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伊予国一之宮・大山祇神社(その二)

20200514

所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
参拝日:2020年3月24日
主祭神:大山積神

青春18キップの旅の三日目、伊予国一之宮・大山祇神社の記事二回目です。

境内社の宇迦神社に参拝した後、更に進むと「十七神社」がある。

〇十七神社
祭神:諸山積神社と十六神社。
伊予国一之宮であるので、国内の主要な神社を祀ったもの。
諸山積神社に十六社が接続する形をとる。由緒書によれば、神社自体は正安年間(1299年-1302年)の創建、社殿は永和4年(1378年)の再建という。愛媛県指定有形文化財に指定されている。内陣には重要文化財指定の神像群が鎮座する。
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長棟の社殿
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内陣に神像群が鎮座しているとのことだが、扉が閉められており拝観はできない。
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〇乎千命御手植の楠
幹周/11m、樹高/15. 6m、樹齢/約2600年。
大山祇神社の楠群として国指定天然記念物となっています
乎知命は、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の十代目に当たり、七歳の時に 応神天皇より伊予国・小市の国造に任ぜられ この神社を創始して祖神・大山祇命を祀った人物。
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なんと樹齢2600年の伝承がある偉大な楠である。
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社殿に向かう方向、西面
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南西面
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南面
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社殿側の方向、東面。
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北面
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息を止めて正面より右回りに3周すると願いが叶うという信仰がある。私が見たテレビ番組では、説明している人が「若い人じゃないと無理、無理」と笑っていた。
息を止めて正面より右回りに3周といったら、走らなきゃならないが、走るのは恐れ多いし、無理だと分かっていたが速足で歩いて、一応挑戦してみた。2回息継ぎをしてしまった(笑)

『村上海賊の娘』には、こんな場面で登場する。
本願寺から兵糧の運び込みを依頼された毛利家が村上水軍に協力を頼む。本願寺を包囲している織田信長の軍勢に突入しなければならないという戦である。
毛利・村上連合水軍を束ねる総帥と目されたのが「三島村上」の一つ、能島村上水軍の長・村上武吉。
毛利・村上連合水軍1000艘が勢ぞろいしているのに、村上武吉は「乎千命御手植の楠」の前で連日連歌興行をしていて動かない。
古くから村上水軍は出陣の前には三島神社(現在の大山祇神社)で連歌興行を奉納する習わしだったというが、そもそも本願寺の、上杉軍と毛利軍で織田軍を挟み撃ちにするという戦略を村上武吉は信用せず、上杉が動いたという報せを、「乎千命御手植の楠」の前で待っていたのだ。

この後訪問した「村上水軍博物館」のパンフレットにも、大山祇神社に戦国時代色々な武将と村上水軍が連歌興行を奉納したと、載っていた。
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〇手水舎
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旅の間に、コロナ禍が広まっていた。
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立派な手水鉢
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祓所
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〇伊藤博文公記念楠樹
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一段上がって、神門がある。
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神門の前に狛犬がいる。
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一段上の荒垣に沿って置かれているので、神門に向かっての撮影が難しいので、神門側から撮影した。
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〇神門
寛文元年(1661年)松山藩主松平定長からの寄進で、素木造の屋根は切妻造檜皮葺であったが、老朽化のため355年ぶりに建て替えられ、2016年12月4日竣工式が行われた。
今まではいなかった隋身像が両脇に鎮座し隋神門となった。
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左右の随身
ガラス越しに撮影。
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神門をくぐって、玉垣内に。
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神門から入ると、正面に拝殿。その周りを回廊で囲んである。
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〇拝殿・本殿
拝殿の扉が少ししか開いていないため、内部はわずかに拝観できるのみ。
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拝殿で参拝した後、グルッと周りを廻ったときに、本殿の屋根のみ見えた。
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ご祭神は、大山積神。
オオヤマツミノカミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)は、日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。
神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた。
オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。
八岐大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。
その後、スサノオの系譜において、オオヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神と倉稲魂尊(うかのみたま)をもうけている。
素戔嗚尊(すさのを)と奇稲田姫(くしなだひめ)との間の子、八嶋士奴美(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流姫(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。その子孫が大国主である。
天孫降臨の後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はオオヤマツミの娘である木花之開耶姫と出逢い、オオヤマツミは木花之開耶姫とその姉の磐長姫を差し出した。ニニギが容姿が醜い磐長姫だけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。
木花之開耶姫が瓊瓊杵尊に疑われながら、出産に成功すると、オオヤマツミはそれを喜び酒を造って諸神をもてなしたので、オオヤマツミは酒造の神として信仰されている。
また全国の山を司る神であるオオヤマツミは、喜んで富士山を木花之開耶姫に贈ったので、富士山関係の神社、富士塚などに祀られているのは木花之開耶姫である。

神紋は、「折敷に縮三の文字」
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〇摂社、上津社と下津社
本殿と並んで祀られているのは、上津社(本殿向かって右に鎮座)
ご祭神:上津姫(磐長姫)、雷神
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拝殿で参拝した後、グルッと周りを廻ったときに、見えた屋根。
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下津社(本殿向かって左に鎮座)
ご祭神:下津姫(木花之開耶姫)、高籠神
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続いて「伊予国一之宮大山祇神社(その三)」の記事を見る



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ご神木の楠、伝承にしろ、樹齢2600年と言うのはすごいですよね。あの卑弥呼でさえ、西暦170年に誕生なのですから、文章に残っている有史以前からあったことになりますし。

写真を見させていただいた限りでは、下の方、かなり傷んでいるようですので、台風等で倒れなければ良いのですが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私がこれまで会った樹で、一番古いのは、山梨県の
「山高神代桜」で樹齢2000年でした。
すごいですよね。
人類にしても、関東よりもはるかに先から、
この辺には人類が渡ってきていたのだろうと、
思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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