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千歳烏山寺町散歩(後半)

20200310

2月20日(木)に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画に参加しました。

26 の寺院が連なる趣き深い寺町のうち10の、次のお寺を訪ねました。
①常福寺⇒②玄照寺⇒③源良院⇒④妙裕寺⇒⑤専光寺⇒⑥高源院⇒⑦妙寿寺⇒⑧稱往院⇒⑨源正寺⇒⑩多門院

千回の記事で、専光寺までを紹介しましたが、今回はそれに続く後半の5寺です。

【高源院】創建は元禄16年(1703)。開山の怡渓宗悦は近江国小谷城主浅井長政の後裔とされる人物。開基は久留米藩主有馬頼元で、仏門に帰依して品川に創立。昭和11年(1936)に復興のため北烏山に土地を購入して移転した。敷地内の弁天池にはカモが飛来し、訪ねる人々を楽しませてくれる。

入口
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弁天池に浮かぶ浮御堂
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鴨池の説明
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浮御堂にお参り。
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浮御堂に祀られている弁天さまは、琵琶を持って立っている。
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浮御堂と白梅のツーショット。
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【妙壽寺】
寛永8年(1631)江戸谷中に創建。その後深川猿江に移り、震災により昭和2年(1927)烏山に移転した。震災で破損した名工藤原正次作の梵鐘がある。客殿は、現在ロシア大使館のある麻布狸穴にあった蓮池鍋島家の邸宅を移築したもので、世田谷区有形文化財の指定を受けている。

山門
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山門を入ると、広い境内が広がっている。
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宮沢賢治の「雨にも負けず」の碑があり、賢治の手帳に書かれたのを忠実に写したとある。
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この中の、「北にケンカやソショウがあれば つまらいからやめろといひ」
の部分の「北」という字に、参加者の皆が飛びついた。
「この字は北という字なのか?」、「賢治が本当にこの字を書いたのか?」
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一時期、賢治のことを調べて歩いた私は、帰ってから持っていた資料で調べた。

この有名な「雨にもまけず」は、賢治が生前発表したものではなく、賢治の死後発見された彼の手帳に書き込まれていたものである。

賢治の手帳
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手帳の、「北にケンカやソショウがあれば」の部分。
たしかに、賢治はこの字で書いている。
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「雨にも負けず」を書いたころの賢治をおさらいする。

・昭和3年6月初 農産製造、水産製造の研究のため上京、心象スケッチ「丸善階上喫煙室小景」が残る。
    6月末 東京から帰京
    8月  稲作不良を心配し、風雨の中奔走し病に倒れる
・昭和4年、5年は病床
・昭和6年3月 全快を機に、東北砕石工場の技師として就職 宣伝販売を担当
※給料の代わりに貨車3台の石灰を受け取り、農家に配った。当時、賢治は土壌改良を農家に指導していたが、冷害に苦しむ農家は、石灰を買う金が無かった。賢治が就職したのは、土壌を少しでも改善して死んでいこうと考えたから。
   8月頃 「風の又三郎」の執筆進む
 9月20日 石灰宣伝で上京中に発熱。遺書を書く
 9月28日 帰郷 自宅で病臥

 11月3日 手帳に「雨にも負けず」を書き留める 

病状悪化にもかかわらず、農民の肥料相談に応じ続ける
・昭和8年9月21日 死去
・死後、彼のトランクから昭和6年の手帳と遺書が見つかる

賢治の「雨にも負けず」なかの「北」の字が特殊なので、用例が他にもあるか調べてみた。
くずし字を調べるのに利用しているサイト「東京大学資料編纂所」の203例から。
下の横棒が無くても「北」と読んでくれるらしい。
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203例の中から賢治の「北」に似た字を選ぶと、この字が一番近い。
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東大の「くずし字」サイトは、あくまで古文書が対象だということがありますが、
賢治の字は、かなり独創的と言えるかもしれません。

名工藤原正次作の梵鐘
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堂々たる本堂
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境内は、竹の林があったりして広大なものでした。
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蓮池鍋島家の邸宅だったという客殿と本堂に上がらせていただきました。
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大きな柱時計
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室内は、古雅な雰囲気に包まれている。
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二階の外廊下
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渡り廊下と本堂が見える。
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入口と賢治の碑が見える。
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中に貼られているポスターや写真を見ると、この客殿は色々なイベントに使用されているようで、客殿から本堂に向かう渡り廊下に、竹にロウソクを並べてあった。
灯した風景を想像すると、なかなか良い感じだと思う。
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外には、素心蝋梅が咲き誇っていた。
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山茶花も咲いている。
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本当内陣
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本尊の日蓮ご真筆
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【称往院】
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本堂
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そば禁制の碑
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境内の置き石とプリムラ
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【源正寺】
昭和7年(1932)に築地からこの地に移転。本堂の左右に江戸時代の鋳物師、釜六(太田六右衛門)と釜七(太田七右衛門)作の天水桶が置かれている。
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本堂
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片方しか撮らなかった(汗)
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その中には、メダカが泳いでいた。
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【多聞院】
開山は述誉法印。新宿角筈村に元和元年(1615)に創建。昭和20年(1945)の戦火により堂宇のすべてを焼失。昭和24年に現在地に墓地を改葬移転。同29年の末には本堂・庫裡を再建した。天保の大飢饉による落命者568人の墓がある。

入口
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本堂までの境内には色々なものが置かれていた。
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石仏群
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私の好きな、獅子に乗っている文殊菩薩
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石造浮彫涅槃図
奈良の壺坂寺より寄贈されたもの。
多聞院の先々代住職が壺坂寺の住職をしていた縁によるもの。
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568人無縁墓
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これで、予定していた10のお寺の参拝を終え、帰途につきました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、池に浮見堂まであるお寺もある地区なのですね。都区内から引っ越しだとのことですが、さすがにいずれのお寺も境内が広いですね。私の家のお墓は浅草のお寺にありますが、その境内の狭さと比較すれば、雲泥の差ですね。

以前にも書かせていただいた記憶がありますが、「雨にも負けず」はつい映画「さみしんぼう」のワンシーンを思い出してしまいます。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
色々なお寺に特徴があり、広いので、のんびりと
廻ると楽しいですよ。
ぜひ一度訪ねてみてください。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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