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伊予国一之宮・大山祇神社(その一)

20200510

所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
参拝日:2020年3月24日
主祭神:大山積神

青春18キップの旅の三日目、今治駅前のホテルから歩いてレンタカーショップに行き、車を借りて「しまなみ海道」を走って当社に到着。

神門一の鳥居は瀬戸内海に面して建てられているそうで、駐車場のそばにあるのは二の鳥居である。ここからの参拝ということになる。

二の鳥居の前には社号標と狛犬が居る。
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社号標
社格等:式内社(名神大)、伊予国一宮、旧国幣大社。別表神社
この神社は、村上海賊など海の民に信仰されているからだろう、海に面して建てられているため方角的には西を向いているという、珍しい方角となっている。
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瀬戸内海に浮かぶ大三島西岸、神体山とする鷲ヶ頭山(標高436.5メートル)西麓に鎮座する。古くは大三島南東部に位置した。
三島神社や大山祇神社の総本社であり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。大山積神を祀る代表的な神社ということもあり、山神社の総本社とされることもある。

創祀は、『大三島記文』によると、仁徳天皇の御宇に、乎知命が祖神・大山祇命を祀ったとある。
『三島宮社記』では、推古天皇2年。大三島の南東部瀬戸に鎮座し、大宝元年、現在地へ遷座し、16年の歳月をかけて、社殿を造営。養老3年(719)に遷宮の儀が執り行われた。

大山祇神社の鎮座する大三島は古くは「御島」と記されたように、神の島とされていた。大三島に鎮座した由来には諸説がある。
『大三島記文』(社伝) 大山祇神子孫の小千命(乎千命、おちのみこと)が大三島に勧請したとする。
『釈日本紀』(『伊予国風土記』(逸文)越智郡御島の条) 大山積神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座、のち伊予国に勧請されたとする。その解釈として、越智氏が朝鮮半島出征で大山積神を戴いて帰国したとする説、越智直が百済に出征し捕虜となり中国を回って帰国したとする説話による説があるが、いずれも確証は欠く。摂津国の御嶋は諸説あり、三島鴨神社または鴨神社の何れかとされる。
『予章記』・『予陽河野家譜』 越智玉興がこの地での霊験にあやかり、勅宣により社殿を造営したとする。

境内には弥生時代の神宝や祭祀遺跡があるといわれており[1]、いずれにしてもかなり古い時代から存在したとされる。

二の鳥居の前には狛犬がいる。
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二の鳥居の社額には「日本総鎮守 大山積大明神」とある。
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二の鳥居をくぐるとすぐ、右側に平山郁夫の「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」の中で、当社を描いたスケッチのパネルが二枚置かれていた。
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そして、当社の説明板が立っている。
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境内図
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当社の説明
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神橋を渡る。
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総門の前にも狛犬がいる。
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〇総門
2010年4月14日奉祝。
二層構え総檜造り銅板葺き高さ12mで、両脇に随身像(像高2.5m)が立つ。元亨2年(1322年)に焼失してから688年ぶりに復元された。
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ここには彩色鮮やかな社額「日本総鎮守 大山積大明神」があった。
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ここの随身は立像で、弥生時代・古墳時代ともとれる、或は海賊みたいに身軽な武装ともとれる活動的なものだった。
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門をくぐって振り返ると、やはり立派な門である。
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〇齋館
総門をくぐって左手にあり。
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総門から次の神門までは、広い空間が広がっている。
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〇能因法師雨乞の楠
少し進んだ左手に大きな古そうな楠が見えた。
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ここには、有名な樹齢2600年の楠があるというので楽しみにしていたら、もっと古い、なんと樹齢3000年の楠がここにあった!
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かなり衰えてはいるが、まだ生きている!
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この楠に寄り添って彩を添えている椿の花。
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※能因(のういん)は、平安時代中期の僧侶・歌人。
和歌に堪能で、伊勢姫に私淑し、その旧居を慕って自身の隠棲の地も摂津国古曽部にさだめ、古曽部入道と称した。藤原長能に師事し、歌道師承の初例とする。
『後拾遺和歌集』(31首)以下の勅撰和歌集に67首が入集している。歌集に『能因集』があり、ほかに私撰集『玄々集』、歌学書『能因歌枕』がある。歌枕に強い関心があったと伝えられており、和歌に対する強い情熱から、様々な逸話が残されている。

〇宇迦神社(神池の島に鎮座)
祭神:宇賀神

能因法師雨乞の楠の奥に,池の手前に拝堂があり。
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拝堂の前には、広島型の狛犬がいる。
前足で大きな玉を持っているのが特徴。
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拝堂の奥の池の島に宇迦神社の社殿はある。
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(続く)

続きの「伊予国一之宮大山祇神社(その二)」を見る



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、瀬戸内海の真ん中あたりにある島に、大きな神社があるのですね。それにしても、大昔でも、厳島辺りでしたら、本州からそれほど苦労しなくても行けると思いますが、行くだけでも大変な場所に大きな神社を建てたものです。

ここの駒犬、横からの写真だと、四角い石を無理して利用していると言う感じで、窮屈に見えますね。総門の前の駒犬は表情が良いですね。宇迦神社の駒犬は独特な感じですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
結局、この辺は平安時代くらいまでは、
瀬戸内の海の民が中心で、内地はあまり
開けていなかったのではないかと思います。
石鎚山脈もそびえていますから。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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