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鳥の上遺跡発掘現場見学

20200303

所在地:埼玉県狭山市柏原鳥の上
見学日:2020年2月12日

この上に大規模な工場が建てられるため、市の社会教育課にて発掘調査中の遺跡を、私が所属している歴史クラブで見学を企画しました。
参加者は47名でした。

この調査は狭山工業団地拡張地区基盤整備事業の一環で、奈良平安時代(約1,300年前)の集落跡が多数検出されていて、狭山市の遺跡発掘規模としては最大規模となりました。
2018年5月から発掘調査が始まり、発掘調査は終盤にかかっているようです。

遺跡の場所
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発掘の担当者から、概略の説明があった。
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〇遺跡の時代:奈良・平安時代(8世紀から9世紀ごろ)
〇発掘された遺構
・竪穴住居跡・・・当時の東日本では一般的な住居。地面を掘り、茅葺き屋根などで覆った造りの住居。
・掘立柱建物跡・・・複数本の柱を建てて作られた建物。倉庫などに使用されていた。
・土壙(どこう)・・・方形または円形に掘られた穴。落とし穴や食料などの貯蔵、墓、トイレなど。
〇発掘された遺物
・須恵器すえき・・・現代で言うお茶碗。ロクロで作成され、窯で焼かれたものです。
・土師器はじき・・・現代で言うなべ。煮炊き用の器。ロクロを使わず、輪積みで器の形を作り、野焼きで焼いたもの。
・紡錘車(ぼうすいしゃ)・・・糸をつむぐために使用された器具。鉄製や石製のものがあります。
・刀子とうす・・・鉄製の小刀。現代で言うナイフ。

発掘されたものの一部を見せていただいた。
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内黒土器が出土しました。博物館に展示されている「群厨」と書かれた土器と同じように、内側が真っ黒に加工されている。
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出土した甕
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面白い形の器
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須恵器
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紡錘車(ぼうすいしゃ)の部品
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発掘調査は、関東ローム層(赤土)の上面まで剥いでいき、遺構を検出していきます。
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発掘調査の規模はすごく広いのに驚いた。この広い所に一つの工場が建つのだという。
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遺跡は、土が黒いところを探すわけですが、黒くても耕作土の場合があります。
これはゴボウトレンチの跡(笑)
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落とし穴
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立柱建物跡
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火事があった痕跡が残る住居跡
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燃えた柱が倒れて埋まっていた。
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床面が二段になった住居跡
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カマド跡
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発掘作業中
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見学会のために発掘された土器をまだ置いてくれていた。
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これもそう。
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大きな建物跡を発掘中
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ここが入り口らしい。
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周囲の溝が二重になっている住居跡
これは、住居を建て直して再利用している。
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左側にカマド跡
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この土塁みたいになっているのは、左右の場所で堀った土を積んだ結果。
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左右に発掘場所が広がっている。
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発掘後しばらくすると、風が土を運んで、このように埋まってしまう。
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この遺跡は、小屋、倉庫がく、何らかの作業集団が住んだ跡だということで、可能性の一つとして、近くの東金子窯など国分寺瓦を焼く窯に燃料を供給する基地だったのではないかとの推測のお話があった。
ここは、入間川の河岸段丘の上で、雑木林が生い茂っていたところなので、うなづけるお話だった。

今回の見学は、発掘途中の状態を見せていただくことで、非常に有意義なものだった。
この見学を踏まえて、3月11日の歴史クラブ定例会で、この発掘の担当者の方から講演をしていただける予定になっていた。
ところが、定例会にはいつも70名ほど出席するのだが、新型コロナウィルス蔓延防止対策で、いつも使用している会場が閉鎖されてしまっているのと、集会自体好ましくない状況なので、待ち望んでいた講演が開かれなくなってしまった(泣)
いずれ、機会が許すときに、講演をしていただくつもりであり、それが待ち遠しい。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

広大な遺跡のようですね。

いつも思うのですが、穴だけでなく、柱等も出土して欲しいです。もし、それがあれば、どのような形の建物であったかが、今よりも詳細に推測できると思いますので。

それにしても、東日本って、奈良、平安時代まで、竪穴式住居って続いていたのでしょうか。写真の陶器等を見た限りでは結構、立派なものですので。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私の住んでいる市には、平安時代の竪穴式住居史跡
があります。
関東は、「アズマエビス」と言われて、平安時代は
まだ茨城くらいまでしか国では無かったですよね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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