FC2ブログ

諏訪高島城/諏訪地方の歴史探訪③

20181015

10月10日に行われた歴史クラブの定例見学会ですが、コースは諏訪大社上社前宮⇒諏訪大社上社本宮⇒高島城⇒尖石縄文考古館でした。

諏訪大社上社前宮、本宮に参拝した後、近くの「おぎのや諏訪インター店」で昼食、お土産購入してから、高島城に到着しました。

高島城というのは、二か所あり、初期は茶臼山にあり、後期諏訪湖畔に築かれた。

ちょっと長くなりますが、諏訪家の歴史も含めて説明を記しておきます。

【高島城(茶臼山城)】
諏訪大社大祝であった諏訪氏が、この地方の武士団の統領として諏訪地方を切り取ります。
中世、諏訪郡の領主であった諏訪氏は現在の諏訪高島城の北方に位置する茶臼山に高島城(茶臼山城)を築いて居城としたが、諏訪頼重の代に武田信玄に滅ぼされる。
諏訪氏の滅亡後、諏訪郡には武田家の譜代家老・板垣信方が現在の茅野市に所在する上原城に配置され、諏訪郡司となった。

天文17年(1548年)には上田原の戦いにおいて信方が戦死し、天文18年(1549年)正月には長坂虎房が諏訪城代となり、高島城へ入城した。『高白斎記』によれば、高島城は足軽大将の山本勘助により改修されたという。高島城の城代は虎房の後に吉田信生・市川昌房が務め、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで昌房が戦死すると、今福昌和が務める。高島城は武田氏による諏訪郡支配の拠点となった。

【諏訪高島城】
諏訪家の血をひく武田勝頼が、織田・徳川連合軍により滅ぼされる。
天正10年(1582年)3月の武田氏の滅亡後、甲斐国と信濃諏訪郡は織田氏の家臣・河尻秀隆が領し、諏訪郡には秀隆の家臣・弓削重蔵が配置された。同年6月の本能寺の変の後、河尻秀隆は土民に殺され、諏訪大社大祝であった諏訪頼忠が諏訪一族を率いて高島城に入り、諏訪家を復興した。
徳川家康と北条氏直の和睦の結果、甲斐・信濃は徳川となり、諏訪家は徳川家に従うことになる。
このいきさつにより、諏訪家は江戸時代に譜代大名となる。
※譜代大名:関ヶ原合戦より前に徳川家の家臣であった大名

徳川家康の江戸入府の際、諏訪頼水は武蔵国奈良梨・羽生・蛭川一万二千石の大名となり、奈良梨に本拠を構えた。

このとき、諏訪は豊臣系の日根野高吉に下された。
高吉は、1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、現在の地である諏訪湖畔の高島村に新城を築く。その際村人には漁業権や賦役免除権などの特権を与える代わりに小和田へ移転させた。高吉は織田信長、豊臣秀吉の下で普請を経験していたことから、織豊系城郭として築城し、石垣を築いて天守も上げた。同時に上原城周辺にいた商工業者を移住させ、城下町の建設を開始した。

1601年(慶長6年)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、ずっと諏訪復帰を願い出ていた、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏がこの地の領主となり、「高島藩」として明治維新まで続くこととなった。江戸時代は諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。1786年(天明6年)に石垣などが補修されている。

寛永3年(1626年)には徳川家康六男の松平忠輝を預かる。南の丸を増設し、監禁場所とした。以降も南の丸は、幕府から預かった吉良義周などの流人の監禁場所となる。

1871年(明治4年)廃藩置県により高島県となり、県庁舎として利用された。1875年(明治8年)に天守以下建造物は破却もしくは移築され、一時は石垣と堀のみとなり、翌1876年(明治9年)高島公園として一般に開放され、1900年(明治33年)に諏訪護國神社が建てられる。

現在は二の丸、三の丸が宅地となり、1970年(昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備された。

案内図
181015taka01.jpg


団体で入城するため、真っ先に天守閣に入った。
181015taka02.jpg


181015taka03.jpg


天守閣内は展示で一杯。
181015taka04.jpg


日根野高吉像
181015taka05.jpg


諏訪家の家紋も、当然諏訪大社の神紋「諏訪梶」と同じ。
181015taka06.jpg


御枕屏風
181015taka07.jpg


181015taka08.jpg


鎧など
181015taka09.jpg


諏訪の主な城址
181015taka10.jpg


天守閣からの諏訪湖
181015taka11.jpg


181015taka12.jpg


181015taka13.jpg


181015taka14.jpg


諏訪湖と反対側の眺め
右手の森の向こう山麓に諏訪大社上社がある。
181015taka15.jpg


冠木橋を見下ろす。
181015taka16.jpg


天守閣を出て、周りを見ます。
181015taka17.jpg


天守閣真下から
181015taka18.jpg


藤棚の辺に本丸御殿があった。
181015taka19.jpg


心字池から天守閣を
181015taka20.jpg


冠木門を内から見る
181015taka21.jpg


高島城の堀と石垣
181015taka22.jpg


冠木門と冠木橋
181015taka23.jpg


冠木橋からの天守閣
181015taka24.jpg


冠木橋と天守閣
181015taka25.jpg


181015taka26.jpg


隅櫓
181015taka27.jpg


再び冠木橋から講演に戻る
181015taka28.jpg


高島城は浮城とも云う
181015taka29.jpg


181015taka30.jpg


諏訪護国神社
181015taka31.jpg


ここにも御柱が立っていた。
181015taka32.jpg


これで見学は終了。
続いて、尖石縄文考古館に向かった。


続きを見る


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



スポンサーサイト



コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ここは何回か、行ったことがあります。勿論、上諏訪駅から歩いて行ったのですが、途中にオニユリが沢山、咲いている場所や、温泉が出ている所、足湯、大きな白壁の建物(酒蔵?)等があり、中々、感じの良い道でした。

また、天守閣の前の庭も良いですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私にも、意外と良いところだったので、
もっと早く訪ねればよかったと後悔しました。
あの庭には、思わず見とれる面白い石が
たまさんありました。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop