雲南市・須我神社の狛犬
20180115
所在地: 島根県雲南市大東町須賀260 須我神社神門前
参拝日:2015年11月13日
この神社は、『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされている。
「日本初之宮」碑

日本初の和歌碑
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」

須我神社については、既に記事があります。
その記事を見る
今回の狛犬は神門の前に居ます。

年代:文化13年(1816)
材質:石造
型式:出雲・丸台座型
この狛犬の特徴は、台座が円盤であること。
これが、ありそうで無いのですね。
出雲発祥で、出雲以外では私は奈良で一つ発見しただけです。
出雲地方の狛犬は、ほとんどが「来待石(きまちいし)」という凝灰質砂岩が使われています。
砂岩故に風化が激しく、また水分を含みやすいため苔が多く付着しています。
右側が阿形獅子。





左が吽形獅子




狛犬が乗っている丸台座


特徴:
・狛犬が円盤の台座の上に乗っている。
・右側が阿形、たてがみに巻き毛があり獅子。
・左側は吽形、たてがみに巻き毛があり獅子。
・身体に比べ頭部がかなり大きい。
・伏せた耳が長い。・風化が激しく顔はあまりわからないが、穏やかな感じ。
・たてがみや顎髭は非常に長く流れている。
・身体の体毛は豊かに表現されている。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・尾は立っている。後ろから撮っていないため毛の流れは不明。
狛犬の記事一覧を見る
参拝日:2015年11月13日
この神社は、『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされている。
「日本初之宮」碑

日本初の和歌碑
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」

須我神社については、既に記事があります。
その記事を見る
今回の狛犬は神門の前に居ます。

年代:文化13年(1816)
材質:石造
型式:出雲・丸台座型
この狛犬の特徴は、台座が円盤であること。
これが、ありそうで無いのですね。
出雲発祥で、出雲以外では私は奈良で一つ発見しただけです。
出雲地方の狛犬は、ほとんどが「来待石(きまちいし)」という凝灰質砂岩が使われています。
砂岩故に風化が激しく、また水分を含みやすいため苔が多く付着しています。
右側が阿形獅子。





左が吽形獅子




狛犬が乗っている丸台座


特徴:
・狛犬が円盤の台座の上に乗っている。
・右側が阿形、たてがみに巻き毛があり獅子。
・左側は吽形、たてがみに巻き毛があり獅子。
・身体に比べ頭部がかなり大きい。
・伏せた耳が長い。・風化が激しく顔はあまりわからないが、穏やかな感じ。
・たてがみや顎髭は非常に長く流れている。
・身体の体毛は豊かに表現されている。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・尾は立っている。後ろから撮っていないため毛の流れは不明。
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
丸台座と言うのは、江戸時代の出雲地域に多かったもののようですね。それが局地的に終わったと言うことはおそらく、四角いものの方が作りやすかったためだと思いますが、それでも、出雲で流行った理由は何かあると思います。と言っても、残念ながら、もしかして、仏像の台座に似せたのかなあ位しか思いつかないのですが。
丸台座と言うのは、江戸時代の出雲地域に多かったもののようですね。それが局地的に終わったと言うことはおそらく、四角いものの方が作りやすかったためだと思いますが、それでも、出雲で流行った理由は何かあると思います。と言っても、残念ながら、もしかして、仏像の台座に似せたのかなあ位しか思いつかないのですが。
matsumoさん
コメントありがとうございます。
狛犬の難しさは、職人さんの世界で、
それに「こういうふうに作ってくれ」
「こういうのが良いよ」という人が
色々居たことが想像できるからです。
だから逆に、色々な形があって面白い
のですが。
狛犬の難しさは、職人さんの世界で、
それに「こういうふうに作ってくれ」
「こういうのが良いよ」という人が
色々居たことが想像できるからです。
だから逆に、色々な形があって面白い
のですが。