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八王子城跡

20191004

所在地: 東京都八王子市元八王子町3丁目2664ー2
訪問日:2019年9月26日

歴史クラブの行事で訪れました。
JR高尾駅からバスに乗り、「八王子城址入り口」でバスを降り、徒歩20分でガイド施設に到着。
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先に、二階で持参のお弁当を食べてから、ガイドさんに案内していただきました。

北条氏康の三男・氏照が築城し、1587年(天正15年)頃に本拠とした。氏照は当初、滝山城に拠っていたが、小田原攻撃に向かう甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄軍に攻められた際に滝山城の防衛の限界を感じて本拠を八王子城に移した。このとき、織田信長の築城した安土城を参考に石垣で固めた山城構築を行った。
八王子城は一般的な山城のような尾根と堀切を利用した縦深防御に加えて、侵入してくる敵に対しいたる所から側射をかける仕組みになっている。織豊系城郭と比較すると、より近世的な戦術を志向している。

小田原征伐の際、八王子城は上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠った。
豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやった。その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、その日のうちに城は陥落した。氏照正室、比左を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。
八王子城陥落により、小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は兄、氏政とともに切腹した。のちに新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。

今回は、本丸のある「要害地区」まで登るのはあきらめ、居館地区と根古谷地区にある北条氏照供養塔を見て歩いた。
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さあ、出発!
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エントランス広場にある、大きなジオラマで八王子城の説明を受ける。
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この地図に、実際の地形を加味すると、こうなる。
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縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 - 3 kmの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建てるための曲輪などが造成されていた。特に、居館地区の南側尾根にある太鼓曲輪は5つの深い堀切で区切られ、南側を石垣で固めるなど、容易に尾根を越えられない構造となっていた。

上が要害地区、下が居館地区。
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太鼓曲輪の尾根は、下から敵が攻め上がってくるので、5つの深い堀切で区切られているのが、よくわかる。
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それから少し進むと、右側に要害地区に上がっていく登り口が見える。
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この道をほんの少し下ると、綺麗な色で塗られた三つのマンホールのフタがあり、ガイドさんが案内してくれた。
これは北条氏がつなぐ縁で姉妹都市となっている小田原市、八王子市、寄居町のもの。

小田原市
酒匂川と小田原城、箱根連山、富士山をデザイン。
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八王子市
伝統芸能である、三番叟を舞っている「車人形」をデザイン。
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寄居町
町の鳥・花・木の、キジ、カタクリ、ヤマザクラをデザイン。
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管理棟の前から、古道、御主殿跡に向かう。

しばらく山道を行く。
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高い土塁が残っている。
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左に曲がり、城山川を渡り、大手門跡に向かう。
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左は高い土塁。
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この辺は深い森になっているが、終戦直後の米軍の航空写真では、まったくの丸裸だったそう。戦時中に樹は全部切り出されてしまったらしい。
その後植えられても、樹齢30年、40年となり、立派な林になっている。

左から上がってきて、上がりきったところが「大手門跡」。
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ここには、薬医門があったらしい。

大手門から御主殿に通じる「古道」を行く。
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「曳橋」に到着
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今の橋は、観光用につけられたもので、当時は立派な橋でなく、すぐに壊すことが出来る橋だった。
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なんと、橋には野猿の手の跡があちこちに(苦笑)
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これはイノシシが掘った跡とか。
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御主殿に入る「虎口」を遠望。
八王子城の石垣が、関東で最初に築かれた石垣だという。
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御主殿に上がる前に、当時のまま残っている石垣を見に行く。
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当時の石垣
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ここの土塁は高い!
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虎口に登る。
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やはり、上がりにくい石段になっている。
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左折して虎口の門から入る。
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虎口を抜けると、「御主殿跡」の広場。
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御主殿跡
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主殿の礎石が散らばって見える。
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庭園跡
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池の中心の石
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会所跡
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会所の建物に沿って敷かれていた石。
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「御主殿の滝」に向かう。
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「御主殿の滝」
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立派な石垣と「曳橋」の下を行く。
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「御主殿の滝」から流れてきている「城山川」
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管理棟まで戻った所で、ガイドさんに感謝しつつ、お別れ。
ガイド施設よりもっと下り、「北条氏照の墓」に向かう。
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石段160段を上がる。
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「北条氏照及び家臣の墓」
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氏照死後100年忌のときに建てられた供養塔
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両側面には大きな蓮が掘られている。
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これで、八王子城址の探索は終り、バスで高尾駅まで戻り、希望者だけで武蔵野陵に参拝しました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

八王子城址ですか。ここは北高尾山稜に属していますが、幽霊が出そうな気がしているので(笑)、敬遠している場所です。それと、登山詳細地図を見た限りでは道が複雑そうなので、1人だと道迷いしそうなこともありますが。

しかしながら、写真を見せていただいた鍵路では結構、明るい感じですね。それに石垣も結構、残っているようですし。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
ぜひ、行って見てください。
たぶん気に入って下さると思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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