沼河耳命に皇位を譲って申すには、「私は敵を殺すことができなかった。あなたは完全に敵を殺すことがおできになった。だから、私は兄であるけれども、上に立つべきではない。そういうわけで、あなたが天皇となって、天下をお治めなさい。私はあなたを助けて、祭事をつかさどる者となってお仕え申しましょう」と申した。
さて、その日子八井命(ひこやいのみこと)は、茨田連・手島連の祖先である。神八井耳命は、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫の三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥の石坂国造・長狭国造・伊勢の船木直・尾張の丹波臣・島田臣等の祖先である。神沼河耳命は、天下をお
治めになった。
おほよそこの神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)のお年は百三十七歳。御陵は畝傍山の北の方の白檮尾(かしのお)のあたりにある。

『古事記全訳注』著者の次田真幸氏の解説:
 伊波礼毘古命(神武天皇)が、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の四柱の御子の末弟であって天皇に即位したのは、末子成功説話あるいは末子相続制の習俗を反映したものであるが、神武天皇の崩後に、皇后の生んだ三柱の御子の中の神八井耳命が、末弟の神沼河耳命に天皇の地位を譲ったというのも、やはり末子相続制の思想によるものである。
 物語の最後に、ヒコヤヰノ命やカムヤヰミミノ命を祖とする多くの氏族名が記されているが、それらの各地の氏族や豪族は、己たちの祖先の出自を、神武天皇の皇子に結びつけて伝承することによって、大和朝廷と緊密な関係を有する氏族であることを、社会に示そうとしたのであろう。



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