FC2ブログ

小田原城

20191023

所在地:神奈川県小田原市城内
訪問日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で神奈川県立生命の星・地球博物館を訪ねた後、小田原駅まで戻り、そこから小田原城址公園のお堀沿いに15分ほど歩いて、まず報徳二宮神社に参拝してから、小田原城に到着。
ガイドさんに案内をお願いした。
コースは、正面入り口から入り、馬出門、銅門から天守閣下まで、下図で赤点線のコースです。
191023odashiro01.jpg


北条氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。だが、建築者は、不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

北条氏没落後に城主となったのは大久保氏であるが、2代藩主大久保忠隣の時代に政争に敗れ、一度改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。その後、城代が置かれた時期もあったが、阿部氏、春日局の血を引く稲葉氏、そして再興された大久保氏が再び入封された。小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を幕府から預かる立場であった。

小田原城は、江戸時代を通して寛永10年(1633年)と元禄16年(1703年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けている。天守が再建されたのは宝永3年(1706年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続した。

藤棚観光案内所から正面入り口まで、堀沿いに歩く。
191023odashiro02.jpg


191023odashiro03.jpg


正面入り口
191023odashiro04.jpg


馬出門
天守閣が見える位置から。
191023odashiro05.jpg


191023odashiro06.jpg


ここには、大久保氏の家紋「大久保藤」があり。
191023odashiro07.jpg


馬出の馬場跡
191023odashiro08.jpg


狭間を供えた塀越しに天守閣。
191023odashiro09.jpg


住吉門前の堀
191023odashiro10.jpg


ガイドさんの説明によれば、小田原城の堀の深さは膝くらいだったという。
腰の辺の深さなら泳いで渡れる、人の背くらいなら潜って渡れる。なので浅くして、菱を生い茂らせていた。
菱が足に絡まって歩けないそうだ。

少し菱を生やしてあった。
191023odashiro11.jpg


191023odashiro12.jpg


住吉門
191023odashiro13.jpg


191023odashiro14.jpg


住吉門を入ると、枡形になっており、左手に銅門となる。
191023odashiro15.jpg


枡形を囲む塀の控え柱がコの字形になっているのは、上に横板を置けば、塀越しに鉄砲や弓で攻撃できる工夫である。
191023odashiro16.jpg


銅門(あかがねもん)
191023odashiro17.jpg


191023odashiro18.jpg


堅固な造りだ。
191023odashiro19.jpg


191023odashiro20.jpg


石落とし
191023odashiro21.jpg


ちょうな削りの太い梁は、職人魂の表れ。
191023odashiro22.jpg


二階に武者が駆け上がる道。
191023odashiro23.jpg


銅門にシャチホコが載っているのは、これをくぐると実質の城主の館である「二の丸お屋形」になるため。
天守閣のある天守は、徳川将軍が来た時の居室となる。
191023odashiro24.jpg


191023odashiro25.jpg


「二の丸お屋形」があった場所
191023odashiro26.jpg


銅門礎石だった石
191023odashiro27.jpg


191023odashiro28.jpg


相当な樹齢のイヌマキ
191023odashiro29.jpg


191023odashiro30.jpg


191023odashiro31.jpg


東堀を渡って常盤木門へと続く。
191023odashiro32.jpg


191023odashiro33.jpg


191023odashiro34.jpg


東堀の橋を渡るときにガイドさんが教えてくれたのが、ここの擬宝珠が、小柳ルミ子の「私の城下町」のジャケットの写真のものだという。
191023odashiro35.jpg


191023odashiro36.jpg


例によって、枡形を経て常盤木門
191023odashiro37.jpg


191023odashiro38.jpg


枡形の石垣には、矢穴が残った石があり。
191023odashiro39.jpg


常盤木門をくぐる。
191023odashiro40.jpg


191023odashiro41.jpg


石落としと重厚な構え
191023odashiro42.jpg


常盤木門を内側から。
191023odashiro43.jpg


やっと、天守閣まできた(嬉)
191023odashiro44.jpg


シャチホコにはカラスが止まっていた(笑)
191023odashiro45.jpg


ここで、ガイドさんに感謝しつつ、お別れ。

参加者のなかで、天守閣に登ってない人は登ることにして、既に登ったことのある人は天守閣の横にある茶店で休憩することにした。
私は、けっこう疲れが出ていたので、休憩を選んだ。
(実は、前日も八王子城址を歩いていたのだ)

天守閣内部については、前年4月に天守閣に登ったので、その記事を見てください。

その記事を見る



この日は、神奈川県立生命の星・地球博物館、二宮神社、小田原城と実に充実した一日だった。
満足して、小田原駅前で、美味しい干物を買って帰った。



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト



コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

小田原城ですか。私も結構な回数、行っていますが、最後に行ったのはいつかと思って調べてみたら、2013.3.11で、その時は河津桜のほか、梅の花も残っていました。また、どこかで、発掘調査が行われたいた記憶があります。

この天守閣は復元されたものですが、それを含めて、全体が昔風に作られているので、良いですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
とりあえず、再建されたものとはいえ、
天守閣があるのはいいですね。
北条時代の固い構えを見るには、総構えの
遺構で残っている深い堀を見ないと
いけないな、と思っています。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop