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所沢滝の城まつり

20180620

5月20日(日)に行われた、この祭りに歴史クラブ行事として参加しました。

JR武蔵野線東所沢駅に10:00頃到着。そこから25分歩いて、「滝の城跡」に到着。

滝の城跡はWIKPEDIAによれば、
滝の城(たきのじょう)は、埼玉県所沢市 城に所在した日本の城である。 同市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境、柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っている。
戦国時代には、関東管領上杉氏の家臣で武蔵国守護代 大石氏の滝山城(後に八王子城)の支城として対岸の清戸番所との関係もあったとされる。その後大石定久の代に後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になった。 氏照は本拠の滝山から北関東に度々出陣しており、その直線上にあたる滝の城は軍勢集結の拠点になった。1564年(永禄7年)の北条氏による下野への遠征の際にはこの城で陣揃(じんぞろえ)が行われたことが記録されている。
その後1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、浅野長政率いる豊臣方に城北側の大手方面から急襲され八王子城と共に落城、徳川家康の関東入国の領内整備の頃には廃城となったと推測されている。

滝の城まつりは、今年で7回目とのこと。
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滝の城跡に着いて、本日のプログラムを入手。
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イベントの剣舞、よさこい踊りは終わったようなので、とりあえず本丸跡の城山神社にお参り。
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周囲を見渡すと、けっこう高いところにあり、城を構えるにふさわしい場所だ。
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城の縄張り
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後北条氏の城の特徴である、畝堀もちゃんとあったようだ。
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イベントが始まる前に、適当に各自持参のお弁当を食べてしまうことにして、各自適当な場所で昼食。
それから、滝の城跡の縄張りを見て歩いた。

本丸の周りの堀に降りた。
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城山神社参道の急な石段は、本日は通行止め。
混雑すると、将棋倒しなど恐れてのことだろう。
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右が本丸跡、かなり堀は深い。
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堀に「折れ」などをこしらえたり、複雑に工夫されている。
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本丸虎口
通常は橋をかけていた。橋を落せば容易に近づけない。
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今日の合戦のために、大筒が用意されていた。
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馬出
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二の曲輪のところに、お囃子の屋台が出ていた。
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東所沢駅を出発した武者行列が、城址に到着。
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お比佐様?
どんな方なのか、帰ってから調べた。
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お比佐様とは:
北条氏照の内室が「比佐様」である。
八王子城主・北条氏照の持ち城「滝の城」(埼玉県所沢市)から柳瀬川を清戸番所(といわれている、東京都清瀬市)の方へ渡り、東久留米市(東京都)へ入ると、大石氏開基の「浄牧院 じょうぼくいん」という名刹がある。
「滝の城」には氏照の正室が住んでいて、城(滝の城)が落ちる時に浄牧寺に逃れてきたという言い伝えがある。そして、そのお墓と伝えられているものがある。
一方で、氏照の内室比佐様は、八王子城で亡くなったことになっているようでもある。

なかなか、恰好いい武士が続く。
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ほら貝もいい音で吹いていた。
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八王子隊
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清戸三番衆
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カメラの前でポーズを取ってくれる武士も。
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メイン会場に勢揃い
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メイン会場脇に置かれた大筒に子供たちは興味深々。
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所沢市のゆるキャラ「とこロン」も居た。
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主役たちが勢ぞろい
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メイン会場で、楽しみにしていたイベントを堪能。

〇演武「新陰流正伝上泉会」
新陰流兵法は、上州上泉城の城主、上泉伊勢守信綱という人が今から480年前の天文7年(1538年)に創流した。伊勢守はこの新しい剣術を広めるため息子の秀胤以下の弟子数人を連れ、各地を歴訪。
古河公方足利晴氏の紹介状を持って玉縄城の北条綱成を訪ねた伊勢守一門は、見事な演武と指導を行い綱成を感服させた。そこで伊勢守に心酔した綱成は、伊勢守を主君の北条氏康に引き合わせた。
 伊勢守の演武を見た氏康はぜひとも伊勢守を味方に付けたいと考えましたが、一城の主でもあった伊勢守は、剣術師範は引き受けたものの、家臣になることは固辞。しかし氏康はなおも諦めず伊勢守の協力を求めたため、伊勢守はついに嫡子の秀胤を北条家に剣術師範として仕官させることにした。こうして上泉家は、嫡孫泰綱の代に北条家が滅亡するまで、北条家の侍に新陰流を指南することになった。
「新陰流正伝上泉会」は流祖上泉伊勢守以来の新陰流の術技を忠実に継承し、次代に伝えようと本伝を中心に据えて稽古する稀有の団体。

動画を撮ったので、ユーチューブにアップしてあります。
型の披露、袋竹刀での演武、木剣での演武と続く。

その動画を見る


〇所沢・天神太鼓
同じく、動画を撮って、ユーチューブにアップしてあります。
二曲を連続して録画してあります。

その動画を見る



いよいよ合戦絵巻

城主のもとにご注進
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出陣式
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守る北条方と、攻める豊臣方が対峙する。
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槍の乱戦
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大筒も、盛大な音を立てる。
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大将の一騎打ち
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大将の一騎打ちに決着がつき、合戦は終了。
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帰りはスムーズにシャトルバスに乗れて、楽々東所沢駅に到着。帰途についた。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

所沢にも立派な城跡があるのですね。全くしりませんでした。そう言えば、都区内はどうなっているのかと思って調べてみたのですが、江戸城を入れて○○城跡と言われているのは33位はあるようです。しかしながら、そのほとんどは何も残っていない状態で、志村城のみ空堀が残っているようです。

映像の方もみせていただきましたが、太鼓をたたいている人達、何だか、すごい姿勢でたたいていますね。このようなたたき方、初めて見ました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
わが歴史クラブにも、城址探索グループが
ありますが、実にあきれるほど城址は
ありますね。
その中で、歴史的にロマンが感じられるか
どうかだと思います。

No title

四季步 様
地域のニュースに播磨学研究所所長、元姫路文学館館長 橘川真一氏の「播磨の街道」のうち、姫路市市川~別所の部分を「ひめしん文化会」のお許しを頂いて転載しています。別所町佐土の地域に「塞の神」の写真と説明があります。橘川先生のご説明では、「塞の神は道祖神とも呼ばれ」となっていますが、四季步様のご説明とは異なりますので、私の引用文の中で、異説があることを紹介させていただこうと思います。ご了解お願いします。

藤本様

情報提供ありがとうございます。
私は長野県で生まれ育ちましたので、
賽ノ神としての道祖神に親しんでおります。
いつも参考にしている「日本の神様読み解き事典」には
あのように解説してありましたので、紹介しました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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