常陸国歴史探訪/舟塚山古墳、大洗磯前神社
20180526
5月9日に歴史クラブの定例見学会で行きました。
最初に常陸国府跡、総社宮、常陸国分寺跡を訪ねて、次いで「舟塚山古墳」を訪ねようと向かったら、思わぬ障害が起きました。
石岡駅前から舟塚山古墳に向かう県道に入ろうとした時、バスの運転手さんが「大型バスが通行禁止になっている」と言うのだ??!!
確かに「大型トラック・バス禁止、路線バスのみ可」となっている。
下見には普通乗用車で来たが、県道だし路線バスも走っているし、そんなに狭い道でもなく、全然疑いもしなかった。大体において、観光会社に立ち寄りポイントを言ってコースを設定してもらっているのである(怒)
しばらく地図とにらめっこしたが、あきらめざるを得なかった。
クラブの皆さんには申し訳ないことになりました。
ここでは、下見(3月1日)の際の写真を載せておきます。
【舟塚山古墳】


円墳の方には神社が出来ている。

前方後円墳の周囲に沿って、歩いた。
円墳の部分

方墳のヘリから円墳を見る。

方墳の角に来た。

ちょっと離れたところから全景を見る。

上に乗った。
方墳の上から円墳を見る。

上を歩いて行って、円墳の上から方墳を見る。

定例見学会の頃は、もう草が青くなっていたはず。
ネットで画像を探した。
こういう感じだったに違いない。

次の目的地は、那珂湊漁港のおさかな市場にあるレストラン。
ここで海鮮丼や刺身定食で、新鮮なお魚を食べて大満足。
美味しい海産物をお土産に購入。
満足したところで、最後の予定地「大洗磯前神社」に向かった。
【大洗磯前神社】
所在地:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
延喜式内社:常陸國鹿嶋郡 大洗礒前薬師菩薩(明)神社 名神大社
旧國幣中社
由緒:
当社の創立は「文徳実録」に、斉衡3年(856)12月29日と記されており、創立年代の明確な数少ない神社である。そして翌天安元年(857)8月には官社に列せられ、更に10月には、「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜った。そして延喜の制では、式内社(明神大社)に、また明治に入ると国幣中社に列せられるという由緒ある神社である。 現在は神社本庁の別表神社である。
但し、社殿は永禄年間(1558~1570)の兵乱で悉く焼失、その後水戸藩2代光圀公が元禄3年(1690)に造営開始、3代綱篠公の享保15年(1730)再興された。爾来、歴代水戸藩主の厚い崇敬を受けた。
既に、「関八州式内社めぐり」で参拝した際の記事をアップしてあります。
その記事を見る
最初に、ご祭神が降臨したという「神磯」に皆さんを案内しました。

ほどほどに波があって見ごたえがありました。

日の出の名所です。

下見(3月1日)に来た時は、前日爆弾低気圧が通過した後だったので、ものすごい波で、動画を撮ったものをユーチューブにアップしてあります。
その動画を見る
社殿に戻る、石段の下に狛犬が居るのだが、来るたびに上に乗っている小石がものすごいことになっている(笑)




石段を上がると、随神門の前となる。
随神門前の明治3年奉納の陶器製狛犬だが、今回尾が左右で違う事に気づいた。
そもそもこの狛犬は、ちゃんと本来の獅子・狛犬のセットになっている。
右が、たてがみが巻き毛になっていて獅子である。


尾にも巻き毛がある。

左は、たてがみが綺麗に流れていて狛犬である。


尾も綺麗に毛が流れていて、巻き毛は無い。

今回も、本殿の茅葺屋根の優美なカーブには見とれた。

「関八州式内社めぐり」の際にはアップ出来ていなかったもの。
大黒さん


塀の上に焼き物が一杯に奉納されている。


神馬舎


以上で、定例見学会の予定は全て完了。
満足して帰途につきました。
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最初に常陸国府跡、総社宮、常陸国分寺跡を訪ねて、次いで「舟塚山古墳」を訪ねようと向かったら、思わぬ障害が起きました。
石岡駅前から舟塚山古墳に向かう県道に入ろうとした時、バスの運転手さんが「大型バスが通行禁止になっている」と言うのだ??!!
確かに「大型トラック・バス禁止、路線バスのみ可」となっている。
下見には普通乗用車で来たが、県道だし路線バスも走っているし、そんなに狭い道でもなく、全然疑いもしなかった。大体において、観光会社に立ち寄りポイントを言ってコースを設定してもらっているのである(怒)
しばらく地図とにらめっこしたが、あきらめざるを得なかった。
クラブの皆さんには申し訳ないことになりました。
ここでは、下見(3月1日)の際の写真を載せておきます。
【舟塚山古墳】


円墳の方には神社が出来ている。

前方後円墳の周囲に沿って、歩いた。
円墳の部分

方墳のヘリから円墳を見る。

方墳の角に来た。

ちょっと離れたところから全景を見る。

上に乗った。
方墳の上から円墳を見る。

上を歩いて行って、円墳の上から方墳を見る。

定例見学会の頃は、もう草が青くなっていたはず。
ネットで画像を探した。
こういう感じだったに違いない。

次の目的地は、那珂湊漁港のおさかな市場にあるレストラン。
ここで海鮮丼や刺身定食で、新鮮なお魚を食べて大満足。
美味しい海産物をお土産に購入。
満足したところで、最後の予定地「大洗磯前神社」に向かった。
【大洗磯前神社】
所在地:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
延喜式内社:常陸國鹿嶋郡 大洗礒前薬師菩薩(明)神社 名神大社
旧國幣中社
由緒:
当社の創立は「文徳実録」に、斉衡3年(856)12月29日と記されており、創立年代の明確な数少ない神社である。そして翌天安元年(857)8月には官社に列せられ、更に10月には、「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜った。そして延喜の制では、式内社(明神大社)に、また明治に入ると国幣中社に列せられるという由緒ある神社である。 現在は神社本庁の別表神社である。
但し、社殿は永禄年間(1558~1570)の兵乱で悉く焼失、その後水戸藩2代光圀公が元禄3年(1690)に造営開始、3代綱篠公の享保15年(1730)再興された。爾来、歴代水戸藩主の厚い崇敬を受けた。
既に、「関八州式内社めぐり」で参拝した際の記事をアップしてあります。
その記事を見る
最初に、ご祭神が降臨したという「神磯」に皆さんを案内しました。

ほどほどに波があって見ごたえがありました。

日の出の名所です。

下見(3月1日)に来た時は、前日爆弾低気圧が通過した後だったので、ものすごい波で、動画を撮ったものをユーチューブにアップしてあります。
その動画を見る
社殿に戻る、石段の下に狛犬が居るのだが、来るたびに上に乗っている小石がものすごいことになっている(笑)




石段を上がると、随神門の前となる。
随神門前の明治3年奉納の陶器製狛犬だが、今回尾が左右で違う事に気づいた。
そもそもこの狛犬は、ちゃんと本来の獅子・狛犬のセットになっている。
右が、たてがみが巻き毛になっていて獅子である。


尾にも巻き毛がある。

左は、たてがみが綺麗に流れていて狛犬である。


尾も綺麗に毛が流れていて、巻き毛は無い。

今回も、本殿の茅葺屋根の優美なカーブには見とれた。

「関八州式内社めぐり」の際にはアップ出来ていなかったもの。
大黒さん


塀の上に焼き物が一杯に奉納されている。


神馬舎


以上で、定例見学会の予定は全て完了。
満足して帰途につきました。
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
古墳、行けなかったのですか! 旅行の人達、残念でしたね。
それにしても、立派な古墳ですね。これで、周りが堀でしたが、関西のものと同じですね。やはり、余程の権力者がいたのでしょうね。
古墳、行けなかったのですか! 旅行の人達、残念でしたね。
それにしても、立派な古墳ですね。これで、周りが堀でしたが、関西のものと同じですね。やはり、余程の権力者がいたのでしょうね。
matsumoさん
コメントありがとうございます。
藤原氏が建てた春日大社の祭神は、
鹿島神宮と香取神宮の祭神を勧請したものです。
藤原氏と鹿島地方ひいては常陸国の結びつき
は強力なものだったと言えます。
藤原氏が建てた春日大社の祭神は、
鹿島神宮と香取神宮の祭神を勧請したものです。
藤原氏と鹿島地方ひいては常陸国の結びつき
は強力なものだったと言えます。