天草・本渡諏訪神社の石灯篭笠石上の狛犬
20180830
所在地:熊本県天草市諏訪町8-3 本渡諏訪神社参道
参拝日:2018年7月18日
この神社は九州熊本県・天草の代表神社・総鎮守ということで、立派な神社です。

本渡諏訪神社については、既に記事があります。
その記事を見る
この神社には4組の狛犬が居るが、大鳥居から入って拝殿前の石灯篭の笠石の上に狛犬が居る。

年代:大正12年(1923)奉納
材質:石造
型式:石灯篭笠石上型
今回紹介するのは、向かって右側のみ狛犬が上に居て、左側は吉祥天(?)が立っているというもの。
右側の石灯篭の上に狛犬が居る。

石灯篭の笠石の上で、後足で立ち上がっている。


この方角から見ると、身体に勢いがみなぎっていて、跳びかかる寸前のようにも見える。
体毛の表現は無いが、前足、後足の走り毛はしっかり表現されている。

耳は伏せ、眉毛は巻き毛でたっぷりと、口ひげは房状の八の字形に、顎髭は襟巻状にたっぷり、前面の顎鬚は随分と長く垂れている。
口を開いて細かい鋸歯が並ぶ、牙は無い。


尾は、八つ手状に立ち上がった炎形の立ち尾。

年代は大正12年(1923)奉納のもの。

左側の石灯篭の上には吉祥天(?)が居る。
右足を上げて、軽やかな姿勢で実に柔和なお顔である。


当初は、釣り竿と見誤って恵比寿さんだと思いこんだが、後で写真をよく見ると持ち物が「釣り竿と鯛」ではない。
宝冠をつけていることからも、恵比寿さんではない。
左手に提げているのは宝珠ではないかと思う。右手に持つものがよくわからないが、太いヒモで繋がられた宝珠二つをそれぞれの手で持っているのかなと思った。
吉祥天の持ち物としては、左手に宝珠。右手にもつものは色々である。
柔和な顔からも、吉祥天ではないかと思う。


狛犬の型式に入れるかどうかこの時点では迷っていたが、後日参拝した太宰府天満宮では石灯篭左右とも笠石の上に狛犬が乗っていた。
考えてみると、関東でも例えば大宮の武蔵国一之宮氷川神社の参道にも、石灯篭の台石に狛犬が彫りこまれている。こういうのを「石灯篭付属型」として分類すればいいのでは、と思った。
狛犬の記事一覧を見る
参拝日:2018年7月18日
この神社は九州熊本県・天草の代表神社・総鎮守ということで、立派な神社です。

本渡諏訪神社については、既に記事があります。
その記事を見る
この神社には4組の狛犬が居るが、大鳥居から入って拝殿前の石灯篭の笠石の上に狛犬が居る。

年代:大正12年(1923)奉納
材質:石造
型式:石灯篭笠石上型
今回紹介するのは、向かって右側のみ狛犬が上に居て、左側は吉祥天(?)が立っているというもの。
右側の石灯篭の上に狛犬が居る。

石灯篭の笠石の上で、後足で立ち上がっている。


この方角から見ると、身体に勢いがみなぎっていて、跳びかかる寸前のようにも見える。
体毛の表現は無いが、前足、後足の走り毛はしっかり表現されている。

耳は伏せ、眉毛は巻き毛でたっぷりと、口ひげは房状の八の字形に、顎髭は襟巻状にたっぷり、前面の顎鬚は随分と長く垂れている。
口を開いて細かい鋸歯が並ぶ、牙は無い。


尾は、八つ手状に立ち上がった炎形の立ち尾。

年代は大正12年(1923)奉納のもの。

左側の石灯篭の上には吉祥天(?)が居る。
右足を上げて、軽やかな姿勢で実に柔和なお顔である。


当初は、釣り竿と見誤って恵比寿さんだと思いこんだが、後で写真をよく見ると持ち物が「釣り竿と鯛」ではない。
宝冠をつけていることからも、恵比寿さんではない。
左手に提げているのは宝珠ではないかと思う。右手に持つものがよくわからないが、太いヒモで繋がられた宝珠二つをそれぞれの手で持っているのかなと思った。
吉祥天の持ち物としては、左手に宝珠。右手にもつものは色々である。
柔和な顔からも、吉祥天ではないかと思う。


狛犬の型式に入れるかどうかこの時点では迷っていたが、後日参拝した太宰府天満宮では石灯篭左右とも笠石の上に狛犬が乗っていた。
考えてみると、関東でも例えば大宮の武蔵国一之宮氷川神社の参道にも、石灯篭の台石に狛犬が彫りこまれている。こういうのを「石灯篭付属型」として分類すればいいのでは、と思った。
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
こりゃあ、すごい犬ですね。この姿勢でよく100年近く、保ったものです。普通だったら、足が折れてしまうと思います。
また、吉祥天?もよく片足だけで保っていますね。
こりゃあ、すごい犬ですね。この姿勢でよく100年近く、保ったものです。普通だったら、足が折れてしまうと思います。
また、吉祥天?もよく片足だけで保っていますね。
matsumoさん
コメントありがとうございます。
こういう点は、神聖な領域と皆さんが
思ってくれる神社であるこそだと思います。
こういう点は、神聖な領域と皆さんが
思ってくれる神社であるこそだと思います。