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浅草から千住大橋探訪(後半)

20180410

3月6日に歴史クラブ行事で歩きましたが、その後半です。

小塚原回向院から、吉野通りを離れ横に移動して、日光街道に出て、円通寺に到着。

【⑥円通寺】
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寺伝によれば、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行っている。そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。
また、1963年3月に発生し、1965年7月に解決した吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者の遺体発見現場となったことでも知られる(敷地内に被害者の慰霊地蔵がある)。

門扉が閉じているが、そこからの参道の左右に狛犬が居た。
顔が巨大で、なかなか面白い。
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黒門:鉄砲の穴だらけで、戦闘の激しさを物語る。
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首塚・七重の塔:八幡太郎義家が奥羽征伐して賊首四十八をこの地に埋め四十八塚(首塚)を築く、これ
により、この地が小塚原と呼ばれる事となった。
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この塚に、板碑が4基あり。
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彰義隊士の墓(右側五輪の塔):上野戦争で戦死した彰義隊士の遺体を供養したもの。
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死節之墓:彰義隊の供養に尽力した三河屋幸三郎が向島の別荘に密かに立て、鳥羽、伏見、函館、会津
などの各藩士の戦死者の氏名を彫って供養していて、当寺に移築されたもの。
土方歳三、近藤勇、など九十七の名前と「神木隊二十八名」と彫ってある。
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黒門と彰義隊士の墓の間に、供養碑が林立している。
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〇松平太郎:
旧幕臣・陸軍奉行、榎本武揚らと函館を占領した。蝦夷島「副総裁」に選出される。(総裁は榎本武揚)西洋かぶれと目される榎本・大鳥に反感をもっていた幕臣の票が集まった為と思われる。
土方歳三らと「一本木」にて交戦するが敗走し五稜郭に戻る。最後まで抵抗を主張するが榎本に説得され降伏する。のち、静岡に隠遁して余生を送る。
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〇小芝長之助の墓:
もと公儀御庭番。
当寺二十七世の頃(大正時代)まで存命し、円通寺の住み込み使用人となっていた。
函館戦争で戦死した土方歳三の遺体を五稜郭より引き取りに出向き、いずこかへ埋葬した本人。
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〇新門辰五郎の碑:
江戸の町火消の大親分。義父、町田仁右衛門は東叡山輪王寺宮の衛士で浅草十番組に所属する町火消の頭領であったため、輪王寺宮が浅草・浅草寺の別院「伝法院」隠棲する際、新しい通用門を新設し、その門を辰五郎が守ることになった、それで新門辰五郎と呼ばれる様になった。
また、辰五郎の娘は将軍「慶喜」の愛妾
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当寺の寺号「園通精舎」額は榎本武揚の書。
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榎本武揚:
幕臣・陸軍奉行として官軍と戦うが、函館にて降伏。
明治5年に出獄してすぐ、明治政府に出仕、工部大学校校長、学習院院長、華族女学校校長を歴任。22年特命全権清国駐箚公使

ミニチュアの大砲が置いてあった。
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吉展ちゃん地蔵
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本堂の上に置かれた、巨大な観音様を仰いで、寺を後にした。
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【⑦素盞雄神社】

当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩があった。黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様(素盞雄神、飛鳥大神=大国主神)が翁に姿を変えて現れた。黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が創建された。
素盞雄命が遥か遠くの南の海に妻問いに出た時、旅に疲れはてた素盞雄命は蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞うた。裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しみ惜しんで貸さなかったが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをした。そして歳月が経ち、再びその地を訪れた素盞雄命は兄に御礼を言い、「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。きっとそれから逃れ、子孫は永く栄えるでしょう。」と伝え帰りました。その後、突然二人の住んでいる村に疫病が流行ったが、茅の輪をつけていた兄の家族だけは助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまった。それ以来、村人は疫病が流行ると「蘇民将来子孫也」と口々に唱え、茅の輪を腰に付け疫病から免れるようになった。
注)この話は本来、牛頭天王の話であり、現在は牛頭天王=素盞雄命と変化している。京都の祇園祭を含
む天王祭は、牛頭天王を鎮める祭りである。

素盞雄神社については、既に記事があります。

その記事を見る


この日は3月6日でしたが、雛祭りの最中でした。
この神社では2月末から4月初旬にかけて、境内に約2000体の雛人形が飾られ、境内の桃の花や菜の花が咲き見頃を迎えます。4月1日から8日までの間のみ江戸時代より伝わる災厄除けの「白桃樹御守」が授与されるそうです。

拝殿横の玄関にも、たくさんの雛人形が飾られていた。
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神楽殿にもたくさんの雛人形が。
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境内の桃の花が咲き始めていた。
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境内に「荒川区から荒川が消えた」という面白い説明があった。
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素盞雄神社を出て、日光街道を千住大橋に向けて歩いていると、道路に昭和34年の写真が飾ってあった。
当時は路面電車が走っていたことがわかる。
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【⑦千住大橋】
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最初に千住大橋が架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)11月のことで、隅田川最初の橋である。当初の橋は現在より上流200mほどのところで、当時「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」とよばれる渡船場があり、古い街道筋にあたった場所と推測される。
架橋を行ったのは関東代官頭の伊奈忠次。橋長66間(120m)、幅4間(7m)の橋で、土木工事の大家だった伊奈忠次でも難工事だったようで、熊野権現に祈願してようやく完成したといわれた。
架橋後は単に「大橋」とよばれ、それまで現在の白鬚橋付近にあった橋場の渡しを経由していた佐倉街道、奥州街道、水戸街道の街道筋が、この橋に移った。幕府は江戸の防備上、隅田川にはこの橋以外の架橋を認めなかったが、後に明暦の大火等もあり交通上、安全上のため両国橋等が完成してから「千住大橋(小塚原橋とも)」と呼ばれていたようである。
関東大震災後の震災復興事業の一環として、昭和2年(1927年)に現在の鉄橋が架橋された。タイドアーチ橋としては日本最古のものである。昭和48年に交通量増大のために、下流側にぴったり接して新橋が架橋された。
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元禄2年(1689)3月27日(新5月16日)松尾芭蕉は門人曾良を伴い、江戸深川から船に乗り、千住大橋のたもとで陸に上がり、日光道中初宿千住から奥州、北陸、美濃へと旅立ちます。
千住大橋には「奥の細道矢立初めの地」の石柱が立ち、素盞雄神社境内に矢立初句「行く春や鳥啼き魚
の目は泪」の句碑が立っています。

橋を渡ったところに、「奥の細道 矢立の地」の碑が立つ。
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ここからテラスに降りると、色々な説明のパネルがあるのだが、この日は何と云う事!
工事中でテラスに降りられません(泣)

仕方ないので、橋の上からテラスを撮影。
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そこから歩いてすぐの、京成「千住大橋」駅に行き、そこで解散。
この日の予定を終え、帰途につきました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

円通寺の狛犬、まるでライオンみたいな感じで面白いですね。板碑が3つあるとのことで、行きたくなったので、早速、YAHOO地図を調べて、その場所を確認しました。あの辺り、向島百花園の帰りとか、素盞雄神社のまつりとかで行きそうなので、そのついでに行くつもりです。

また、素盞雄神社のひな人形、良い時に行かれて良かったですね!

matsumoさん

コメントありがとうございます。
円通寺の狛犬は、私も気に入りました。
頭がすごいですよね。
素盞雄神社は、色々な行事が多いので
いいですね。
富士塚も立派でした。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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