FC2ブログ

伊予国一之宮・大山祇神社(その三)

20200519

所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
参拝日:2020年3月24日
主祭神:大山積神

青春18キップの旅の三日目、伊予国一之宮・大山祇神社の記事三回目です。
本殿と、摂社の上津社と下津社に参拝した後、社殿のまわりを巡って境内社などに参拝します。

神門から入ってすぐ左手の回廊に、「隼人の舞」の像がある。

〇「隼人の舞」像
200519yamatsumi01.jpg


200519yamatsumi02.jpg


200519yamatsumi03.jpg


大山積神が酒造の神なので、奉納されたお酒が回廊にズラッと並んでいる。
200519yamatsumi04.jpg


〇北側入口
北側にも入り口があったので、そちらに行くと、ここには青銅製の狛犬がいた。
200519yamatsumi05.jpg


200519yamatsumi06.jpg


200519yamatsumi07.jpg


200519yamatsumi08.jpg


200519yamatsumi09.jpg


〇神輿庫
平成9年造営。木造校倉造で入母屋造銅板葺。本社・上津社・下津社の旧神輿3基(愛媛県指定有形文化財)と新神輿3基の6基が収められている。
200519yamatsumi10.jpg


〇末社・御鉾神社(おほこじんじゃ)
祭神:御鉾大神。
元は太祝の邸内社であり、御鉾大神は伊弉諾神・伊弉册神・大物主神・小千命の四柱(あるいは大国主神・狭田彦神を合祀した六柱)とする記録も有り。

前に石造狛犬がいる。
200519yamatsumi11.jpg


200519yamatsumi12.jpg


200519yamatsumi13.jpg


200519yamatsumi14.jpg


200519yamatsumi15.jpg


御鉾神社社殿
200519yamatsumi16.jpg


〇末社 酒殿・八重垣神社
向かって右が酒殿(祭神:大山積神)、左が八重垣神社(祭神:素戔嗚命)
200519yamatsumi17.jpg


〇院内荒神社・地神社・稲荷神社・石神社
社殿玉垣に沿って、奥から院内荒神社・地神社・稲荷神社・石神社の4社が並ぶ。
院内荒神社(祭神:荒神)
地神社(この地の地主神)
稲荷神社(祭神:御食津神)
石神社(祭神不詳)
200519yamatsumi18.jpg


本殿の真後ろの位置に、姫子邑神社が鎮座している。
200519yamatsumi19.jpg


〇姫子邑神社(ひめこむらじんじゃ)
ご祭神:木花開耶姫命(大山積神の娘)とその御子神(火々出見命(山幸彦)・火須勢理命(海幸彦))。
200519yamatsumi20.jpg


200519yamatsumi21.jpg


〇天然記念物・大山祇神社楠木群
200519yamatsumi22.jpg


「天然記念物・大山祇神社楠木群」の説明が置かれていたご神木は、残念なことに枯れていた。
200519yamatsumi23.jpg


200519yamatsumi24.jpg


しかし、その近くにも大きな楠があちこちに見られ、見事だった。
200519yamatsumi25.jpg


〇河野通有兜掛の楠
鎌倉時代には、この辺は「三島水軍」あるいは「河野水軍」として有名だった。
200519yamatsumi26.jpg


200519yamatsumi27.jpg


〇一遍上人奉納の宝篋印塔
200519yamatsumi28.jpg


200519yamatsumi29.jpg


一遍上人は、延応元年(1239年)伊予国(ほぼ現在の愛媛県)久米郡の豪族、河野通広(出家して如仏)の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥谷である宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334年)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。有力御家人であった本家の河野氏は、承久3年(1221年)の承久の乱で京方について敗れ、祖父の河野通信が陸奥国江刺郡稲瀬(岩手県北上市)に、伯父の河野通政が信濃国伊那郡羽広(長野県伊那市)に、伯父の河野通末が信濃国佐久郡伴野(長野県佐久市)にそれぞれ配流されるなどして没落、ひとり幕府方にとどまった通信の子、河野通久の一党のみが残り、一遍が生まれた頃にはかっての勢いを失っていた。

正応元年(1288年)瀬戸内海を越えて故郷伊予に戻り、菅生の岩屋へ巡礼、繁多寺に3日間参籠して浄土三部経を奉納、12月16日一遍一行は3艘の船に分乗して今治の別宮大山祇神社付近から大三島へ渡海、河野氏の氏神である大山祇神社に3日間参籠後、今治に戻る。

正応2年(1289年)1月下旬に大山祇神社の供僧長観(1月24日)、地頭代の平忠康(27日)など複数の大山祇神社関係者に一遍を招待すべしとの夢告があり、2月5日大山祇神社の社人が招請のため二十余艘の船団で別宮へ渡海、招かれた一遍一行は2月6日再度大山祇神社参詣、2月9日大山祇神社の桜会(さくらえ)に参列して魚鳥の生贄を止めるよう懇請、神官と地頭に「殺生禁戒」を誓わせたといいます。

想えば、私は昨年の「青春18キップ」では熊野に旅したが、その時にも熊野本宮故地「大斎原」で一遍上人の事蹟に出合っている。
仏教の大宗派「時宗」を打ち立てた一遍上人は、調べるとかなりの数の神社に参詣している。
これはどういうことなのか、かなり関心をそそられた。

〇御桟敷殿
200519yamatsumi30.jpg


200519yamatsumi31.jpg


〇斎田
200519yamatsumi32.jpg


200519yamatsumi33.jpg


まだ田植え前であり、レンゲの花があちこちに咲いていた。
200519yamatsumi34.jpg


200519yamatsumi35.jpg


〇絵馬殿
休憩できるようになっており、のんびりと絵馬を見ることが出来た。
200519yamatsumi36.jpg


白鷺が矢を咥えて飛んでいる絵馬の意味は何だろうと調べたら、「元宮」の説明で納得した。
本宮(今治市上浦町瀬戸)は、横殿宮、遠土宮とも呼ばれ、養老3年(719年)の現在地への遷座以前の鎮座地。伝承では、この鳥居の前まで海だったため津波により社殿は流されたという。また、ここでは手狭なため広い社地を探すため三本の矢を使った。一本目はここから大原に落ち、二本目を大原から放つと鷲ヶ頭山頂上に落ち、さらにそこから放つと現在の社地の神池に落ちたことから決めたという言い伝えがある。
200519yamatsumi37.jpg


馬は普通の奉納絵馬で、水軍の守り神らしく剣の奉納もあり。
200519yamatsumi38.jpg


200519yamatsumi39.jpg


これは「金比羅講」が大山祇神社に参詣している様子の絵馬。
200519yamatsumi40.jpg


「鶴姫まつり」の写真が掲げられていた。
200519yamatsumi41.jpg


200519yamatsumi42.jpg


『村上海賊の娘』のなかでは、主人公「景」のあこがれの人物として紹介されていた。

鶴姫は、この大山祇神社の大祝職(大宮司)・大祝安用(おおほうり やすもち)の娘で、兄に大祝安舎(やすおく)と安房(やすふさ)がいたとされる。
彼女の生涯は、たびたび大三島に侵攻した周防の大内氏の軍勢に対して兵を率いて立ち向かい、交戦してこれを撃退するも、最期は戦死した恋人・越智安成(おち やすなり)の後を追って自殺したという「鶴姫伝説」として知られている。

以上で、当社の参拝を終え、道の駅二つに寄り、土産物購入やお昼を食べながら、しまなみ海道を南下、「村上水軍博物館」に向かった。

(了)


続いて「村上水軍博物館」の記事を見る



「神社巡拝」に飛ぶ



「お気に入りの場所」に飛ぶ



スポンサーサイト



コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

御鉾神社の駒犬、新しすぎるのが気になりますが、それでも、ユーモラスな感じが良いですね。

神輿庫、古いものかと思ったら、そうではなくて、校倉造りの建物が平成時代に作られたのですか! これだと、湿気から守られると言うことだと思いますが、普通だったらコンクリ製ですよね。

そう言えば、先日、綾瀬稲荷神社の落語狛犬を撮影してきましたが、これ、新しいものですが、一見の価値があると思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
綾瀬稲荷神社の落語狛犬、不覚にも知りませんでした。
落語家の三遊亭圓丈師匠が奉納したものとあれば、
なにを差し置いても見に行かなくてはなりません。
そもそも、狛犬の類型分類は、圓丈師匠がまとめたものが、
基本となっています。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop