FC2ブログ

太田道灌ゆかりの地/赤坂山王日枝神社

20180118

所在地:東京都千代田区永田町2丁目10−5 

東京の数多き神社の中でも、江戸時代将軍の上覧にあずかった「天下祭」を神田明神と交代で祭った、この赤坂山王日枝神社だが、そもそもは文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。

「皇城之鎮」の額がかかる随神門
180118doukan01.jpg


180118doukan02.jpg


拝殿前
180118doukan03.jpg


赤坂山王日枝神社については、既に記事にしています。

その記事を見る



太田道灌ゆかりの品は、宝物館で見ることができる。
180118doukan04.jpg


180118doukan05.jpg


〇太田道灌持資公木像
180118doukan06.jpg


180118doukan07.jpg


180118doukan08.jpg


〇太田道灌履歴
180118doukan09.jpg


180118doukan10.jpg


180118doukan11.jpg


180118doukan12.jpg


180118doukan13.jpg


この履歴の中で、中心となっているのは太田道灌の教養の高さを示す、後土御門天皇との和歌のやりとりである。
戦の陣にあっても和歌を作り、その詠草を京都の公家、飛鳥井中納言雅世郷へ送り添削を乞うたという記録があり、その熱心さが知られている。
道灌が1464年に上洛した際、将軍足利義政に会い、その後宮中に招かれて後土御門天皇に拝謁した際に、道灌が即興で歌で答えたやりとりが記されている。
<後土御門天皇と会見、和歌でやりとり>
天皇が「武蔵野はどんな所か」と問うと、道灌は

「露(つゆ)おかぬ かたもありけり 夕立の 空より広き 武蔵野の原」

と答えている。空より広き武蔵野の原とは見事な表現である。
また天皇が「あの隅田川の都鳥はどうか」と問うと、道灌は

「年ふれど まだ知らざりし 都鳥 隅田川原に 宿はあれども」

と答え た。
伊勢物語の中で在原業平が「名にしおはば いざこと問はむ 都鳥 わが思う人は 在りやなしやと」と歌っているが、天皇はそれを知っていて質問したのに対し、道灌もまた見事に答えたのである。

<「武蔵野は萱(かや)ばかりと思っていたが」と感嘆>
次に天皇が「江戸城からの眺めはどうか」と問うと、道灌は

「わが宿は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を 軒ばにぞ見る」

と答えた。当時の江戸城はすぐ近くまで海であったこと、霊峰と呼ばれていた富士の見える見事な景観であった事が分かる。

このように質問にすべて即座に歌で答えて天皇を驚かせたので、今度は天皇が

「武蔵野は かるかやのみと 思いしに かかる言葉の 花や咲くらむ」

と返している。武蔵野は萱ばかりと思っていたが、これらの歌を聞いて花が咲くように思ったという意味である。

道灌の和歌のレベルの高さを示すものである。

(了)


「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

太田道灌ですか、日暮里駅東口に騎馬に乗った道灌像がありますね。

私にとっては道灌は「実を1つだに」に人と言う意識でしたが、京都で天皇に対して和歌で答えると言うことを行ったのですか。ううん、確かにすごいことですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
最近、とみに太田道灌のことが気になりまして、
道灌の足跡を訪ねて歩こうと思った次第です。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop