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栃木県立博物館、宇都宮二荒山神社、松が峰教会、宇都宮城址

20181206

11月23日に、歴史クラブ「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
こちらを8:12の電車に乗り、武蔵野線、宇都宮線を乗り継いで宇都宮駅に10:35到着。
10:55のバスに乗り、「中央公園博物館前」を降りたのが11:20でした。

【栃木県立博物館】
広い中央公園の一番奥に博物館があるので、中央公園の中央の道を歩いて行くと、紅葉が綺麗でした。
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池のほとりの、化石の木メタセコイアが綺麗に黄葉していた。
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栃木県立博物館に到着
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入り口エントランス
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一階は、受付、ショップなど、展示は二階です。
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らせん状のスロープで二階にあがるようになっている。
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企画展は「藤原秀郷」であった。
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藤原秀郷は、平安時代の中ごろに活躍した下野(しもつけ)の武将で、中世東国武士の祖とされています。平将門の乱を鎮圧したことをきっかけに、秀郷は歴史の表舞台に登場しました。武芸と軍略に優れる秀郷は、朝廷から将門討伐の最高殊勲者に認められ、武門の頂点として東北支配にあたる鎮守府将軍に任命されました。のちに秀郷は源頼朝をはじめとする鎌倉武士から武芸の開祖として仰がれています。
 秀郷の子孫には平泉の奥州藤原氏や歌人・西行を生んだ紀伊佐藤氏をはじめ、下野でも小山氏・長沼氏(のち皆川氏)・佐野氏・小野寺氏などの有力武士団が生まれました。壇ノ浦の戦いで活躍した那須与一が出た那須氏もそうです。
以上のように、全国に広がった秀郷流武士団はまさに〝源平と並ぶ名門武士団“と称しても過言ではありません。
 そして、武芸の開祖と仰がれた秀郷の勇猛な戦いぶりは、超人的な武芸によって内乱を鎮め、大ムカデを退治したという「俵藤太伝説」を生み出しています。
 本展では、藤原秀郷の足跡と今に語り継がれる伝説を通してその実像に迫るとともに、全国に広がった秀郷流武士団についても紹介している。

田原藤太秀郷像/小堀鞆音 大正10年
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秀郷草紙 巻六 江戸時代
大ムカデと闘う場面
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秀郷流藤原氏略系図
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狭山市に関しては「柏原郷」が、畠山重忠従軍五騎の柏原太郎の後、小山氏・長沼宗政の領地となったことが、「長沼宗政譲状」でわかる。
長沼宗政は、藤原秀郷の子孫・小山政光の子で、兄が小山朝政、弟の宗政は長沼姓を名乗った。
小山朝政、長沼宗政ともに源頼朝の有力御家人である。

長沼宗政譲状(皆川文書) 寛喜2年(1230)
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長沼宗政譲状に書かれた領地
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長沼氏は源頼朝、足利尊氏に仕え、戦国期に長沼一族のうち皆川氏が織田信長、徳川家康と結び、徳川政権下では大名・旗本として生き残った。

私は、狭山市柏原に住んでいるので、ある人の論文で「長沼宗政譲状」の存在を知り、実物を確認したくて2016年に栃木県立博物館に来たことがある。

今日は、せっかく宇都宮に行くのだからと、欲張って立ち寄り先を多くしたので、博物館には1時間しか時間を割けなかった。そのため、私は「藤原秀郷」展を見るのが精いっぱいだった。
栃木県の縄文・古墳史跡の情報も採りたかったのだが、これは再訪することになった。

バスで馬場町(二荒山神社前)に戻り、もちろん美味しい宇都宮餃子のお店で昼食。
やはり美味しかった。参加した皆さんも満足したようで、全員宇都宮餃子をお土産に購入していた。

【下野国一之宮・宇都宮二荒山神社】
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長い石段を上がって参拝となります。
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宇都宮二荒山神社については、既に2016年に参拝したときの記事があります。

その記事を見る


今回は、秋なので境内の木も紅葉していて綺麗でした。
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おみくじが餃子のかたちなのが、今回気が付きました(笑)
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宇都宮二荒山神社の参拝を終え、宇都宮城址に向かう道から、途中で右折して松が峰教会に向かいます。

【カトリック松が峰教会】
カトリック松が峰教会(カトリックまつがみねきょうかい)は、栃木県宇都宮市にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂。大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築であり、1998年に国の登録有形文化財に登録された。

カトリック松が峰教会の聖堂は、上智大学1号館を設計したスイス人の建築家マックス・ヒンデル(1887-1963年)によって設計され、昭和7(1932)年に竣工。日本では数少ない双塔を持った教会建築となっています。
2階にある聖堂の内外壁に用いられている大谷石は、旧帝国ホテルに用いられた場所と同じ大谷の採石場から切り出されたものに、石工職人によりさまざまな意匠が施されています。

「ブタモリ」で取り上げていたので、今回訪ねてみたが、予想以上のスケールで驚嘆しました。
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中に入る際に、建物に施された彫刻やアーチなどに感服。
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入り口上部にステンドグラスがあり。
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内部は、大谷石の色調で実に穏やか。
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祭壇
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宇都宮城址に向かう途中、宇都宮大空襲に負けなかった大いちょうがあった。
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【宇都宮城址】
築城年代は平安時代に遡る。藤原秀郷もしくは藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城したと言われる。もともと宇都宮には宇都宮大明神(二荒山神社)が鎮座し、宗円は前九年の役に際して源頼義・源義家に伴われて奥州遠征に赴き、その功によって当社座主の地位と毛野川(鬼怒川)流域一体の支配権を与えられた。以来、鎌倉時代から室町時代・安土桃山時代まで530年におよび国司・守護・関東八屋形に列せられ、宇都宮城は宇都宮氏の居城(居館)となり、北関東支配の拠点となった。この頃の宇都宮城は中世城郭だったといわれる。

小田原征伐に続く宇都宮仕置ではその舞台となり、豊臣秀吉に謁見するため奥州の大名らが宇都宮城に参城した(なお、当時の宇都宮氏は後北条氏の侵攻を防ぐために多気山城に拠点を移していた)。宇都宮氏は秀吉から所領を安堵され居城を元の宇都宮城に戻すように命じられる。その後羽柴姓を授かるなど、秀吉との仲は良好であったが、慶長2年(1597年)に突如改易された。宇都宮氏改易後の慶長3年(1598年)、宇都宮城には蒲生秀行が18万石で入り、日野町や紺屋町を造成して宇都宮城下の商業整備を進めた。

元和5年(1619年)、徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で宇都宮に入り、宇都宮城と城下の改修を行った。縄張りを拡張して新たな郭を設け、本丸など城郭周囲を掘削し湧水を張って幾重の水濠とし、掘削で生じた土を高く盛り上げて土塁とした。城内に将軍宿泊所となる本丸御殿を建設し、また宇都宮宿の宿機能・駅機能を整備するなど日光社参に関する設備向上を促進した。
正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、元和8年(1622年)に正純は改易された(宇都宮城釣天井事件)。

明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発が行われたため、遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁、堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されている。今後、本丸御成御殿、本丸清水門、本丸伊賀門を復元する計画がある。

「宇都宮御城内外絵図」 江戸時代
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江戸時代の宇都宮城推定図
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宇都宮二荒山神社から、まっすぐ宇都宮城址に向かう道を行くと、堀をはさんで清明櫓が見える場所に出る。
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ここから左回りに堀端を歩いて行く。
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直線に伸びる高い土塁の真ん中辺に、中に入るトンネルがある。
向うに富士見櫓が見える。
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堀を橋で渡り、土塁のトンネルから中に入る。
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トンネル部分にある案内所にあった「釣り天井事件」の伝説。
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土塁の内側は、広場となっている。
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これで、この日の予定は全て終了。
ここから20分歩いて、JR宇都宮駅に出て、参加者全員お土産に宇都宮餃子を購入、帰途につきました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

モミジ、結構、綺麗に紅葉していますね。都区内とは異なり、台風の塩害、さすがに、栃木県までは塩が飛ばなかったのでしょうね。

大谷石で5階建て?のものができるのですね! 大谷石って、土台や塀に使われているものを見ると、非常に風化が激しい石と言う認識しかもっていなかったので、建物まで造れるとは思ってもみませんでした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、ブラタモリで見た時に吃驚しました。
高さは別にして、栃木県、茨城県では、
大谷石の蔵がずいぶんとありますね。

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とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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