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平渋沢栄一生家・記念館

20191112

訪問日:2019年10月9日

歴史クラブの秋季定例見学会として、妻沼聖天山歓喜院、児玉百体観音堂(さざえ堂)、渋沢栄一生家・記念館を訪ねました。
最初に妻沼聖天山歓喜院に参拝し、その後熊谷市内で早目の昼食をとり、児玉の百体観音堂(さざえ堂)を見た後、ここに到着しました。

【平渋沢栄一生地】
埼玉県深谷市血洗島247-1

堂々たる、大きな屋敷だ。
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立派な門構え。
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立派な主屋
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 この屋敷は、渋沢家の住宅等として使われてきたもので、通称「中の家(なかんち)」と呼ばれている。
 渋沢一族はこの地の開拓者のひとつとされるが、分家して数々の家を起こした。「中の家」もその一つで、この呼び名は、各渋沢家の家の位置関係に由来するものである。代々当主は、市郎右衛門を名乗っていたが、古くは、新七郎(安邦)の名まで知られている。
 中の家は、代々農業を営んでいたが「名字帯刀」を許され、市郎右衛門(元助)のときには、養蚕や藍玉づくりとその販売のはか、雑貨屋・質屋業も兼ねてたいへん裕福であった。この家に、後に日本近代資本主義の父と呼ばれる栄一が生まれた。
 現在残る主屋は、明治28年(1895)、市郎により上棟されたものである。梁間5間、桁行9間の切妻造の2階建、西側に3間×3間の平屋部分等を持つ。また、主屋を囲むように副屋、土蔵、正門、東門が建ち、当時の北武蔵における養蚕農家屋敷の形をよくとどめている。
 栄一は、多忙の合間も時間をつくり年に数回はこの家に帰郷した。東京飛鳥山の栄一の私邸は、空襲によって焼失したため、この家は現在残る栄一が親しく立ち寄った数少ない場所といえる。
 また、中の家は、元治、治太郎たちの人材を輩出した。
 昭和60年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、多くの外国人留学生が学んだ。平成12年、同法人の解散に伴い深谷市に帰属した。
 昭和26年、埼玉県指定史跡に指定。昭和58年、埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」に指定替えがされた。
平成22年、主屋を中心とした範囲を深谷市指定史跡に指定。
 副屋の前には、渋沢家歴代の墓地がある。屋敷外の北東には、栄一の号「青淵」の由来となった池の跡に「青淵由来の碑」が建つ。南方200mはどには、この地、血洗島の鎮守である諏訪神社がある。

門から入ってすぐに、栄一の青年期の侍姿の銅像が立つ。
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渋沢栄一の生涯概要については、皆さんご存知と思うが、ここに記しておく。
江戸時代末期に農民から幕臣に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な会社の設立、経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現、二松学舎大学)を務めた他、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。令和6年(2024年)より新紙幣一万円札の顔となる。また、令和3年(2021年)に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が放送される予定。

私は不勉強で、今回渋沢栄一に関する本2冊を求めて勉強させてもらったが、漠然と知っていた実業家としての栄一についても深く知ることが出来たが、幕末の頃の栄一と従弟たちの行動には驚倒した。
そのあらましを書いておく。

〇7歳時に従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の許に通い、四書五経、「日本外史」を学ぶ。
〇文久3年(1863)、尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画。69名を集め決行寸前に、状況偵察に京都に派遣していた惇忠の弟、尾高長七郎(従兄弟)が帰着、京都の激動政情(公武合体派が尊王攘夷派を駆逐、大和の天誅組事件)を説明、説得により中止。
〇既に関八州の役人に知れているため、勘当の形で京都に出るが、志士活動に行き詰まり、江戸遊学(文久元年)の折に交際のあった一橋家家臣(御側御用掛)、平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる。(別行動をしていた尾高長七郎が幕府に捕えられており救うためもあり)
慶喜は薩摩藩に先んじて「禁裏御守衛総督」「摂海防御指揮」を朝廷から命じられる。元治元年(1864年)平岡円四郎が暗殺される。栄一は次第に藩内で重きをなす。
〇募兵で藩の領地を見回ったときに着想、特産品の活用、藩札を大坂の商人と組んで信用を上げる等、藩の財政の改善に努め、勘定組の組織改革も提言、勘定組頭に就任。
〇主君の慶喜が将軍となり、幕臣となる。
〇パリで行われる万国博覧会(1867年)に、将軍の名代(慶喜の弟・昭武)の随員として御勘定格陸軍付調役の肩書で、フランスへ渡航。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。将軍の弟ということで、フランスは何でも見せてくれた。海軍基地、製鉄所、ヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院など。銀行家のエラールから、銀行の仕組み、株式会社、貨幣制度、有価証券などを学ぶ。軍人と銀行家が同じ立場で交流していることに感銘。フランスが変心(イギリスの横槍、薩摩藩暗躍)、600万ドルの借款契約が消える。栄一は昭武一行の滞在費用、欧州歴訪、留学費用捻出のため、オランダ貿易会社やイギリスの銀行から借金、フランスの公債購入や鉄道会社の株購入など資金を運用、かなりの利益を上げ、しのぐ。
〇慶応4年(1868年)5月、新政府から帰国を命じられ、帰国。
※渋沢喜作(成一郎):従弟
栄一と共に高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画。共に慶喜に仕える。大政奉還後彰義隊を 結成、頭取となる。慶喜が水戸に退いたので、上野での徹底抗戦を主張する天野八郎と分かれ、 振武軍を結成、官軍と「飯能戦争」を戦う。栄一の弟・平九郎が参謀であったが越生で戦死。喜作は榎本武揚と共に蝦夷地にて箱館戦争に参戦。明治時代は、栄一の仲介で大蔵省に入る。大蔵省を退職後は実業家として手腕を発揮した。八芳園の建物と庭園は、渋沢喜作が建設したものに、日立製作所の創始者・久原房之助が手を加えたもの。

お願いしていたガイドさんに説明をしていただく。

渋沢栄一が生まれたときの家。
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中の家の家系図
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栄一が家を飛び出したので、この家を守ったのは栄一の妹「てい」とその婿「市郎」。
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「てい」と「市郎」の長男・渋沢元治。
東京帝大の電気工学科を卒業、逓信省で電気事業・電気技術の管理業務に従事。
現在の日本の使用電圧を決めるにあたって、自分の身体を実験に使用して、家庭用には100Vと決めた人物。
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元治が東京で活躍したので、この家を守った二男の治太郎。
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渋沢元治の揮毫額「本立而道生」
論語のなかにある言葉で、「根本がしっかり立ては、その先の道はおのずから開けるものだ」という意味。
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座敷の様子
一番奥が、栄一が帰郷したときのために用意した部屋。
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住所の「血洗島」の説明。
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上皇ご夫妻の訪問の写真。
上皇になられることが決まった後なので、普通の服装で訪問されたとか。
美智子上皇妃だけでなく、代々皇妃の養蚕のご指導を渋沢家がしているそうだ。
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今回、1万円札に渋沢栄一の肖像が採用されたが、現在の千円札の際にも候補となったそうだ。
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これが栄一が帰郷したときのために用意されていた部屋。
床柱は、銘木「鉄刀木(たがやさん)」。
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藍玉を保存していた土蔵Ⅱ。
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大谷石を積んだ半地下室で藍玉の製造・貯蔵をしていた。
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土蔵の前には、藍が植えられている。
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土蔵Ⅳ
一階を奥座敷、2階を宝蔵に使用していた。
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楷の木
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前庭の池
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これで、渋沢栄一生地の見学を終え、続いて渋沢栄一記念館に向かった。

【渋沢栄一記念館】
所在地:埼玉県深谷市下手計1204

記念館は、巨人・渋沢栄一にふさわしい堂々たる建物。
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入口ロビー
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展示室は撮影禁止なので紹介できる写真は無いが、巨人・渋沢栄一を知るうえで貴重な資料がたくさんあった。
渋沢栄一の年表
高崎城を襲い、横浜の異人館を襲撃しようという血書。
日本で最初に設立した銀行「第一国立銀行」の威容。
国際交流の証しの青い目の人形
『論語とそろばん』
栄一を育てた従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の事蹟
などなど

記念館の裏に、渋沢栄一の大きな銅像が立つ。
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渋沢栄一の銅像が見つめる故郷の光景。
あまり変わってはいないという。
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(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

渋沢栄一って、私には、明治時代に飛鳥山に住んでいて、色々な会社を作った人と言うイメージしかなかったのですが、なるほど、江戸時代にも活躍していて、加えて、江戸時代に欧州に行っていたのですか! 驚きました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、今まで縁が無くてあまり知らなかったのですが、
今回調べてみて、その偉大さにすっかりファンと
なりました。
これからも、その足跡を訪ねていこうと思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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