渋谷から広尾の歴史探索(前半)

20180531

5月11日に、歴史クラブ行事で参加しました。
コースは、金王八幡宮(渋谷城跡)⇒渋谷氷川神社⇒温故学会⇒國學院大學・学食⇒国学院大学博物館⇒白根記念渋谷区郷土博物館⇒旧薩摩藩下屋敷跡⇒福田会広尾フレンズ

【金王八幡宮(渋谷城跡)】
鎮座地:東京都渋谷区渋谷3-5-12
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社伝によれば1092年(寛治6年)現在の渋谷の地に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとされる。江戸時代には徳川将軍家の信仰を得、特に3代将軍徳川家光の乳母春日局は神門、社殿を造営したとされる。なお、江戸時代末期まではこの神社に隣接する澁谷山親王院 東福寺(天台宗)が別当寺であった。当初は渋谷八幡と称していた。社名にある「金王」は、重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことにより金王丸と称したことによるとされる。

このお宮さんについては、境内に名桜「金王桜」があり、その桜を訪ねたときに記事にしています。

その記事を見る


前記のブログに載せてなかった部分を載せておきます。

〇渋谷城の石
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桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(現在は武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。
武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍に300騎余を従え1番で参向し、仙北金沢の柵を攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。
重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城としました。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています。渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。
当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。
境内にある渋谷城跡は、平安時代末期から渋谷氏の住居があったところ。城には渋谷川を水源に水堀をめぐらされていました。大永4年(1524年)の北条氏綱による関東攻略の際に、この城は後北条氏の別働隊によって焼失し、渋谷氏は滅びました。、境内には城の石とされる石が1点保存されています。神社の前に有る道路は堀を兼ねた小川であったとも言われています。

境内には「金王丸御影堂」があり、金王丸が17歳で出陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残した木像が納められています。

〇金王丸御影堂
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その前には、宝暦9年(1759)奉納の「宝珠・角型」狛犬が居たが、なかなか顔が良い。
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ここは、本や映画「天地明察」の舞台であり、算額が登場する。
それで2011年3月11日に、算額が見たくて行ったときには、ずいぶん多くの算額が絵馬掛けのところに下がっていた。

その記事を見る


今回も期待していたのだが、ほとんど見当たらなかった。
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これが唯一、算額ではないが算術に関したものだった。
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金王八幡を出て、一の鳥居のある交差点に行く。
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この参道に交差しているのが旧鎌倉街道中つ道である。

代々木鳩森八幡方面
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中目黒方面
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【渋谷氷川神社】
鎮座地:東京都渋谷区東二目5番6号
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古くは氷川大明神といって旧下渋谷村、豊沢村の総鎮守であった。創始は非常に古く、今これを詳かにすべきものがないが、1605年(慶長10年)に別当宝泉寺第百代の住職宝円の記した「氷川大明神宝泉寺縁起」によると、景行天皇の皇子日本武尊東征のとき、当地に素盞嗚尊を勧請し、その後嵯峨天皇の弘仁年中慈覚大師(円仁)が宝泉寺を開基し、それより同寺が別当となったとあり、1713年(正徳3年)宝泉寺から幕府に出した書上には「起立の年数知れ不申候」と見えている。1782年(天明2年)正月5日阿部備中守へ差出した書類に別当宝泉寺の庫裡から出火2間3間の土蔵が炎上したことが記され、宝物史料などは、この時焼失したと伝えられている。
渋谷地区の最古の神社で、源頼朝が勧請したとか、金王丸が信仰したというのは後世に附いた伝説と見え、1732年(享保17年)に出来た「江戸砂子」にあるのが始めである。往時は松杉の類が欝蒼と茂り真に昼猶暗く渋谷川が門前を流れていかにも神さびた宮であったらしいことは「江戸名所図会」の絵にもうかがわれる。

〇相撲場
「渋谷の相撲」「金王の相撲」などといわれ、近郷近在は勿論、江戸表からも見物人が多く集まり、ある年凶年のため休んだところ、集まった面々によって遂に大相撲になった事もあるという位で、将軍家でさえ「渋谷の相撲なら見に行こう」といわれたと伝えている。昔からなかなか有名なもので、今でも神事の一つになっている。
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そこから少し石段を上がると、脇の参道があり、そこに明治29年(1896)奉納の狛犬があり、両方の子獅子が良い感じだった。
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それから更に石段を上がりきって、左に折れると社殿となる。
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続いて、境内社だが八幡神社(品陀和気命)、秋葉神社(火産霊神)、稲荷神社(宇迦御魂命)については、時間の関係で撮影できなかった。
厳島神社(市杵島姫命)の前に、江戸時代の狛犬が二組あり、これは撮影できた。

厳島神社
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その前に二組の狛犬が居た。

手前側は、明治8年(1875)奉納の「江戸流れ尾型」狛犬。
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奥側に居るのは、寛政6年(1794)奉納の「江戸尾立ち型」狛犬。
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これで氷川神社の参拝を終え、近くの「温故学会」に。

【温故学会】
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〇『登録有形文化財』の温故学会会館
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温故学会会館は、『群書類従』版木(国・重要文化財、17,244枚)を管理・保存する目的で、斎藤茂三郎初代理事長が渋沢栄一、三井八郎右温故学会会館衛門ら各界の著名人に呼びかけ、全国からの協賛を得て、大正15年8月に着工され、昭和2年3月に完成した。
  会館の設計・施工には清水組(現・清水建設)が担当し、堅固・耐震耐火構造を基本方針として建設された。
  会館は、鉄筋コンクリート二階建で、正面からは鳳凰が両翼を広げたような形をしており、玄関向かって右側は、1階・2階ともが版木倉庫、左側は、1階が事務室などで2階が講堂となっている。講堂は27畳と床の間を配置し、和洋折衷の珍しい構造となっている。
  関東大震災の経験を生かし建設された会館は、すでに80年を経ているが、空襲にも耐えずっしりとした風格は今日でも変わらない。
平成12年4月文化庁より『登録有形文化財』の指定を受けた。

前庭に、全盲の国学者・塙保己一の銅像がありました。
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講堂(二階)で、現在の理事長さんから説明を受けました。
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温故学会会館は、江戸時代後期の全盲の国学者・塙保己一が41年間をかけて、全国各地に散在していた貴重な書物を集め、校訂を加え、種類ごとに分けて編纂した文献集である『群書類従』の版木を管理・保存する目的で、斉藤茂三郎第2代温故学会理事長が渋沢栄一、三井八郎右衛門ら各界の著名人に呼びかけ、全国からの協賛を得て建てられた。
本会は、塙保己一の偉業顕彰の目的から、明治42年に子爵渋沢栄一、宮中顧問官井上通泰、文学博士芳賀矢一、保己一曾孫塙忠雄の四氏により設立され、以来百年の歴史を刻んでいる。
 保己一の精神である温故知新(論語・ふるきをたずねてあたらしきをしる)の趣旨に基づき活動するとともに、重要文化財指定の『群書類従』版木の保管、盲人福祉事業、各種啓発事業に努力している。

ヘレン・ケラーも、ここを訪ねている。
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渋沢栄一氏筆の「温故而知新」額
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『群書類従』の説明
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現在、私は鎌倉公方足利氏、関東管領上杉氏、同時代の東国武士の経歴を知りたくて、『鎌倉大草紙』を研究しているが、『鎌倉大草紙』も『群書類従』本として生きながらえているようである。
『群書類従』は、本当に貴重なのです。

国立国会図書館蔵『群書類従』本/『鎌倉大草紙』
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『群書類従』版木を見せていただく。
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火災の場合、水をかけると版木が傷んでしまうので、炭酸ガス消火の設備になっている。
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版木
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現在も、希望に応じて印刷しているそうだ。
高いが(汗)
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これで、午前の部は終了。
國學院大學の学食で昼食。
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ワンコインのローストビーフ丼、美味しかった(嬉)
今の学生さんは贅沢ですな。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

行かれた辺り、全く歩いたことがないので、興味深く読ませていただきました。

渋谷氷川神社の狛犬、彫刻が複雑で素晴らしいですね。

なるほど、群書類従って、筆写等で伝わってきた本を集めて、それを木版印刷にしたものなのですね。ううん、それにしても、その版木が今でも使えて、本として出ているのがすごいです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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