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天草・本渡諏訪神社

20180724

鎮座地:熊本県天草市諏訪町8-3
参拝日:2018年7月18日

九州旅行の二日目の朝、このお宮さんにお参りしました。
天草の代表神社・総鎮守ということであり、私の娘夫婦ともにこの近くで働いているので、当然な参拝です。

入り口の大鳥居。
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社号標
旧社格:県社
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弘安6年(1283年)8月1日の創祀。鎌倉時代の文永11年(1274年)、並びに弘安4年(1281年)の二度に亘る元寇の折、本渡城主の天草大夫大蔵太子(あまくさだゆうおおくらふとこ)という女傑が水軍を率いて出陣し、諏訪大明神の御加護により日本未曾有の国難を神風をもって御守護いただき輝かしい戦功を立てた。その神恩に感謝し、2年後の弘安6年(1283年)8月1日、天草氏領土内の総鎮守として信州諏訪の御本社より諏訪大明神の御分霊を奉じ 本砥郷山口の里に鎮祭し、創祀された。
※天草氏は大蔵氏を祖とし、鎌倉時代は女子にも所領を相続する権利があり、地頭職を娘の大蔵太子播磨局(はりまのつぼね)に譲ったもの。

爾来、天草氏の氏神、郷中の総社として広く崇敬される。しかし、寛永14年(1637年)の島原・天草の乱で他の社寺と共に一揆勢の手による兵火にかかり、ことごとくの社殿神宝旧記を焼失。乱の後、天草は天領となり、初代代官・鈴木重成(本町 鈴木神社御祭神)が着任。鈴木重成は、神社仏閣の復旧につとめ、人心の安定を計り、特に当神社の再建を急がせた。乱から6年後の寛永20年(1643年)に海岸浜宮の地(現在の中央銀天街)に新社殿を造営し、これまでの本砥郷山口の里より遷座した。

弘安6年(1283年)から寛永20年(1643年)までの360年間、第1次鎮座地であった天草市本渡町山口には、「諏訪神社旧趾」の記念碑があり、その御鎮座の由緒を伝えている。

第2次鎮座地である現在の天草市中央新町銀天街アーケード中心地には、寛永20年(1643年)から大正4年(1915年)までの272年間鎮座。この時、初代代官・鈴木重成は島原・天草の乱以後に荒廃した島の耕作の便宜をはかり、当神社の例大祭であった8月1日(現在では11月1日より7日)に七日間の「農具市」を開かせた。当時、島内には商店は少なく、この農具市が次第に「雑貨市」に広がり、島民は農具だけでなく、一年間の生活必需品の一切を買い求める「本渡の市」に年々発展致した。

その後、明治初期には天草五郷社のひとつとして郷社に列格。大正4年(1915年)に旧庄屋大谷家の屋敷跡であった現在地に遷座。大正6年(1917年)に町山口諏訪神社から「本渡諏訪神社」に社名が変更され、昭和20年(1945年)8月1日には、天草の代表神社・総鎮守として「県社」に昇格。諏訪大神の御守護、御神徳が天草島の文化産業はじめとした繁栄の原動力となったことから、今日に於いても人々の営みの守り神として篤く信仰されている。

鳥居をくぐると、神紋がついた立派な神馬がいる。
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手水舎
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立派な龍から水が出ている。
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手水舎の近くに、鶴と亀の彫刻がされた敷石があり、事前の調査ではこれを踏むとご利益があるとの記事があったので、もちろん踏ませていただいた(笑)
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近くの参道敷石にも、富士と龍の彫刻があり、そちらも怠りなく踏ませてもらった。
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参道の両側に、楽しみにしていた狛犬が並んでいます。
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昭和34年奉納の、「熊本型-玉取り・子抱き型」狛犬。
「子抱き獅子」は、全国的にも珍しく、子授け、安産、育児、家内安全等、子孫繁栄の象徴として信仰され、親しまれているそうです。
右側が玉取り。耳のデカイのに吃驚。
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こういう鼻ヒゲは、他には無いと思う。
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左側が子抱き
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小獅子が抱かれているよりは、喉に噛みついているように見える(汗)
実際は母獅子のタテガミを噛んでいるのだが。
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母獅子も、困った顔をしているぞ(笑)
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こんなに耳を立てている狛犬も珍しい。
両方とも吽形なのも珍しい。
こういう鼻ヒゲは、熊本型に多いようだ。

今度は、大正12年奉納の石灯篭の笠石の上に、狛犬と吉祥天(?)が居る面白いもの。
後で太宰府天満宮に参拝した時、やはり石灯篭の笠石の上に居る狛犬を発見したが、太宰府天満宮のは両方とも狛犬。
左側は当初恵比寿さんと思っていたが、後て写真をよく見ると恵比寿さんの持ち物ではない。宝珠らしきものなので吉祥天ではないかと推測した。
右の灯篭に、後足で立った狛犬が乗っている。
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左の灯篭に、吉祥天(?)が乗っている。
実に優しい顔をしている。
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拝殿前に三組目の、大正5年(1916)奉納の「天草型」狛犬が居る。
天草型は、顎髭がぐるっと襟巻のようになっているのが特徴らしい。
右側が「吽形」、左側に「阿形」となっている。
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拝殿
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向拝屋根は、唐破風と千鳥破風の二重屋根。
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向拝部に、二つの社額が掛かっていた。
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拝殿内部
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拝殿横から本殿に廻る。
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本殿
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現在の祭神は次の3柱。
建御名方神 - 信州 諏訪大社の御祭神 ※大国主の御子神で、恵比須の弟神
八坂刀売神 - 建御名方神の妃神
八幡大神 - 第十五代天皇 応神天皇

神紋だが、「蔓葵(つるあおい)」ばかり目立っていたが、諏訪大社から分祀されたということは、諏訪大社の神紋「諏訪梶」も神紋になっていないだろうかと探したら、やはり幣殿の前にあった。

神紋は、「蔓葵」と「諏訪梶」
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〇「温故知新」の碑
長野県・諏訪大社の前宮司「松本昌親」氏の書
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続いて末社に参拝。

〇恵比須神社
御祭神は事代主大神。
江戸時代のいつの頃よりか本渡諏訪神社の第2次鎮座地に境内社として奉斎され、諏訪大明神とともに「本渡市」繁栄の基を開いたお社である。昭和39年(1964年)春に現在の地に遷座。平成6年(1994ン3ん)10月に、本渡町中央商店街大火災復興30周年、市制発足40周年を記念し氏子崇敬者の赤誠を結集して新社殿が建立された。夏秋の「ゑびす祭」は盛大で、商売繁盛・大漁満足・家内安全等の守護神として篤く尊崇の念を集めている。
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〇十五社神社
御祭神天照皇大神、八幡大神、春日大神、阿蘇十二神(阿蘇神社祭神、開拓鎮護、生活守護)
天草では地域ごとに縁深い三柱の神さまに併せて阿蘇十二神を祀る十五社神社が多く鎮座している。また、古くより耳病治癒の神さまとして信仰されている。

本殿と神池のあいだを行くとあります。
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鳥居
注連縄に注意。
天草の神社は、このように注連縄の長さを長くして鳥居の柱に垂らしている。
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十五社神社
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〇一対の大蘇鉄
天草市指定文化財に昭和47年(1972年)指定。大正5年(1916年)に氏子の森邦太郎・鶴田八十八の両氏が奉納した社殿両脇に構える大蘇鉄は、10年ほど前より全国的にも珍しく蘇鉄に自生した蘭が花を咲かせ、毎年5月の始め頃に見頃を迎える。
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蘭はわかりました。
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せっかくだから、蘭が咲いている写真を探した。
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駐車場側の鳥居のところに、素晴らしい彫刻の狛犬が居ました。
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台座に、弘安6年(1283)、寛永20年(1643)と刻まれています。
弘安6年(1283)は、このお宮が創祀された年なので、寛永20年(1643)にこの狛犬が奉納されたと解釈しました。
「熊本型-玉取り・子連れ型」ですが、両方に子獅子を一頭ずつ追加してある、凝った彫刻で素晴らしい出来です。

右側が阿形の玉取り型。子獅子がプラスされている。
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阿形に角があるのが珍しい。
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尾も、一つ一つの炎が勢いあり、それがグッと上昇して立派な尾だ。
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左が、吽形の子獅子連れ型。通常は子獅子が一頭だが、これは二頭居る。
左右とも子獅子を一頭ずつプラスしてあるということになる。
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眉、口ヒゲ、顎髭、たてがみの彫刻が素晴らしい。
子獅子も同様に素晴らしい。
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鼻の穴がつぶれているのは、珍しい。他には無いかも。
この口ヒゲも熊本型の特徴。
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子獅子二頭ともに、実に勢いがある。
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天草の「下浦石工」の業績は天草の石橋ばかりでなく、長崎の風景を代表するオランダ坂等の石畳等にも残されています。天草の石工たちが天草の石を使って築いたものです。
長崎の大浦天主堂は、日本に現存する最古の洋風協会建造物として国宝に指定されています。この天主堂もまた、天草人の手で築かれています。
それで、このお宮に残っている沢山の素晴らしい狛犬たちが生まれている訳です。
これは、事前に聞いていましたが、やはり素晴らしかった。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

九州に諏訪神社ですか。意外な感じですね。

鶴と亀の彫刻がされた敷石を踏むと御利益ですか。ううん、普通だったら、踏むのはそれをけなすことだと思うのですが、ここでは縁起物ですか。天草ですから、キリシタンに対する踏み絵と関係あるのでしょうか。

それにしても、狛犬、沢山、奉納されていますね。チンチンをした狛犬、面白いですが、地震等でよく壊れずに残っているものです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
そういえば、有名な「長崎くんち」の舞台も
諏訪神社なので、どうして諏訪神社なんだと、
天草の人に聞きましたが、わかりませんでした。
諏訪大明神は戦の神様として信仰さたことは、
間違いありません。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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