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諏訪大社上社本宮/諏訪地方の歴史探訪②

20181014

10月10日に行われた歴史クラブの定例見学会ですが、コースは諏訪大社上社前宮⇒諏訪大社上社本宮⇒高島城⇒尖石縄文考古館でした。

諏訪大社上社前宮に参拝した後、バス10分ほどで本宮に到着。

これから掲載する写真ですが、皆さんを案内する立場上あまり写真を撮れなかったので、以前個人で参拝した時(2015年7月)の写真も利用して紹介します。
夏の季節の写真が混ざるので(笑)、ご容赦ください。

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされています。
諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しています。
古代の神社には社殿がなかったと言われ、諏訪大社はその古くからの姿を残しています。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として、多くの人が参拝に訪れます。
鎮座の年代、起源等の詳細については知るすべもないが、我国最古の神社の一つに数えられています。延喜式神名帳には南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃國一之宮として信仰されていたことがわかります。
明治四年に国幣中社に列格、同二十九年に官幣中社、大正五年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和二十三年に諏訪大社と改称致しました。

全国に分布する分社は一万有余社を数え、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬まわれつつ巾広い信仰を有し、古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされています。

境内図
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北参道側の大鳥居
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社号標
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○狛犬
下社秋宮の大狛犬の原型で、作者清水氏の好意に依り、大社ゆかりの方が昭和四十九年十月に奉納されたもの。
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手水舎
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○明神湯
往古より諏訪明神ゆかりの温泉とされ諏訪の温泉の源泉とも伝えられている。
ここでは、私は明神湯で手を浄めた。
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○五穀の種池
清祓池の脇の小さな石の池で、毎年春になると種粒を浸してその浮き沈みに依って豊凶を占っており、現在でも近郷農家の人々に親しまれています。
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○雷電像
諏訪大神は昔から力の強い神様としても知られ、相撲とは関係が深く、神社でも年々相撲神事が行をわれており、多くの力士も参拝しています。この像は信州が生んだ江戸時代の大力士雷電の等身大のもので、お諏訪さまに対して拝礼の誠を捧げている姿です。
茅野市出身の矢崎虎夫氏が、文部大臣賞受賞を記念して昭和41年10月に奉納されたもので、横綱柏戸関(鏡山親方)がモデルだそうです。
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○塀重門
石段の上の門で、文政12年(1829)のものです。
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塀重門から右にちょっと寄ったところから中に入ると、また手水盤があり。
向うに見えるのが参拝所。
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○御社殿
本宮の建物は「諏訪造り」の代表的なもので、一種独特の形式を備えています。
正面に拝殿と幣殿が並び、その奥には御本殿はありません。拝殿の左側を右片拝殿、右側は左片拝殿と山を背にした建物を脇片拝殿と言います。
この本宮の昔の建物は極彩色で結構ずくめの社殿でしたが、天正十年(1582)に織田信長の軍勢の兵火の為灰塵に帰し、天正十二年(1584)諏訪藩主諏訪頼忠が造営に着手し仮殿が作られ、更に年元和三年(1617)に諏訪頼水が地元の宮大工に命じ再建しましたが、この建物は、嘉永年間に郡内富士見町乙事の諏訪神社に移転しました。これは桃山時代の代表的建築物として国宝に指定されています。
現在の建物は江戸時代の末期天保二年から九年(1838)迄八年の歳月を要して、二代目立川和四郎富昌が次男の富種や地元神宮寺の宮大工原五左衛門親成と共に建立したもので、立川流の代表的建築物として知られ、殊に片拝殿の粟穂と鶉や笹に鶏の彫刻は富昌の代表作として、近代彫刻史に光彩を放つと言われ、又拝殿下の波と千鳥の彫刻は立川家の家紋の如き殊芸と言われています。

参拝所
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拝幣殿と左右に片拝殿
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幣殿
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片拝殿の粟穂と鶉の彫刻
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片拝殿の笹に鶏の彫刻
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ご祭神:建御名方神

神紋:諏訪梶
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諏訪大社の神紋は梶の棄で葉が三枚出ているので、三本梶とも言い、足の数をもって上下社の区別がをされ、上社は四本、下社は五本足になっています。また全国の御分社の大半は一本梶と言って、葉の部分のみで一本の社紋が使われています。

○勅願殿
昔は行事殿とも御祈祷所とも言って朝廷や諸侯の祈願を行った所とも伝えられます。現在の建物は元禄三年(1690)に諏訪高島藩によって建てられたものを、安政年間に修理しました。
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〇布橋
塀重門から外に出て、布橋を歩きます。この長廊は約70m、三十八間あり、明治維新迄は上社の大祝(おおほうり)のみ通った所でその時に布を敷いたことから布橋の名称が附いています。現在でも御柱祭の遷座祭には近郷の婦人連が自分の手で織り上げた布を持って釆て、神様(神輿)の通る道筋に敷くことを例としております。
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○四脚門
二つの御宝殿の聞にある建物で、天正十年(1582)に兵変に依り焼失したものを慶長十三年(1608)に徳川家康が家臣大久保石見守長安に命じて造営寄進し、国家の安泰を祈願しました。別名を勅使門と言います。
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〇硯石/諏訪七石
上社本宮の脇片拝殿の上方にある石が硯石と呼ばれ、この石の凹面は常に水を湛えているところからその名がついたそうです。
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○御宝殿(ごほうでん)
廊下の左側にある茅葺の建物で、本宮では一番大切な御殿です。二殿のうち左側を東御宝殿右側を西御宝殿と言い、御柱祭毎に交互に建替えをします。中にはお諏訪さまの御神輿をお納めしてあり、一般の神社の御本殿に相当します。この御宝殿の屋根からはどんなに干天の時でも最低三滴は水滴が落ちると言われ、宝殿の天滴と言って七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっています。
今は東宝殿に居られる。
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○大国主命社
遥拝所の隣の小さをお社は、大国主命社でお諏訪さまの御父神、大国さまをお祭りしている。
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布橋を渡り切ります。
○布橋入口御門
御門は文政十二年(1829)の建立で、地元の宮大工原五左衛門が棟領ですが、雄大な構とその彫刻は見事な出来ばえと称えられています。
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正門から入り直します。
まず神橋があり、鳥居がある。

神橋の手前右側に手水舎があり。
手水舎の建物は天保2年(1831)の建立です。脇を流れる小川は御手洗川で、古くはこの川で身心を清めてお参りしました。諏訪大社の七不思講の一つに「元朝の蛙狩り」と言うのがあり。毎年正月元旦に行われる「蛙狩り神事」に、この御手洗川の神橋の上の一段高い所で氷を砕いて川底を堀り、二匹の赤蛙を捕え、神前で柳の弓を以って射通し、矢串のまゝお供えしますが、附近に川が少ない為か、どんなに寒い年でも蛙が取れ、七不思議の一つとされている。
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神橋
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神橋の上から
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○出早社
左手に、まずあるのが「出早社(いずはやしゃ)」
上社の地主神、お諏訪様の門番の神様と伝えられますが、祭神は諏訪大神の御子神「出早雄命」です。古くからイボ神様として敬まわれ、小石を捧げてイボの全快を祈る風習があります。
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○額殿
文政年間の建立で、参詣者の祈願やその御礼として奉納された額や絵馬を納めた所で絵馬堂とも言います。戦前迄は廊下の上にも無数に掲げられていましたが整理されております。
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主な絵馬
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○摂末社遥拝所
額殿に続く細長い建物でこれも文政年間の造営です。上社に特に関係の深い摂社や末社の神号殿で、上の十三所中の十三所、下の十三所で合計三十九杜の御名を掲げてあり昔は十三所遥拝所とも言いました。現在大社の摂末社は上社関係が四十二社、下社関係は二十七社あり、明治以後独立した関係摂末社迄合わせるとその数九十五社に及びます。上下四杜の境内を始め郡下に点在しておりますが、その摂末社を朝夕こちらで遥拝します。
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このような神名が掲げられているが、江戸時代故に「〇〇明神」というのがほとんど。
一部だけ掲載。
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布橋入り口の前から右に、神楽殿に通じる参道を行きます。
四本の御柱は、後でまとめて掲載。

「駒形屋」と「布橋」の間に大欅あり。
樹齢約千年。古くは贄(にえ)・御狩の獲物(お供物)を掛けて祈願をしたことから「贄掛けの欅」と呼ばれ。境内最古の樹木の一つである。
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布橋の前に、「ハートの灯篭」と有名な石灯篭あり。
享保20年(1735)造立
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これはハートではなく、「猪目(いのめ)」
これは日本古来から伝わる「猪目(いのめ)」という文様です。字のごとく「イノシシの目」を意味しています。そして「猪目」は古来より「魔除け」「火除け」のために使われているのです。
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○勅使殿と五間廊
布橋の右にある高低二つの建物で、高い方が勅使殿です。中世の記録には、御門戸屋又は帝屋とあります。朝廷から来られた勅使が着座をされたので、この名称が付いたと思われますが、色々な神事がこゝで行なわれました。低い方の建物は五間廊と言いますが、神長官以下の神職が着座したところだと伝えられ、勅使殿は元和年間(1620)頃、五間廊は安永2年(1773)に建てられたものですが、後に改築してあります。
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勅使殿
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五間廊
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○神楽殿
文政十年(1827)の建立で、上社では一番大きな建物です。大々神楽や湯立神事が毎日行なわれていたようですが、現在は残念なことにその神楽は伝わっておりません。中に納めてある大太鼓は江戸時代のもので、直径が一米八十あり、当国随一の大きなものと言われ、唯今では元旦の朝だけ打つことにしております。
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○天流水舎
神楽殿前の屋根にエントツのようなものがついた建物で、俗にお天水と言います。どんな晴天の日でも雫が入り、御宝殿の軒からの天滴と共に中の井戸に溜ると言われております。雨乞の折にこのお天水を青竹に頂いて帰り神事をすると必ず雨が降ると伝えられ、唯今でも近郷近県からの祈願があります。この時途中で休むとそこで雨
が降るので昔は若者達がリレー式に運んだそうです。又このお天水は天竜川の水源とも伝えられています。
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○高島神社
武田信玄によって、諏訪頼重が討たれ諏訪家は滅びたが、頼重の弟頼忠は諏訪大社大祝として残った。
本能寺の変が起こって世が乱れたのに乗じ、諏訪頼忠は高嶋城を奪い、諏訪家を再興する。
諏訪家は徳川家配下となり、譜代大名として小田原遠征後武蔵国奈良梨に1万2千石の大名に。
諏訪頼水の代に諏訪に2万7千石を与えられ、高島藩を立藩。維新まで存続した。
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御柱ですが、ここ上社本宮では、三と四の御柱は立ち入れない神域にあり、近寄れません。
なんとか場所を探して遠くから撮るのが精いっぱいでした。

○本宮一之御柱
塀重門下の石段の横にあり。
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○本宮二之御柱
布橋門の脇にあり。
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○本宮三之御柱
これが一番苦労しました。
御手洗川から中は神域で入れません。
隣接するお寺の境内から撮れました。
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○本宮四之御柱
勅願殿と宝物殿の間から、遠目に見ることになります。
ズームを効かせて撮りました。
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諏訪七石のうち三つが上社本宮境内にありますが、「硯石」は既に掲載。

○御沓石
一之御柱の奥の大きな石は諏訪七石の一つ「御沓石」。
真中のへこんだところが、お諏訪様のお沓の跡だとか、お諏訪様の召しておられた御神馬の足跡とか伝えられています。
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○蛙石
蓮池にあります。
手前の石。
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以上で本宮の参拝を終え、近くの「おぎのや諏訪インター店」で昼食、お土産購入してから、高島城に向かいました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

2つの下社の方は何回か行っていますが、バスでの行き方がわからなかったので、上社の方は未だに行ったことがありません。でも、インターネットで調べてみると、現在はバスが出ているようですので(その代わりに、前社へのバスは廃止されたようですが)、その内に行きたいです。

上社にも温泉の手水場があるのですね。下社にもあって、初めて見た時は驚くと共に、なるほど、ここは温泉場だったと感心しました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
上社のほうに、ぜひ行って欲しいですね。
なんといっても、諏訪大社は上社から
始まっているので。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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