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旧新橋停車場鉄道歴史展示室&浜離宮踏切跡

20191229

所在地:東京都港区東新橋1丁目5番3号
訪問日:2019年12月20日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪問しました。
この日は、旧新橋停車場鉄道歴史展示室&浜離宮踏切跡⇒アドミュージアム東京(江戸時代からの広告の歴史)⇒カレッタ汐留で夜景とイルミネーション⇒新橋駅前のSLのイルミネーションと盛りだくさんな企画を楽しみました。

JR新橋駅から徒歩7分くらいで到着。
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この建物は、1872(明治5)年10月14日(太陽暦)に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。
 新橋停車場駅舎は、アメリカ人R・P・ブリジュンスの設計による木骨石張りの構造で、1871(明治4)年5月に着工、同年12月に完成し、西洋建築がまだ珍しかった時代の東京で、鉄道開業直後に西洋風に整備された銀座通りに向かって、偉容を誇っていました。
1914(大正3)年、新設の東京駅に旅客ターミナルの機能が移り、それまでの鳥森駅が新橋の名を引き継いで現在の新橋駅となり、貨物専用駅となった旧駅は汐留駅と改称、物流の大拠点として戦前戦後を通じて東京の経済活動を支えました。
 文明開化の象徴として親しまれた旧駅舎は、1923(大正12)年9月1日の関東大震災に際して火災のため焼失し、1934(昭和9)年から始まった汐留駅改良工事のため、残存していたプラットホームや構内の諸施設も解体されました。1986(昭和61)年、汐留駅はその使命を終えて廃止され、跡地の再開発工事に先立つ埋蔵文化財の発掘調査が1991(平成3)年から行われた結果、旧新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内の諸施設の礎石が発掘されました。1996(平成8)年12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡『旧新橋停車場跡』として国の指定を受け、この史跡を保護しつつわが国鉄道発祥の往時を偲ぶために、駅舎を再建することになったものです。

「新橋鉄道蒸気車之図 東京銀座煉瓦石繁栄之図」/四代歌川国政 明治7年
上半分が新橋鉄道で、下半分が銀座
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「東京土産銅板密図 新橋停車場之全景(明治30年)
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最初、中に入って企画展「古代文字瓦の世界」を見て、設置してあるビデオを見た。
内部は撮影禁止ということで、リーフレット表紙とそれにに載っていた「駅舎基礎石積み見学窓」を載せておきます。
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建物外装を見る。
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後ろの高層建物が「カレッタ汐留」。
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展示室の後ろにある、再現軌道を見る。
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0哩標識
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これで、旧新橋停車場跡の見学を終え、浜離宮踏切跡に移動。

【浜離宮踏切跡】
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 この信号機は、昭和6年(1931年)から昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
 最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになったそうです。
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この信号機一つで、天下の台所「築地市場」のけた外れの大きさや、かっての鉄道貨車の隆盛ぶりが、一日150両もの貨車が通ったことを示してくれている。
これからも大事に保存していって欲しいものだ。

ここからカレッタ汐留ビルに移動して、「アドミュージアム東京」を見た。
それは次回の記事で。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ここの前は浜離宮恩賜庭園に行った時の帰りに通るのですが、未だに入ったことがありません。

さて、今の鉄道経路図を見ていて、不思議に思うのは汐留駅の位置です。すなわち、何でここが選ばれたのかと言うことで、当初はここから品川駅を経て横浜まで行っていたのですよね。それがなぜか、新橋駅や東京駅ができて、汐留駅は関係無くなってしまいましたし。ううん、昔は海がもっと近かったでしょうから、船で運んだものを鉄道に乗せるとかの理由が考えられますね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
鉄道を初めて敷くときには、ずいぶんと反対されたようです。
実際、蒸気機関車からの火で火災もあったようです。
だから、けっこう海の上も多かった。
そのうち、あまり抵抗もすくなくなったので、もっと便利な
東京駅が、大正3年にできたということでしょう。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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