太閤小田原攻め探索/山中城から小田原城(1)

20180430

24日に行われた歴史クラブ行事に参加して、歩き回ってきました。
マイクロバスを一台借りての旅です。
コースは、旧東海道箱根石畳の道⇒山中城⇒宗閑寺⇒早雲寺⇒石垣山一夜城⇒小田原城

豊臣秀吉の小田原征伐の際、戦塵が切って落とされたのは山中城で、戦国時代最大の攻城戦と云われています。後北条氏が山城の防御の知恵を最大につぎ込んで築いた、山城としては最高の名城です。
三島市の努力のおかげで、それが再現されています。
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山中城の探索の前に、250mほどですが、旧東海道の石畳みを味わいました。

【箱根旧道】
国道一号線の、Aポイントでバスを停めてもらい、岱崎出丸入り口の「山中城跡バス停」まで歩いた。
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箱根旧街道の案内
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杉並木の中、若草の中に石畳みの道が続きます。
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作家司馬遼太郎の「箱根八里記念碑」があった。
「幾億の足音が坂に積り 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ」とある。
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傍に馬頭観音もあり。
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杉の木立が美しい。
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250mは、アッという間でした。
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いよいよ、岱崎出丸から山中城攻略です。

北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。
三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。
また、北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。

永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城される。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られていた。
北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、守将は北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら3千。間宮康俊は寄親北条氏勝等を撤退させて自らは手勢200を率いて三ノ丸~岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に抗戦した為に、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出した。しかし戦力差甚だしく猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。戦後、城は廃止された。
1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。1973年(昭和48年)から三島市が公園として整備をはじめ、合わせて学術的な調査もなされた。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(40番)に選定された。

◇3月29日早朝 山中城を豊臣軍70,000名が取り囲み、中央に総大将豊臣秀次以下、中村一氏、一柳直末、山内-豊、堀尾吉晴統総勢2万人。右翼に池田輝政以下2万人、左翼に徳川家康以下3万人。
◇迎え撃つ北条方、城主:松田康長、副将:北条氏勝、間宮康敏以下 約4千人の将兵、その差はなんと17倍もありました。
◇戦いは岱崎出丸と西櫓から開始され、壮烈な銃撃戦が展開された。中でも先鋒の一柳隊は壊滅的な打撃を被り、直末自身流れ弾に当たり、戦死を遂げました。
一方中村隊も岱崎出丸に執拗な攻撃を繰り返し、渡辺水庵が一番乗りを果たすと、戦いの場はやがて二の丸本丸へ移り、圧倒的な数の前に守備兵は、ほどなく壊滅、城主松田康長も戦死して、正午過ぎには山中城は落城したものと見られます。
両軍の戦死者数は約2千人とも考えられており、戦国時代最大の攻城我と言われております。
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◇城攻めは、攻める方の被害が甚大である為、山中城に見られるような力攻めをしないのが、普通です。では何故このようなすさまじい戦いとなったのでしょうか。そこには、小牧長久手の戦いの汚名をそそごうとする、秀次の決死の覚悟があったものと見られます。そして秀吉の見ている前で、功名を上げようとする秀次の宿老達の善戦があったからに他なりません。
天下の形勢は既に決しており、彼らには、この戦いが功名を上げられる最後の戦いになるかもしれないという思いがありました。出世レースに勝ち残ろうとする武将たちの悲痛な思いが伝わってきます。

それでは、いよいよ岱崎出丸からみていきます。
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本当は、攻め手の気分で下から岱崎出丸に上がっていきたいところですが、道の関係でこの出丸は出丸の上から攻め手を見下ろすことになります。

箱根旧道から岱崎出丸に上がっていく。
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綺麗に整備されていることに驚きます。
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良い季節に来ました。
藤が咲いていた。
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〇出丸御馬場跡
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出丸御馬場と擂鉢曲輪の間の堀
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堀に降りてみた。堀が深い!
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〇すり鉢曲輪見張り台
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下を国道1号線が通っているのがよく判る。
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〇すり鉢曲輪
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かなりな擂鉢だった。
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下の一の堀
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かなりの落差だ。
北条勢は、ものすごい量の弾薬を用意していて、上からの射撃がすさまじくて、ここで寄せてはかなりの死者を出したとのことだ。

来た道を引き返し、一号線からの岱崎出丸入り口に戻る。

観光案内図を見ると、近くに芭蕉の句碑や、最近話題のスカイウォークがある。
再訪必至だ。
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さて、山中城攻略を再開!
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〇三の丸堀
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三の丸堀の横を歩く。
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三の丸堀の上まで行って、全景を見るとなかなかのものですね。
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〇田尻の池
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向う側が、今まで歩いて来た三の丸堀。
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〇元西櫓下の堀
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元西櫓を見上げると、高い!
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〇西の丸畝堀
石をつかわない防御のしかけとして、空堀の堀底に土手を掘り障壁としたものです。
敵が攻め込むためには、畝の道上の部分を歩く必要があり、それには、一列になって進むしかなく、守備側はその手前を重点的に守ればよいので非常に効率的な防御が可能となっています。
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左側は笹の藪になっているが、これは急な崖になっているため、人が不用意に入り込まないようにこうしてると、この辺から一緒になったボランティアガイトさんが教えてくれた。
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いよいよ、待ちに待った「障子堀」が見えて来た。
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西の丸と西櫓の間の障子堀
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後北条の特長が良く現れている堀で、障子の桟(さん)のように見えるところから障子堀といいます。ここは用水池を兼ねた水堀で、山城では非常に珍しいものです。
障子掘は、畝の部分が複雑なので、敵にとっては動きも制限されてしまいます。

今、上がって来た道を見下ろす。
結構、険しいことがわかる。
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障子堀にツツジが咲き始めていて、実に美しい。
良い季節に来れたのを感謝。
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〇西櫓堀
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西の丸の堀の外から、愛鷹連山、富士山、駿河湾などが見えるそうだが、今日はあいにくの天気で、残念!
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まだ残っていた八重桜と一緒に。
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まだ山中城も全部済んでいないが、今回はここまで。
次回をお楽しみに。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

私の場合、太閤記は秀吉が天下をとるあたりまでしか、まじめに読まないことが多いので、あれ、山中城? と言う状態で、なるほど、箱根に城があったのですか! 初めて知りました。

急いで地図を出して調べてみると、当たり前ですが、箱根の中央より左側にあるのですね。この辺りは、全く行ったことがないです。私の場合、箱根って、箱根登山鉄道の小涌谷駅で降りて、箱根湯本駅までのルートを、時々、石畳道がある旧道を歩くのが好きでした。


matsumoさん

コメントありがとうございます。
武蔵武士を研究していると、山城が好きになり、
山城が好きな人には、この山中城は格段の
聖地というわけです。
関東を後北条氏が治めていたので、関東の城は
太閤の小田原征伐の際に、皆滅ぼされました。
その時の話が、満ち満ちていますね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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