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諏訪大社上社前宮/諏訪地方の歴史探訪①

20181012

10月10日に行われた歴史クラブの定例見学会ですが、コースは諏訪大社上社前宮⇒諏訪大社上社本宮⇒高島城⇒尖石縄文考古館でした。
順に紹介していきます。

中央高速道を順調に走って諏訪ICで降り、最初に訪ねたのが「諏訪大社上社前宮」です。

これから掲載する写真ですが、皆さんを案内する立場上あまり写真を撮れなかったので、以前個人で参拝した時(2015年7月)の写真を利用して紹介します。
夏の季節の写真が混ざるので、ご容赦ください。

この案内図を見ると、さすがに広いです。
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一の鳥居
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社号標
東郷平八郎の揮毫です。
式内社 信濃國諏方郡 南方刀美神社二座 名神大、信濃國一宮、旧官幣大社
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諏訪大社は、上社・下社に分かれており、本来、上社に建御名方神、下社に八坂刀賣神(后神)を祀っている。
また、上社には本宮と前宮、下社には秋宮と春宮があり、四社を総称して諏訪大社という。

上社と下社では、奉祀する神職の長が、上社では神別(祭神の子孫)、下社では皇別(皇族の子孫)とされている。

上社には御神体はなく、神別の大祝(おおほうり)、すなわち人間を神とする。八歳の童男をもって、大祝とし祀る。
大祝は職にある間、清浄を旨とし、郡外へ出ることも禁じられる。
前宮祭神は、現在八坂刀賣神とされているが、ミシャグジ神とする説もある。ミシャグジとは木や石に降り着く精霊・霊魂で、人にもつくらしい。あるいは、大祝をミシャグジ神としたのかもしれない。

前宮は、この大祝の住居神殿(ごうどの)があった場所。
十間廊で、上社神事のほとんどが行われる。

案内板
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諏訪信仰今年の春から「諏訪信仰」について調べ始めました。なかなかそこが深く、まだ生半可な知識しかありません。
ざっと諏訪大社と祭神の建御名方神についての概略は、以下のとおり。
『式内社調査報告』によると:
 古事記上巻国譲りの段に、天照大御神が出雲の大國主命を説得のため、建御雷・天鳥船二神差遣せらるゝ ことゝなり、(中略) 建御名方神の「州羽」、すなはち、諏訪鎮座の説話が記してあり、要点は、大国主神の御子神に、建御名方神なる勇猛な神がまし、建御雷神に敗れ、逃れて科野国諏訪の地に至り、此処に永く留まり給うたといふことである。
 日本書紀にも、出雲の国で行はれた国譲り説話が記され、 著名な伝承の一つと言へるが、日本書紀の国譲りの段には建御名方神の名はみえず、この説話に於ける同神の諏訪鎮座には疑問が残り、古来より、天孫出雲両系の間に起つた 国土避譲の事実の反映として、多くの解釈がなされてゐる。 すなはち、古代に於いて諏訪地方は、皇祖側に対する一大勢力をなし、建御名方神は、この諏訪族の祖神としてその勢力の代表者とされた。同神が、建御雷神に追ひつめられて永く諏訪に留ると誓つたといふ一段は、この文化現象を逆用的に国譲神話に持ち込んだものと考へられてゐる。
 これ以降、持統天皇皇紀五年辛卯の条に、
  八月辛酉、遣二使者一、祭二竜田風神、信濃国須波、水内神一
とあり、諏訪神が祭られたことが記され、初めて中央政府との関係を認める。以後、諏訪の地にて東国鎮撫に力を尽し、その拠点として注目され、発展していったものと考へられよう。

そして、いままで調べて私なりに整理したのが、下図です。
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まず、この地には「洩矢神」を奉じる先住民族が居り、それを出雲族が征服した。
関東でも、祭神が出雲系の神である神社が非常に多く、出雲族が多かったことがわかります。
そして、中央の大和政権と「手打ち」をして馬を手に入れ、信濃や関東を制覇したのではないかと思われます。

しかし、征服された「洩矢族」が神官の筆頭となっている(守矢家)ので、先住民族もやられっぱなしではなかった。そして神事のほとんどが洩矢族(狩猟民族)の祭りとして残ったと考えています。

私の大好きな保科正之を生んだ、高遠の保科家も「神氏」の一族だそうです。

一の鳥居を入ってすぐの右側に「溝上社」あり。
祭神の「高志奴奈河比賣命」は後で説明。
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「御手祓道」
御頭祭などの神事の際に使用された道の形跡を残している。
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「神原(ごうばら)」
県道から入って一段と高くなった処の広場一帯を言い、上社にとっては最も由緒の深い場所です。社伝によれば、諏訪大神が始めて御出現にをられたのがこの地だと伝えられています。
この神原一帯は上社の祭祀の中心地であり、御祭神の後喬で諏訪大神の神格を持った生き神、大祝(おおほうり 最高統轄者)の居館である神殿と、それに附属する数多くの重要な建物が軒をつらねていましたが、室町時代の中葉に大祝が居館を他に移したので、多くの神殿は消滅し、現在祭儀だけが残っています。
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手水舎
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「若御子社」
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「旧上社大祝の居館・神殿跡」
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二の鳥居
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二の鳥居前の狛犬
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二の鳥居をくぐって石段を上がる。
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「内御玉殿」
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「十 間 廊」
間口三間、奥行が十間あるところから名称が付いていますが、昔は神原廊とも言い、上社でも最大の神事である三月西の日の神事御頭祭(大立増神事、酉の祭)がこゝで行なわれました。当日は大祝以下の全神職が総出で奉仕し、鹿の頭七十五頭をはじめ、鳥獣魚類等独特のお供えものをし、諸郷の役人が参列しました。大祝のお使(神使)が神霊を奉じて、信濃国中に出発する為の大祭でした。この時の七十五頭の鹿頭の中に毎年必ず耳の裂けたものがあり高野の耳裂鹿と言い諏訪七不思議の一つに挙げられています。
 この御頭祭、明治以後は四月十五日に行なわれ、本宮で例大祭をすませてから行列を整えてお神輿を渡御し、十間廊上段の間に安置して神事を行なっております。
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ここから200mほど登ったところに前宮本殿はあります。
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「諏訪照雲頼重の供養塔」
この人物は、武田信玄に討たれた頼重とは違う人物です。
狭山市を通っている「鎌倉街道」を、鎌倉幕府最後の執権・北条高塒の遺児「北条時行」を奉じて鎌倉に攻め上がります。日高市の「女影古戦場」はそのときの戦いがあったところ。
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「御室社」
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「前官本殿」
諏訪大神が最初に居を構えた地と言われ、高台で、豊富な水と日照が得られる良き地であり諏訪信仰発祥の地であります。現在の御殿は昭和七年に伊勢神宮の古材を以って建てられたものです。
 尚本殿の左後方の小高い所は諏訪大神の御神陵だと伝えられています。
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拝所と瑞垣の中に本殿があります。
拝所や瑞垣の隙間から、中に鎮座している本殿が見える。
本殿があるのは、上社の前宮、本宮、下社の春宮、秋宮の中で前宮だけです。
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祭神:
八坂刀賣神 (本地 千手観音)
御左口神(御社宮司神) 『諸神勧請段』『年内神事次第旧記』

神紋は「諏訪梶」
上社は根が4本、下社は根が5本である。
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本殿の周りに立っている「御柱」を見て回る。

本殿前から右に行って、「前宮一の御柱」
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時計回りの順に御柱は立っている。

「前宮二の御柱」
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三の御柱のちょっと下ったところから湧水が豊富に流れている。
名水「水眼」の清流。
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「前宮三の御柱」
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本殿の裏には、巨木がたくさんあった。
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「前宮四の御柱」
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本殿前にこのような表示が。
鎌倉道を探してみました。
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「平沢城址入り口」の案内の所を入っていくと、両方に「鎌倉道」の表示があり、この道だと判断しました。
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下に戻って摂社に参拝。

「子安社」
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祭神「高志沼河姫命」は、同じくここの境内社「溝上社」の祭神でもあります。
『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。
『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる[1]。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。

『古事記』の「大国主神」の巻、「八千矛神の妻問い物語」の段です。
(読み下し文)
 この八千矛神、高志国の沼河比売を婚はむとして幸行でましし時、その沼河比売の家に到りて、歌ひて日はく、

八千矛の 神の命は 八島国 妻枕(ま)きかねて 遠遠し 高志国に 
賢し女(さかしめ)を ありと聞かして 麗し女を ありと聞こして 
さ婚(よば)ひに あり立たし 婚ひに あり通はせ 大刀が緒も 
いまだ解かずて 襲(おすひ)をも いまだ解かねば 嬢子(をとめ)の
寝(な)すや板戸を 押そぶらひ わが立たせれば 引こづらひ 
わが立たせれば 青山に 鵼(ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉はとよむ 
庭つ鳥 鶏は鳴く うれたくも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ちやめこせね
いしたふや 天馳使 事の 語言も こをば

とうたひたまひき。ここにその沼河比売、いまだ戸を開かずて、内より歌ひて日はく、

八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば わが心 浦渚(うらす)
の鳥ぞ 今こそは 我烏にあらめ 後は 汝鳥にあらむを 命は 
な殺せたまひそ いしたふや 天馳使 事の 語言も こをば
青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 
笑み栄え来て 𣑥綱(たくづの)の 白き 腕 沫雪(あわゆき)の 若
やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手 玉手 さし枕き 
股長に 寝はなさむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 
神の命 事の 語言も こをば

とうたひき。かれ、その夜は合はずて、明日の夜御合したまひき。

古代、諏訪盆地には日本海側からは姫川・犀川を遡り、また信濃川・犀川を遡り、太平洋側からは天竜川を遡り、また木曽川を遡ってと、色々なルートから入り込んできたと思われる。
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諏訪大社祭神と沼河姫命の関係から、諏訪大社大祝に納まった一族は姫川・犀川を遡ってきた出雲族と思われる。

以上で前宮の参拝を終え、続いて諏訪大社上社本宮に向かった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、諏訪の方に案内役で行かれたのですね。この前宮、昔、行ったことがあります。その時は、諏訪駅からバスに乗って、前宮に行きました。確か、この側に、諏訪博物館だったかもあったと思いますが、そちらには行かれなかったのですね。

そして、帰りもバスに乗ったのですが、それがとんでもない大回りコースで、諏訪駅に着くまでに来るときの2倍以上の時間がかかってしまいました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
地方でバスを利用しようと思うと、
大変ですよね。
本数は少ないし、所要時間がイマイチ
わからないし。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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